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15 桃の味

 


 転移魔法は超高度な魔法だ。

 全世界で術式の公開が禁止され、魔法協会から魔法陣の設置許可を取るために何年もかかり、運用には大量の魔力と金がかかる。


 何が言いたいかというと、便利だけどそれほど普及していないということだ。王都でいえば、城と教会と王立学院、そして我がシェリアーク家が誇る大病院ホスピタルにしか転移魔法陣はない。


「こんな便利なものがあるなら、早くみんなが使えるようにしてほしいぜ」


 西の辺境から騎獣を乗り継いで王都まで来たルルタは、一瞬で目的地まで飛べる転移魔法陣のことを知って苦笑した。


「法律の制定が間に合わないという話だ。コストも高いし、魔力地場の関係で設置できない場所が多い。犯罪や戦争に利用されたら厄介だしな」


 学院の地下にある魔法陣に乗って、数秒。

 気づけば、巨大な木々が立ち並ぶ森の中にいた。ここがトレミー大森林か。


 呼吸をすれば、土と緑の匂いがした。風の味も日差しの強さも王都とはまるで違う。自分の五感が興奮しているのが分かる。

 そこかしこに精霊の気配があるな。気を緩めた途端に魔力を吸い取られそうだ。甘い顔をしないようにしよう。


「おいでなすったか。ようこそ、ユリウス先生とその教え子さんたち」


 近くの小屋から、一人のおじいさんが出てきた。

 ちなみに私たちは今、学院にあったものの対となる魔法陣が刻み込まれた石盤の上に立っている。


 おじいさんはグィンと言って、この魔法陣の管理を任された魔法使いらしい。今までは森林の面倒もまとめて見ていたようだが、去年ぎっくり腰になって以来、森林に入るのを控えるようになったようだ。

 腰痛や肩こりの痛みなんかは、医療術で治しても無理をするとすぐに再発するらしいからな。安静にしていてほしい。グィンの人の良さそうな顔を見て思った。


「帰りたいときはグィンに言えばいい。遭難したときも、救援信号を飛ばせば助けに来てくれるはず。まぁ、ご老人に迷惑をかけないよう、気を付けてね」


 ユリウス先生の雑な説明に、私たちは深く頷いた。

 正直、あまり助けを期待できない。


 今いる場所は、トレミー大森林の中心部。

 魔法陣を守るために重ねて施された結界により、絶対の安全が保たれている。王立学院の学生証を持っていれば、結界をすり抜けられ、魔物の群れに襲われても大丈夫。


 うん、スタート地点が中心部にあるなら楽でいいな。毎回少しずつ向かう方角を変えて調査すればいい。日帰りできる。


 出発前に、救援信号の種類と送り方を習った。私は魔法の術式で覚えたが、後の三人は魔法アイテムをもらっていた。


「僕はグィンと話があるから。いってらっしゃい」


「えー、先生はいらっしゃらないの? 寂しいわ」


 ユリウス先生の家柄を知るや否や、ユシィの目が輝いたのを私は見逃さなかった。

 この人はやめておいた方がいいぞ。割と本気で。


「面倒だから。……いや、きみたちなら僕が見てなくても大丈夫だろう?」


「ええ、ルルタたちならきっとケガ一つしないと思うわ。わたしの出番はなさそう。だから、わたしも残ってもいいかしら?」


 甘えるように先生に近づくユシィ。しかし――。


「そう。これからグリーンバンビを解剖するんだけど、きみも見る? 可愛いよ」


 ユリウス先生はばっさりと誘惑を跳ね除けてみせた。尊敬はしないが、ここは称賛しておこう。

 魔物への猟奇的な愛に負けたユシィは、いつにも増して不機嫌になった。教師にまで手を出そうとするからだ。


「珍しい魔物がいたら、持って帰ってきてね。もしも新種だったら一発で単位をあげるから」


「気を付けるんじゃよー!」


 ユリウス先生とグィンに見送られ、私たちはトレミー大森林の東部へ足を踏み入れた。






 ぐあぐあ。森の奥から奇妙な鳥の声が聞こえる。

 森と言えば静謐なイメージだったのだが、意外と騒がしいんだな。茂みが風で揺れるたびにドキドキする。


 もしも凶暴な魔物が飛び出して来たら、剣を振り抜いて怯ませ、蹴りを入れつつ魔法で反撃。必ずリュカットの位置を意識し、ルルタとユシィの動きも常に確認しなくては。

 そんなイメトレを重ね、もしものときに備えた。


 魔物。

 魔王が封印されてから、魔境ガランドリネから溢れるようになった魔力に満ちた凶暴な生物。

 しかし魔物には大きく分けて二つ、魔王軍に属する軍属魔物と、属さない野生魔物がいる。


 前者は今も魔境ガランドリネの周辺におり、魔王の復活を今か今かと待ち、近づく者たちを容赦なく殺す。魔王子に懐いて付き従うものもいるらしいな。アポロ戦線で暴れたのもこいつらだ。絶殺。


