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13 単位の対価

 


 ユリウス先生はなかなかの変わり者だ。

 先祖代々農業や貿易に尽力して王国の経済を支えているフォーマルハウト家で、彼だけは教職に進み、熱心に魔物研究をしている。……趣味で。


 彼の研究室に呼び出され、私とルルタは室内をぐるりと眺めた。魔物の標本と剥製だらけだ。

 アンブルウルフ、パラサイトビートル、リトルクラーケン……それらがところ狭しと並んでいるのだ。正直気持ち悪い。どんな学術的価値があるとしても、この節操のないラインナップにはドン引きである。


 これらは全てユリウス先生の私物らしい。この人が未だに独身の理由をなんとなく察した。


「まずはこれ、解いて。制限時間は三十分」


 先生は気怠げに紙を手渡してきた。

 王国史のテストだ。もしかしてこれで合格点を取れば単位をもらえるのだろうか?

 そうだとしたら、願ったりかなったりだ!


 内心喜ぶ私とは対照的に、ルルタはあからさまに嫌そうな顔をしていた。こいつにこのテストは難しそうだな……。

 というかこれ、王国史の修了試験じゃないか? 全ての授業を受け終わっていることを前提にした問題が数多く見受けられる。


 とりあえず、二人それぞれテストを解いた。

 考察の部分に少々手こずったが、私はほとんど解答欄を埋められた。幼い頃から家庭教師をつけてもらっていた甲斐があったな。

 採点後にユリウス先生が頷く。


「ライラは問題ないね。本当に、何を学びにこの学院に来たんだか。ルルタくんは……ひどいな。もしかして、読み書きに苦労している?」


「文字は読めるんですけど、書くのがまだ……つーか、答えも分かんねぇっす」


「きみはきみで、何をしに学院にきたんだか。異世界人ならともかく、文字の書き取りすら満足にできない者が、王国最高峰の王立学院に入学するなんてね。あと数年、独学で勉強してきた方が良かったんじゃない? このままじゃあ、どの座学も受からないよ」


 がっくり項垂れるルルタ。なんて声をかければいいのか分からない。

 今まで魔王軍と戦争していたルルタに、文字の読み書きを覚える暇なんてなかっただろう。地方では識字率も低いと聞くし、ちょっと可哀想だ。


「まぁ、文字は覚えるべきだけど、歴史なんて空虚なもの知らなくたって構わないさ。生きていくには困らない」


 そう言ってユリウス先生は、火の魔法で私たちの解答用紙を燃やした。

 おい教師。さすがにその言動は問題じゃないか?

 ……とは言えず、私は純粋に首を傾げる。この人は何がしたいんだ。

 

 ユリウス先生は眉一つ動かさずに言った。


「……オルフェに頼まれたんだ。ライラの必修科目の単位をなんとかしてやってくれって」


「兄上様に?」


「王国史での一件は聞いているよ。正直どっちもどっちだと思うけれど、平等を謳うこの学院で、ベガトリアスの末裔だからって勇者への道を閉ざすのは間違っている、と僕は思う。授業を受け続けていれば、間違いなく単位が取れることも分かったし、可哀想だから救済措置を用意してあげることにした」


 心からどうでも良さそうな口ぶり。この人のことはあまり詳しくないが、この部屋を見て思うこと、それは――。


「……何を餌に兄上様に釣られたのですか?」


「リキッドジェリーフィッシュの亜種。ピンク色の個体なんて、滅多に手に入らない。早く薬品漬けにしたい……」


 ユリウス先生はまだ見ぬピンクのクラゲを想い、ため息を吐いた。普段は何を考えているか分からない冷血漢なのに、魔物のことになると恋する乙女のような瞳をするんだな。本当にドン引きだ。


 しかし兄上様、ユリウス先生と取引をしたのか。

 我が家は薬の製造のため、世界中から珍しい素材を取り寄せている。その仕入れルートを駆使すれば、大抵のものが手に入る。ユリウス先生への賄賂を用意することは難しくない。


 だが、兄上様と先生は年齢が近いわりに親しくしている様子がなかった。てっきり仲が悪いと思っていたんだが……。


「ここに呼ばれたってことは俺は? テストがさっぱりでも、その救済措置っての受けられるんすか?」


「構わない。きみのことは辺境伯から頼まれている。まぁ、ここで卒業資格を奪うには惜しい人材だと思うし」


「……じっちゃんからも何か?」


「近々超大型のエナメルガゼルを送ってくれる。解剖するのが楽しみ」


 穏やかに目を細めるユリウス先生に、ルルタは苦笑した。

 私に目線で「この人ヤバイな」と語りかけてくる。小さく頷いておく。


「とにかく、本来ならば必修単位を落とした人間に救済措置なんてない。これは、性質の悪いひいきだよ。知られれば他の生徒の反感を買うことになると思う。それでも受ける?」


「無論です」


「俺もやるぜ」


 私は、喉から手が出るほど卒業するための単位が欲しい。今更周りの評価なんて気にしていられるか。王国史の授業で受けた仕打ちは納得できないし、このまま泣き寝入りするのは負けを認めるような気分になる。


「ユリウス先生はいいのですか? 特定の生徒をひいきしても」


「ひいきする価値もない愚鈍な人間に非難されても、何も響かないから」


 いいのか教師。いや、何も言うまい。

 ユリウス先生は無表情のまま一枚の地図を取り出した。いろいろと書き込みされている。


「これは学院が所有するトレミー大森林。秋の演習できみたちが使う場所だ。例年冬期休暇の間は管理できないので、春先から夏にかけて事前調査を行っている。今年はきみたちにこの書き込みを一つ一つ確認してきてもらう。魔物の住み処が変わっていないか、何か異変がないか、見回ってほしい」


「…………」


 それ、本来なら教師の仕事だろ。

 学院に入学したばかりの生徒を魔物が出るような場所へ行かせていいのか?


