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1 入学の儀



 私は子どもの頃から勇者になりたかった。


 勇者は誰よりも強く、高く、熱い。

 弱き民を助け、悪をくじき、たとえ自分が傷ついてでも守るべきもののために戦う。


 魔王復活に怯える世界で聖剣を手に取り、信頼できる仲間たちと魔境ガランドリネを駆け抜ける。

 胸躍る冒険譚を自分の手で紡げたらと、考えるだけでワクワクが止まらない。


 ……そんな風に純粋に勇者に憧れている時期があった。

 今は違う。

 勇者を目指しているのは変わらないが、幼き日とは何もかもが変わってしまっている。






「ねぇ聞いた? 今年の入学の儀の勇者役、シェリアーク大公のご令嬢なんですって」

「マジかよ! 学院の質も落ちたもんだな!」

「裏切り女勇者の末裔……アウリオンの恥さらしめ」


 道行く人々の声に私は小さく舌打ちをする。

 何も知らない輩が好き勝手言いやがって……鬱陶しい!


 世間の声は私に厳しかった。

 男どもが手加減しただの、大公家に遠慮しただの、様々な憶測が飛び交っている。どうあっても私が実力で勇者役を勝ち取ったことを認めようとしない。

 違うな。認めたくないんだろう。


 私がアウリオン王国最大の汚点、女勇者ベガトリアスの末裔だから。


 ……別にいい。今はどれだけ悪く言われても構わない。

 往来で他人の悪口を言うような連中、相手にするだけ時間の無駄だ。


「わたし、今日は魔王役を応援しちゃおうかな!」

「そうだな。だーれも女勇者なんて望んじゃいない」

「魔王に滅ぼされた方がマシさ」


 あ、気が変わりそう。

 私が拳を握りしめたところで、斜め後ろから咳払いが聞こえた。


「お嬢様。オルフェ様とのお約束事をお忘れですか?」


 従者の青年リュカットが私を見下ろし、鼻で笑った。

 年齢はあまり変わらないというのに身長差が凄まじく、睨みつけるのに苦労した。こいつの背が平均より高く、私の背が平均よりかなり……いや、ほんの少しだけ低いからだ。


「入試トップの新入生が平民相手に暴力沙汰……歴代最速での退学者になりそうですねぇ。きっと目立ちますよ。お好きでしょう? そういうの」


 ねちねちと、この陰険野郎が。

 私とリュカットの間にピリッとした空気が流れる。昔からの顔なじみではあるものの、こいつが私の従者、もとい、お目付け役になったのはつい数日前のことだ。私はこいつに興味がないし、こいつは私を心底嫌っている。


