解決編
畑中は、吉岡に言った。
「まず、何故犯人が現場を密室にしようとしたのかを説明しよう。普通、密室殺人というものは自殺に見せかける為に行うものだ。犯人が脱出できない室内で、人が殺されて、室内に他に人がいなかったと言うのなら、包丁を刺せるのは被害者自身のみだ。ところが、今回の殺人では、犯人が自殺に見せかけようとした様子はない。背中に包丁を突き刺すという殺害方法は明らかな他殺だった。これは何故か。これから先は俺の推測に過ぎないが、犯人も当初は自殺に見せかけるつもりで密室トリックをこしらえたのだろう。しかし、被害者の抵抗を怖れるあまりに、つい背中に包丁を突き刺して殺害してしまったんだ。後ろから刺すという行為は、被害者の視界の外から狙ったということで、おそらく被害者の抵抗を怖れるあまり咄嗟に行ってしまったものだろう。こういう恐怖感は実際に殺人に至るまでは分からないものだ。実際には被害者の抵抗はなかったと思う。何故ならば背後から刺せているからだ。抵抗する人間の背後を取るのは至難の技だからな」
「明らかな他殺にしたのは、犯人にとっては予定外のハプニングだったんですか……」
「正面から刺せば、一見自殺に見えるように殺すことも不可能ではないと思う。だが、吾郎の抵抗を想定した時に、背後から刺したのは、被害者に体力的に劣る人間ならば妥当な選択だろう。しかし、一体誰が、吾郎が自分の背中に包丁を突き立てたと思うのだろう。そんなことは不可能にして不自然だ。だから、犯人は焦ったことだろう。ところが、犯人には密室殺人のトリックの用意があった。他にトリックを用意していなかったこともあって、急な計画の変更をするよりも、予定通りに現場を密室にすることを選択したんだ。自殺に見せかけるより効果は少ないが、警察が殺害方法を立証できないという状況を生み出すことはできるからな」
「畑中さん、冴えてますね」
「うるさい。ここから本題だ。犯人がはいかにして、密室状況を作りだしたかという話だが、最初、俺は鍵が死体の向こう側の壁際に落ちていたということに対して、その地点まで鍵を移動させることは可能なのではないかと考えた。書斎のドアを見れば、やはりドアの下には、床とドアの間に隙間があった。つまり、鍵の入り口はあったわけだが、肝心の鍵を引き込む力は何だったのだろうと考えた」
「なるほど」
「ところが、俺はその鍵を引き込む力を見つけたんだ」
「見つけたんですか」
「この時計だよ。犯人は時計の秒針に紐を絡めたんだ。まず、長い紐を用意して、その紐の一方の先を時計の秒針に結んで、軸に絡めることによって、回り続ける時計の針が紐を巻き取る仕掛けにしたんだ。これが、鍵をあの地点まで引き入れた力だったんだ」
「非常に機械的なトリックですね」
「もう紐の一方には鍵をくくりつけたのだが、これがこのトリックのポイントで、鍵の付け根と紐を氷によって接着したんだ。冷凍庫で、水の中に鍵の付け根と紐を沈めておけば、案外、簡単に作れるだろう」
「氷、ですか」
「最終的に、時計から鍵が紐でぶら下がっている状況で死体が発見されたら、こんなトリックはばればれだろう?」
「頭がこんがらがってきました」
「つまりだな、犯人は予定している時間が来ると、氷が溶けて、時計の紐から鍵が独りでに外れて、床に落ちる仕掛けになっていたんだ」
「犯人はつまり何をしたんですか」
「つまり、犯人は殺害後、時計に紐を絡めて、室外に出て、鍵を締めた後、鍵を手放した。鍵は時計の回転に巻き取られて、ドアの下の隙間から室内の時計の真下まで引き込まれた。時計に巻き取られて鍵がぶら下がってから、氷が溶けて、鍵が外れて床に落ちて、紐は時計に巻き取られて見えなくなったんだ」