「マジ? ライラと一緒に森を探検すればいいってことか? そんなの、ご褒美でしかねぇ……」


「もちろんそれだけじゃダメ。森林の生態系についてのレポートか、珍しい素材を提出してもらう。ざっと見積もっても三か月はかかると思う。それも学院の授業と並行してやるんだ。休日も少なくなるし、危険も多い。それでも、本当にやる?」


「構いません」


「やる!」


 ユリウス先生は薄らと笑みを浮かべ、誓約書を取り出した。


「じゃ、これに署名して。この特別演習で命を落としても文句は言わないってことで。大丈夫。秋の演習でもみんな書くから。この大森林で死んだ生徒は、学院創立から数えても五十人くらいしかいない」


 結構いるじゃねーかと思いつつも、私とルルタは誓約書に名前を書き、血判を押した。


「誓約書がまだ何枚かあるようですが?」


「ああ、それね。さすがにきみたち二人だけじゃ問題になる。最低一名は腕のいい医術師見習いをパーティーに入れて。デートに行くんじゃないんだから、節操は守ってもらう」


「っ!?」


 変な単語を出さないでほしい。

 喉の奥がひっくり返りそうになった。


「初回だけは僕も一緒に行くよ。次の虹の日、早朝に学院の正門に集合。パーティーメンバーは学院の生徒限定で頼むよ」


 ユリウス先生はそれだけ告げると、もう私たちに興味はないと言いたげに魔物の骨に視線を移した。





 この特別演習は医術師見習い――学院内の生徒に付き合ってもらわねばならない。

 私が声をかけられるのはリュカットくらいだ。帰り、待たせていた従者にさっそく説明する。


「もちろん同行はしますが……正直僕では医術師としては力不足ではないかと」


 リュカットは優秀な方だと思うが、まだ医療術の初歩くらいしか習得していない。

 ユリウス先生が指定した「腕のいい」には当てはまらないだろう。


「というか、なぜこんな無茶な課題を……しかもルルタ・アルシャインと一緒だなんて、オルフェ様になんと言って報告すれば……もしかしたら嫌がらせでは……」


 悶々と悩み出してしまった従者を放っておき、気が進まないが、私はルルタに視線を向けた。


「普通にユシィに頼めばよくね? あいつ、そこらのプロより腕はいいはずだぜ」


 アポロ戦線を支えた天使の愛弟子。彼女ならば実力は問題ない。

 ……だが、私が一緒で引き受けてくれるだろうか?


 放課後、ユシィがいつも出入りしているという学院のサロンに向かった。学生たちの憩いと交流の場として、そういった場所がいくつか開放されているのだ。

 ルルタに連れてこられたのは、暗黙の了解で貴族か金持ちしか出入りできない高級サロンだった。私も足を踏み入れるのは初めてだ。


「ユシィさん、ああ、お美しい!」


「あら、ありがとー」


「あなたのために薔薇のイヤリングを用意しました。きっとお似合いになるでしょう」


「綺麗ね。わたし、薔薇は好きよ」


「私ならば、世にも珍しい三色の薔薇園を用意できます。今度、ご招待しても?」


「考えておくわ」


 恐ろしい光景だった。

 広いサンルームには観葉植物が溢れ、テーブルには色とりどりの菓子が溢れんばかりに並び、革張りのアンティーク調のソファにユシィが枝垂れるように寝そべっている。そして、男たちから胸焼けするような接待を受けていた。


 ユシィはこの場で最も身分が低いはずなのに女王のように振る舞い、この場を支配していた。

 なんて女だと呆れる一方、彼女の振る舞いの違和感のなさに驚愕する。

 まるで、平民という身分の方が間違っているかのように錯覚しそうだ。


 いや、騙されるな!

 風紀を乱しすぎだろう、いくらなんでも!


 女神と呼ばれるくらいなので、もう少し清純な娘なのかと思ったんだが、放課後に学院内で逆ハーレムを築くとは……。

 というか、ルルタにこんな姿を見られてもいいのか?

 私が心配することじゃないが、気になってしまう。


 室内に満ちた甘ったるい香りにげんなりしつつ、私たちはサロンに足を踏み入れた。

 突然現れた私たちに、男どもが殺気立つ。落ち着け。そして目を覚ませ。その赤い顔、酒や危険な薬物をやってないだろうな? ダメだぞ、絶対!


「あら、ルルタ。何か用?」


「おう。今度特別演習って言うの受けるんだけどな、医術師がいなきゃダメなんだって。ユシィ、一緒に来てくれねぇか?」


「……意味分かんなーい」


 ルルタの説明は大ざっぱすぎるし、私はあまり話しかけたくなくて黙っていた。なので、リュカットが代わりに上手いこと話してくれた。

 ちなみに男どもはユシィの一声で即座に席を外した。よく調教されている。


「えー? 虹の日はデートが三件も入ってるのよ。それを、あんたの単位修得のために断れって言うの? あり得ないんだけど」


「頼む。この通り!」


 ルルタが頭を下げると、ユシィは小さくため息を吐いた。

 お? 結局幼なじみの頼みは断らないのか?


「いいわ。ただし条件がある。……ねぇ、ライラ様。わたしのお願い、聞いてくれるかしら?」


 研ぎたての刃のように鋭く視線を切り、ユシィが私を見つめて唇をぺろりと舐めた。


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