 後者は千年の間に魔境から離れ、世界中に散ったもの。その地域の生態系に入って独自の進化を遂げている。

 凶暴性は残しているが、魔王や魔王子に絶対服従するわけではない。野山に住む動植物を強化したものだと思えばいい。

 人間にもめったに懐かないんだけどな。魔王に従わないからと言って、味方になってくれるわけではない。依然として人間の脅威の一つともいえる。


「肌がピリピリしない。大した魔物はいないな。でも、念のため俺の後ろにいてくれよ」


 耳を澄まし、周囲を見渡したルルタが野生児じみた発言をする。魔物の気配が分かるのか、こいつは。

 というか、自然な流れでパーティーのリーダーになっている。ちょっと不満。


「……分かった」


 だが、今日のところはルルタに任せよう。

 私は、現実世界で(・・・・・)魔物と戦ったことがない。実戦経験者がいるのに出しゃばるのは、さすがに傲慢だ。

 戦えないリュカットを守ってやらないといけないしな。指揮系統はルルタに丸投げだ!


 そうして小一時間、私とリュカットは神経をすり減らしながら森の中を進んだ。

 演習で使われる森林だからか、全く道がないわけではなかった。二人並んで歩ける。


「お、サニーピーチが成ってる」


「採って、ルルタ。お腹減ったわ」


「へいへい」


「まだ鳥が啄んでないやつよ」


「分かってるって。ほら」


 前を歩くアポロ村出身の二人には、緊張感がまるでなかった。ルルタとユシィはあれだな……こうして普段の様子を目の当たりにして思う。お互いに遠慮無用の関係なんだな。


 ルルタが面倒見の良い兄のようにも見えるし、わがままな彼女に尽くす恋人のようにも見える。

 ユシィもルルタには媚を売っておらず、自然体だ。安心しているというか、信頼しきっているというか。


「…………」


 なんだろう、ちょっと胃がむかむかしてきた。

 演習だからと張り切って、いつもより朝食を食べ過ぎただろうか。


「ライラも食うか? 一番完熟してるやつやるよ」


 振り返り、桃を軽く拭ってから差し出すルルタ。

 私は反射的に受け取ってしまった。


「は? ずるくない?」


「いいだろ、別に。おい、果汁が垂れてんぞ」


 桃にかじりついているユシィ。甘い汁で濡れた唇が蠱惑的だ。

 女神様と一部の男どもに崇拝されている彼女は、このような粗野な行動をしても下品さがない。自然体でいることが正しく、可愛らしい。


 しかし私はどうだろう。

 手の中の桃を見つめ、固まる。

 これは恥ずかしいことなのかどうか分からないが、私はカットされていない果物をかじったことがない。食卓に並ぶのは、いつもきれいに飾り切りされた果物ばかり。

 桃を自然の状態で手に取るのだって初めてだ。


 できない。ユシィのしているような行動は、はしたないと教えられて育ったんだ。


「お嬢様」


「わ、分かっている。ここでは食べない」


「持って帰れませんよ。こんな潰れやすいもの。ユシィさんに差し上げたらどうですか」


 ユシィが肩をすくめ、小さく笑った。「さすがお嬢様、果物をかじることもできないなんて」と心の中で言っているに違いない。


 別にお腹は減ってないし、桃が好物というわけではない。

 ……だけど、今ここで食べてみたい。ほのかに甘い匂いがして、とても美味そうだ。それに、せっかくルルタがくれたのに、ユシィになんて渡したくない。


 もやもやとした感情が欲求に進化する。

 どんな味がするのか、どうしても知りたい。


 困り果てて、窺うようにルルタを見る。


「一口だけでも食ってみろって。すげー美味いから」


 その柔らかい笑顔を見ていたら、悩んでいるのが馬鹿らしくなった。


「あっ……」


 私はリュカットの制止を聞かず、桃を両手で持ってかじりついた。がぶりと行きたかったのだが、どれだけ口を開ければいいのか分からず、結局小鳥のような一口になってしまった。

 口の中に広がる風味。甘くて温くて、とても優しい。


「…………美味しい」


「今が旬だからな」


 やや青臭いが、なかなかイケる。

 指と口の周りを果汁まみれにしつつ、半分以上食べた。種に近づくにつれて、繊維だらけであんまり美味しくない。 

 諦めて、ユシィの真似をして地面に落として砂をかけておいた。きっと残りは他の動物が食べるだろう。


 なんだか今、大自然を身近に感じた。心が洗われるようだ。


「ああ……知りませんよ。お腹を壊しても」


 リュカットが痛ましげな表情をしつつも、水で濡らしたハンカチを差し出してきた。手がねちょねちょするので助かった。これ、服に付いたら大変なことになるな。気をつけよう。


「全く……お嬢様に変なことをさせないでください」


「は? 全然変じゃなかっただろ。リスみたいで可愛かった」


「こんな獰猛なリスは嫌です」


 しれっと失礼なことを言われたが、今は幸せなので怒る気分になれない。

 このことは兄上様に報告されるかもしれないな。だけど、叱られてもいい。


 この味を知らないことの方が、よほど後悔しただろうから。




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