「そういえば、床に水滴が落ちていましたね」
「それは氷が溶けた水だったんだ」
「でも、このトリックだと現場の時計には、紐が残っているはずですよね」
「そうだ。それなのに、さっき見たら時計には紐が残されていなかった。紐は犯人が回収したんだろうが、そんなことができる時間は時彦がドアをぶち壊して、死体を発見した後しかない」
「そんなことができるのは一人しかいませんね」
「ああ、香川真弓だ。死体発見後、運良く殺人現場を一人で任されて、紐を回収するチャンスが出来たもんだから、臨機応変にそのチャンスを活かしたんだろう。ところが、かえってそれが命取りになったんだ」
「香川真弓自身、その時間、誰も来なかったと証言していますからね」
一点、引っかかるところがあるらしく、吉岡は訊ねた。
「しかし、証拠が不足していますね」
「いや、ある。この時計だ。一見、十二時丁度を指しているように見えるな。長針は十二時の文字盤を指し、短針は十二時と一時の文字盤の中間を指している。しかしな、時計はふつう十二時丁度には、長針も短針も両方とも十二時の文字盤を指すものだ」
「これは、つまりどういうことなんですか?」
「これはね、時計が逆さまにかけられているということなんだ! つまり、指している時間は六時半だ。おそらく、香川真弓は絡まった紐を回収するために針を回したんだろう。その後に、時計を逆さまにもって時刻を直してしまったんだ。ちゃんと数字が書かれた文字盤ならば、こんな間違いは起きなかっただろう。しかし、この時計は四角く白抜きされたマークで数字を表していて、上下逆さまになっても誰も気づかない。だから、こんな間違いが起きたんだ」
「時計がトリックに使われた証拠ですね。でも、犯行のずっと以前から逆さまにかけられていたのかもしれませんよ」
「いや、少なくとも昨夜以降だ。見てみろ、取材の写真ではまだ時計は正確に時を刻んでいる。つまり、少なくともこの写真が撮影された後に、時計はいじられたんだ!」
吉岡は写真を見た。小さく写り込んだ時計は六時半を示していた。短針は正確に六時と七時の文字盤の中間を指していた……。
*
香川真弓が美樹山吾郎を殺した動機は、三角関係のもつれだったということが、この後に、判明した。
香川真弓は、美樹山家の財産に興味があった上に、美樹山吾郎に言い寄られたらしい。そこで、香川真弓も財産を得る為に、気のあるフリを当分はしていたが、美樹山吾郎の性格の悪さに嫌気が差してきたという。
そんな頃、香川真弓は美樹山時彦と恋に落ちてしまう。時彦は、若く真面目で性格もよかった。そして、財産があった。
美樹山吾郎が、これに気付いたことが、事態を悪化させた。美樹山吾郎は香川真弓を辞めさせようとした。
真弓は、美樹山家の財産を得るのと、時彦との結婚を考えると、どこまでも吾郎の存在は邪魔だったという。
かくして香川真弓は吾郎を殺害した。
また、香川真弓の財産に対する執着は、幼少時代の貧しい生活に対するコンプレックスからくるものだと分かっている。
時彦はというと、吾郎と真弓の関係は知らされていなかったということである。
*
「まさか、俺の話を聞いただけで、事件の真相に気づいてしまうなんて、お前は本当に天才だな」
顔を赤くした畑中は、羽黒祐介の顔をまじまじと見ながら、さも満足そうに言った。
「天才だなんて……。事件を解いたのは畑中さんじゃないですか……」
祐介はそう言って、涼しげに笑い、ハイボールを一口。
「なあ、今度はお前の思い出を聞かせてくれよ」
畑中はそんなことをねだった。
「そうですね……。でも……」祐介は少し考えて「それは、またの機会にしましょう」と言って軽く微笑んだ。