捜査編
畑中刑事とその部下の吉岡刑事は、通報を受けてすぐさま現場に駆けつけた。
それは推理作家の美樹山吾郎の屋敷であった。その書斎で、美樹山吾郎は見るも無残に殺害されていたのである。
検死が終わり、死体が運び出されると吉岡は畑中に言った。
「美樹山吾郎って、何を書いていた人なんですか?」
「推理小説らしい。密室殺人を得意としていたというがな……」
「それはなんとも皮肉な話ですねぇ」
何がそんなに皮肉だというのか。実はその吾郎自身が、密室で殺されてしまったのである。
美樹山吾郎は今話題の推理作家で「平成のディクスン・カー」と呼ばれていたほどであった。推理作家のディクスン・カーといえば、英米の推理小説の黄金時代に活躍した密室ものの巨匠である。吾郎を「平成のディクスン・カー」などというのは、あまりにも大袈裟かもしれないが、その売れっ子推理作家が、密室で殺されたとなると、テレビや新聞は一体なんと書き立てるのだろう?
吉岡が状況を整理して説明し始めた。
「犯行時、この家には美樹山吾郎と、長男の時彦と、住み込みの女中の香川真弓の三人がいたんですよ。死亡推定時刻は朝の六時頃だと思われますね。その一時間半後に、時彦と香川真弓の二人によって死体が発見されたそうです」
「じゃあ、第一発見者が容疑者なわけか」
畑中は苦虫を噛んだような顔をした。
「はい。そのとおりです!それと、ドアは内側から施錠されていて開かなかったそうです。時彦が心配して、ドアに体当たりして強引に開けたところ、被害者が血まみれになって倒れていたっていうことなんです」
「そして、背中には包丁が突き立てられていたのか……」
畑中は眉をひそめつつ言った。
「そして、鍵は被害者の死体の向こう側に落ちていたそうなんです」
「なるほど」畑中はうなづいた「ドアは内側から施錠されていて、唯一の鍵は室内から見つかったわけだろ? それでいて殺人事件だ。犯人はどうやって部屋から抜け出したんだ……?」
「ということは、犯人は煙のように消え失せたんですね!」
「馬鹿もん! 推理小説の読みすぎだ」
畑中は吉岡の頭を叩いた。
「いてて……。でも、そういうことになるでしょう?」
「しかし密室殺人か……。馬鹿馬鹿しい。推理小説じゃあるまいし」
畑中は、吉岡を無視して現場を歩きまわった。正方形の部屋の中をぐるぐると回る。
「おかしいな。この水は何だ?」
「なんですって、水ですか?」
見れば、壁際の床に僅かな水滴が残っている。ここは鍵が、落ちていたあたりだ。
ちょうど上を見上げると、そこの壁にはモノトーンの時計がかかっていた。その時計は、簡単に壁に打ち付けられた釘に紐をかけて、ぶら下がっているもので、ガラスの蓋のようなものはなく、そのまま文字盤も針も剥き出しになっているのであった。文字盤も、数字が書かれているのではなく、ただの四角いマークが黒地に白抜きされていて、シンプルに表されていた。時計は今まさに八時過ぎを示している。
「特に何もないな」
畑中は時計を確認していった。この時計は、ちょうどドアと反対側の壁にかかっている。
「二人の容疑者の話を聞きに行くか……」
*
時彦は震えた声で叫んだ。
「私は何も知りませんよ! 一体なんでこんなことになったんだ。親父は一体、誰に殺されたんですか!」
「まあまあ、落ち着いて。今からそれを調べようとしているのです。その為にもご協力願いますよ」
「私が分からないのはね」時彦は言った「何故、親父は殺されなくちゃならなかったのかってことです」
「ふむふむ。まるで身に覚えのないと……?」
「そりゃあそうですよ。だいたいね、親父は仕事以外では人と付き合わないし、仕事上の付き合いにはプライベートなことを一切持ち込まない男だったんですよ」
「つまり、殺されるような人間関係はなかったと?」