 良い機会なので上下関係を拳で教えてもいいが、私は馬鹿らしくなって手の平の力を抜いた。


「……別に。私は目立ちたいわけじゃない」


 私が目立ちたがり屋ならば、入学の儀が行われる闘技場にシェリアーク家の豪華な馬車で乗りつけている。わざわざ変装して徒歩で向かっているのは私なりの配慮だ。


「そうですか。くれぐれもオルフェ様の、シェリアーク家の名をこれ以上陥れることのないよう、立派に勇者役をこなして下さい」


「言われなくても」


 そうこう言っているうちに闘技場に到着した。

 うん。やはり馬車で来なくて良かった。闘技場周辺の道は渋滞しており、馬車は身動きが取れない状況だった。


 控室で髪を結ってもらい、特注の白金の鎧と赤いマントを身につけ、兜を脇に抱える。

 学院の教師から剣を受け取り、一礼。

 我がアウリオン王国の聖剣を模した剣に、思わず笑みを零しそうになる。だけど我慢だ。素直に喜んだら、子どもっぽいと思われそうで嫌だ。


「第一二三期入学試験首席ライラ・シェリアーク殿。勇者として、魔王を討たれよ」


「はい」


 通路で待っていたリュカットをちらりと見る。私の装いに感想もないらしく、つまらなそうな目をしていた。


「じゃあ行ってくる。退屈なら兄上様のところに行っていてもいいぞ」


「いえ、上級貴族席に立ち入るのは……。こちらで拝見しています」


「そうか」


 闘技場の入り口をくぐろうとしたとき、リュカットが私の背に声をかけた。


「お嬢様、今年の魔王役はアポロ村の出身者らしいですよ。……お気をつけて」


「それは良いことを聞いた」


 顔がすっぽりと隠れる兜をかぶり、私は闘技場へ入場した。

 学院の生徒とその保護者、そして物好きな王都の民で埋め尽くされた客席はなかなか圧巻だった。

 鎧がびりびりと震えるほどの歓声が響く。しかし私を蔑む嘲りの気配を感じ、高揚した心が萎えていく。


 あ、今「小さい」って言った! 「コネ」や「買収」って言葉も聞こえたぞ!


 はしゃぐ平民たちとは裏腹に、貴族席にはどんよりとした空気が漂っていた。

 私に入試で負けた奴らだろうか。兄上様が肩身の狭い思いをしていないと良いが。


 ……だめだ、集中しろ。観客のことを気にしている場合ではない。

 今は魔王を倒すことだけを考えなければ。


 魔王と言っても、もちろん本物ではない。

 平民の新入生が魔王に扮しているだけだ。

 入試トップに与えられる名誉な勇者役とは違い、魔王役は平民の中から志願した者が務める。望んで魔王役をやるなんて、酔狂な奴がいたものだ。


 王立学院の入学式では、千年前の初代勇者と魔王の戦いを再現する。

 それが俗に入学の儀と言われる儀礼試合だ。


 伝承によると、戦いは聖剣と魔剣による七十七回の打ち合いの末、勇者の放った七色の一撃で決着がついたという。魔王はとどめを刺される前に自らを封印して勝敗をうやむやにしやがったが、この儀式では魔王役に倒れてもらう。


