【15】
そこは以前来た時には無かった騒々しさに包まれていた。
各所で指示が飛ぶ。それに兵達が応え、次々と作業に取り掛かっていく。
それらきびきびとした規律のある兵達の動きに、彼らの常日頃の訓練の成果を垣間見ることが出来た。
エマ一行はインシュピットを離れオカドに戻ろうと山道を進み、そして、例の関所に到達していたのであった。
今、ライリーが義勇兵となるべくクランクラムから受け取った書類を確認している所だ。
ライリーはこういう書類にサインする時は隅々まで目を通す。もうサインすることは内心で決まっているのだが、これは癖のようなものでやらないと落ち着かないらしい。
何かの荷物が入っているのであろう木箱の上に書類を持った手を据えて集中しているその姿は、傍から見ていると少し怖い。集中し過ぎである。
「ごめんねー、うるさくて。上の方からさ、オカドが解放されたから配置を変えるようにって命令があったんだよ。その準備なのさ」
集中しすぎているライリーを眺めていたエマは、話しかけてきたクランクランに会釈をする。
それとは逆に、リュカはクランクラムなどいないかのように地龍を撫でていた。そして、偶に地竜と一緒にあくびをする。どちらも暇そうであった。
「大変そうですね」
「ああ、大変だとも。…エマさんの言ってたのはこの事だったのかな」
「さて、何のことでしょう?」
「…ま、今更だけどさ。一応知っておきたいのかなと思って言うんだけども。オカド村解放宣言を受けて、物流阻止と守備の観点から僕たちの配置はこの山の向こう…つまり、オカド村と天秤支配地の間って事になった」
そのクランクラムの発言を聞いてエマは「そうですか」と短く、しかし、嬉しそうに返す。
「はぁ、その顔はやっぱり最初からこうなるであろうことを予想して動いていたんだね、君たちは」
「それは買い被り過ぎというものです。クランクラム様こそ、最初からこうなるようにお考えであったのではないですか?」
「さて、何のことでしょう?」
どこかで聞いたような台詞を述べたクランクラムにエマは自然と笑顔になる。
その様子を遠巻きで見ていたリュカと地竜は「「けっ」」と、一緒に悪態を付いた。とても仲が良いように見える。
「…私の考えていたことはもっと単純でありました。オカド村解放を声高に宣言すれば、冒険者ギルドならばオカド村の維持に協力してくれるだろうと思ったのです。汚名返上の機会をみすみす逃すことはないでしょうし、私達が天秤への防波堤になると言えば援助も受けられるだろうと、そういう浅はかな計画でした」
「そうかい、そうかい。いや、十分だと思うけどね。それで、ギルドからの援助は受けられたのかな」
「十分なほどに」
「それは良かった。そうだ、ここまで話したなら聞いてしまってもいいかな?」
「何でしょうか?」
「僕は貴方の御眼鏡には適ったのかな?」
「やはり、分かってしまいますか。はい、とても素敵な殿方でありました」
その話を遠巻きで聞いていたリュカと地竜は「「けっ、けっ」」と、同時に悪態を付いた。意思疎通は完璧のようだ。
「うんうん、美人なお嬢さんに褒められるというのは男冥利に尽きるねぇ。あ、これ以上は保護者さんに怒られそうだから止めておくよ」
「誰が保護者だ」とリュカはぼそりと呟くが、二人ともこれを聞こえないふりで通す。
「自分を利用した、と、お怒りになるものかと…いえ、これは逆にクランクラム様に対して失礼に当たりますね。申し訳ございません」
「そんなに良い様に評価してくれているとなると、怒るに怒れなくなるよ。さて、それも考えてのこと…かな」
「さて、何のことでしょう?」
「どこまでがエマくんの描いたものだったのか、それとも全てがそうだったのか、話を聞いているうちに益々分からなくなってしまったよ。自分の行動も、なんというのかな、こうするようにと選ばされたのではないかという気にさえなってくる。女心は永遠の謎とはよく言ったものだ」
「女心は分からないものと決めつけて考える事を止めてしまうからこそ、答えが今目の前にあるのに見失ってしまうのではないでしょうか?」
「ふふ、君のような人には是非とも軍に来て欲しいと言いたい所なんだけどね。内情を知る身としてはそう手放しでお勧めできないのが残念な所だよ」
「義勇兵の身であれば、いつか共に戦場に立つ日も来るかもしれませんが」
「ま、それが今の落し所としては最善なのかもね。さて……ここから先は僕の独り言だ。僕は平民出身でね。だから、いつもこういう前線に引っ張り出される事が多いんだ。そして、見るんだよ。いつも力のない民たちが傷付くのを、さ。僕はそれが嫌でね。どんな理由であっても彼らを傷付ける者がいたなら、僕の剣はその者に向けられるよ」
瞬間、クランクラムから殺気が放たれる。
とっさに書類を手放し、槍を構えたライリーと既にクランクラムの背後まで接近したリュカ。
しかし、すぐに霧散した殺気に両者の動きがぴたりと止まる。
「心に留めておきましょう」
「ま、独り言だから気にしないでほしいよ。しかし、そう涼しい顔して受け止められるというのも、なんだか拍子抜けなものだねぇ」
場の空気は弛緩するが、どこか影を含んでいる。
さまざまな想いが交錯し絡み合い、ぶつかり合って解けていく。エマはそれを感じていた。
その一方で、ライリーは手放した書類が風に飛ばされていくのを必死で追いかけていった。