「そうですよ。親父はそういう人間だったんです」
「しかしです。誰とも関わりをもたずに人間は生きていけるものでしょうか。吾郎さんにも、それなりの人間関係があったのではないですか?」
「ないですよ。うちの親父はそういう男だったんだ。仕事以外の交流はなかったんですよ」
「ふんふん」畑中は気にせずに何度も頷く「では最近、あったことを教えてください」
「別に。昨日は、雑誌の取材とか言って、書斎で写真撮影とインタビューをしていった輩がいましたがね」
「雑誌の取材ですか。そういう輩は、おそらく事件とは関係ないでしょうね。他には?」
「いつもどおり、でしたよ」
「なるほど。では、あなたが死体を発見した時のことを教えて下さい」と畑中は訊く内容を変える。
「先ほど言った通りですよ。また、聞きたいんですか? 仕方ないな、まったく。鍵が閉まっていましたから、体当たりをしてドアを開いた。そしたら、親父が……。私はその場を真弓さんに任せて、一階に降りて、電話をかけて、救急車とあなた方を呼んだんですよ」
「香川さんはその後?」
畑中はジロリと香川真弓を見た。
「私は扉の前で一人立っていました。怖くって……」
「誰か来ませんでしたか。気付いたこととか……」
「誰も来ませんでしたし、何も気づきませんでした……嫌ですね、何度言わせるんですか」
「いや、さっき訊ねた刑事は吉岡と言いましてね。多少、質問がだぶることもありますが、その点はご了承ください」
と畑中はわけもなく苦笑した。
「どうも、もたついてるようですね」苛々した口調で時彦が言った「犯人捕まえられるんですか?」
「今はなんとも、でも全力は尽くしますよ」またしても畑中は苦笑した。
*
十二時になった。畑中はまだ現場にいた。畑中は現場好きの刑事である。
「密室の謎か……」
「どうやったのでしょうか。犯人は一体、なんの為に……」
畑中は吉岡の言葉が耳に入らなかった。畑中はふとあるものを見てはっとした。
「な、なんだこれは……!」
「な、何がですか?」
畑中は時計を見ていた。時計はどうやら十二時丁度を示しているようだ。しかし、何に驚いているのだろうか。
「吉岡、これを見ろ。妙だろ?」
「ええ、もうお昼ですね。さては畑中さんもお腹減りましたか。僕はカレーが食べたいです」
「馬鹿もん! 短針を見てみろ」
吉岡はしぶしぶ短針を見た。短針は十二時と一時の文字盤の中間あたりを指していた。
「悪いが、昨日の雑誌の取材で撮影した写真を持ってきてくれないか?」
「わ、分かりました!」
その後、吉岡は一枚の写真を持ってきた。そこには、小さく時計が写っていた。六時半を示している。ここでも短針は六時と七時の文字盤の中間を指していた。
「わ、分かったぞ! 犯人もトリックも!」
畑中は大声を上げた。
*
「俺はあの時、稲妻に打たれたようなショックを受けたよ。あの瞬間に、俺はいっぺんに密室殺人のトリックに気付いちまったんだ」
畑中刑事と羽黒祐介の二人は、羽黒探偵事務所のソファーに座って、軽く酒を酌み交わしていた。顔の赤くなった畑中から、そんないつかの事件の思い出話を聞かされて、祐介はさも面白そうに笑った。
「畑中さん、今の話を聞いていて、僕にも真相が分かりましたよ」
「なんだって、お前、俺の話を聞いていただけだろ? それなのに真相が分かったって言うのか」
「ええ、まさに時計仕掛けの密室犯罪だったわけですね」
そう言って、涼しげに笑う祐介に、畑中は少しばかり悔しい気もしたが、やっぱりなんだか嬉しい気持ちが込み上げてきて、
「やっぱりお前には敵わねえなぁ」
と笑ったのだった。
*
さて、手がかりは全て提出された。
犯人は誰だろう……?
そして、犯人はいかにして密室を創り出したのだろうか……?