『魔王軍との千年の戦いに終止符を打つのは、我々の代だ!』


 そういうメッセージ性を持つ儀式である。気は抜けない。

 まぁ、会ったこともない相手と剣を交えるのだから、気を抜いていると怪我をする……相手が。


 一応、怪我を防ぐため、七十七回剣を交えるところを、簡略化して七回目の打ち合いで魔王役が倒れることになっている。

 ところが、毎年怪我人が絶えないのがこの行事。

 七も数えずに魔王役を倒すことが貴族の間で慣例化しているのだ。

 剣を交えることなく魔王役に強烈な一撃を与えノックアウト、場合によっては大怪我を負わせることも辞さない。


 平民の新入生は七度すら持ちこたえることができなかったことに狼狽え、貴族の圧倒的な力を思い知る。今後の学院生活での序列をはっきりと示されるわけだ。


 性質の悪い勇者役だと、大衆の前で新生活に夢を馳せている平民を叩き潰して愉悦に浸るために魔王役を嬲り倒していた。

 ……馬鹿馬鹿しい。そんな性根が腐った奴に、アウリオンの貴族を名乗ってほしくないものだ。


『あれは悪習だ。見苦しい。ライラ、お前は七回まで相手に持ちこたえさせなさい』


 兄上様にもそう厳命されている。

 リュカットの話では、今年の魔王役は最前線の村の出身。

 全く武術の心得がないということはないだろうから、七度は打ち合えるはず。


 ほどなくして、対面の入口から黒い鎧とマントを身に纏った者――魔王役が入場してきた。観客の声が一層大きくなり、もう一人一人が何を言っているのか分からない。


「…………」


 私は息を飲んだ。

 なるほど。確かに今年の魔王役は強そうだ。オーラがあるというか……観客として見てきた過去数年の魔王役の中に、これほど貫禄のある者はいなかったな。

 上背があり、体つきも引き締まっている。ごついというほどではないが、鍛えている男の体だ。私ではとても扱えないような大きな模造魔剣を肩に担ぎ、平然と歩いてくる。


 私と魔王役が向かい合って立つ。

 お互い兜で顔は分からないのだが、この大舞台に緊張した様子は全くない。辺境の村人の割に、随分肝が据わっているようだな。


 それにしても、またしても身長差が……というか体格差がヤバい。

 観客の忍び笑いが聞こえてくるような気がして、ぎゅっと奥歯を噛みしめる。


 ……相手もやりづらいだろうな。

 これまで何度もあったことだ。私は小柄な女、ましてや三大大公家の直系の血を引く者だ。剣術の訓練で対峙した同年代の少年たちは、気まずそうにもじもじしていた。

 まぁ、私の実力を知ると、今度は焦って叩き潰しに来たが。その上負けたら「女の子相手に本気になれませーん」とのたまうのだ。


 思い出すだけでムカムカしてきたが、息を深く吸い、苛立ちもろとも吐き出した。 

 これは勇者役の勝ちが決まっている儀礼試合。魔王役が手加減することも、私が魔王役に怪我をさせないように手を抜くのも当然の配慮だ。

 ようするに格好がつけばいいんだろ。


 心を静め、腰の剣を抜く。魔王役も剣を肩から下ろして構えた。

 すっと熱が引いていくように、闘技場から音が消える。散漫になっていた意識が一点に集中し、自然と眉間に皺が寄った。空気が重い。

 場内の緊張感がピークに達したとき、儀式の開始を告げるラッパが高らかに鳴り響いた。


「っ!」


 まずは小手調べで剣を合わせようと、私が軽く地面を蹴ると同時に、魔王役の大剣が目にも止まらぬ速さで振り下ろされた。全身の肌が粟立つ。


 まずい!


 咄嗟に全身と模造聖剣に魔力を行き渡らせる。


 重い金属音が衝撃波とともに弾けた。かろうじて直撃は防げたものの、私は開始地点よりも後ろに吹き飛ばされた。膝を地面につかなかったことは奇跡と言っていい。

 強烈な一撃が炸裂し、観客たちがわぁっと声を上げる。一部、上級貴族の席がざわめき出した。


 今の一撃は……こいつ、まさか!


 私が動揺に囚われている間、魔王が体格に似合わぬ俊敏な動きで間合いを詰めてきた。

 二撃、三撃と確かな威力を備えた剣が振るわれる。私は受け止め、いなすことしかできない。魔王役の振るう剣はどんどん力強さを増していく。


 女相手に手加減しようなんて、全く頭にないようだ。普段なら喜んだだろうが、今は戸惑いしかない。

 普通の十六歳の乙女ならば、とっくに吹き飛ばされて気を失っているだろう。いや、この一撃をまともに受ければ、剣と鎧は砕ける。死んでもおかしくない。


 私は魔力をエネルギーに変換し、模造聖剣を補強し、肉体強化を行っている。だからこそ耐えられている。

 相手は魔法も精霊術も習得していないはずの平民。魔力の扱いだって知らないだろう。この馬鹿力は彼の自力に他ならない。


 焦りで剣が鈍る。

 剣が激しくぶつかり合う音が、あっさりと七回を超えた。私は防戦一方のままだ。当然魔王を倒す一撃は入れられていない。

 観客たちが大きくどよめく。十を超えてもなお続く打ち合いに釘付けになったまま。


「あれ? 魔王が倒れないぞ」

「おいおいどうなってるんだ?」

「まさか本気で勇者を倒すつもり……!?」


 戸惑いと興奮の声が闘技場に満ちていくにつれ、私の頭に血が昇っていく。


 やっぱりこいつ、魔王の負けが決められている儀礼試合で勇者()を倒しに来ている!


 なんてことを……。

 そこまで露骨な差別意識は持っていないつもりだったが、平静ではいられなかった。


 貴族への反抗? 女勇者への嫌悪?

 あるいは私に個人的に恨みがあるとか?

 どちらにせよ、舐めた真似をしてくれるじゃないか。


「この!」


 無理矢理押し返すような一撃で魔王を怯ませ、一度距離を取った。肺いっぱいに空気を吸い込み、呼吸を整えながら魔王を睨みつける。


 とんだ恥さらしだ。

 兄上様が観ている。暇を持て余している王族だって来ているだろう。何より、何千何万の民が魔王を仕留められなかった勇者を見つめ、侮蔑の表情を浮かべている。

 やっぱり女勇者はダメだ。ベガトリアスの末裔を勇者役にするからいけない。そんな声が聞こえてくるような気がして、私は震えた。


 絶対に許さない。この暴挙、必ず後悔させてやる。



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