混迷とのこと
「それは、あまりお勧めできませんね」
星藍が、それこそけげんな表情で俺を見据える。
「いちおう理由だけでも教えてくれない?」
「ひとつは、夢都さんのスケジュールが取れるかどうかです。プログラム関係の部署にいますから、結構作業時間がシビアなんですよ。それにそもそも休日はないようなものなので」
なんかすごく実感がこもった声なんだけど。
「もしかして実際そういうことがあったの?」
「ありましたよ。休日に家族で買い物に行くとか仮にスケジュールを抑えておくじゃないですか。そりゃわたしだってイジメを受けていたけど、だからって外に出なかったわけじゃないんでね。ただフチンのスケジュールというか会社の都合で休日返上で仕事をしないといけないっていう……それで何回フチンやムチンに愚痴をこぼしたか――」
玉帝との思い出話をしているなか、星藍の笑みに殺気が滲み出てきていた。
「こっちもね? 休日に大好きなゲームとか日本のアニメを堪能しながら明日の糧にしたいのに、先に出かける予定を入れてるから、中止になったらほとんど手持ち無沙汰なんですよ。ほらよくありません? 楽しみにしていたゲームの発売がとつぜん中止になるとかそんな感じですよ」
「あぁ、なんとなくわかってきた。ようするに楽しみにしていたことがとつぜん変更になるからスケジュールをほとんど決めてなかったってことか」
というか、普通に堪能すればいいのでは?
「なので、基本的にゲーム会社に勤めている社員のスケジュールなんてあってないようなものだと思ってください。そもそも休みなんて取れれば万々歳ですよ」
「だったら星藍が直接訊いてきてくれれば」
「それだったら……といいたいですけど、あまりプログラミング関係の部署に口出しはできないんですよね」
星藍は苦笑を見せる。
「どういうこと?」
社員なんだから部署を訪ねるくらいはできるんじゃ。
「たしかにわたしは会社の社長の娘ですからね、会社に顔を出すくらいはいくらでもできるんですけど、わたしが口を出せるのはあくまで星天遊戯のバトルデバッグとかシナリオ関係のことまでなんですよ」
星藍は水筒のお茶を一口飲んでから、
「その時にわたしの企画が通ればいいんですけどね、通ったら通ったでそもそもイベントに参加できませんから」
とつまらなそうな顔で答えた。
「ってことは会えないってことか」
「そうは言ってないって。ただプログラム関係の部署は毎日VRギアの修正作業とかをしているからスケジュールが合わないというよりは、合わせられないっていうのが正しいのよね」
「合わせられない?」
「いや、だってそもそも煌乃くんって学生だよね?」
「んっ? それがどうかし……」
星藍が言いたいことがわかり、オレは頭を抱えた。
「合わせられねぇ、昼間は学校だし、夜はバイトもあるからほとんどスケジュールの咬み合わせができねぇ」
それじゃ休日は――と聞きたかったが、それはさっきほとんどないようなものと言われた。
「というわけで、夢都さんに直接会うのはあきらめたほうがいいですね」
星藍は、肩をすかしながら営業スマイルを浮かべる。
「それに、今は警察とか事件のことで会社自体ピリピリしてますしね」
「まぁそうだよなぁ。直接会って今回の事件でさっき話していたことが実際に可能なのかってことを訊きたかったんだけど」
オレは、もしかしたら振り出しに戻ってしまったのではないかと苦悶する。
「――んっ? 直接会うのはあきらめたほうがいい?」
星藍に視線を向けると、それに気付いたのか星藍は視線を逸らした。
「なにか裏技的なこと知ってるだろ?」
「い、いや……う、うちの会社ってなんかこう全員が全員ってわけじゃないけど、何人かがゲームの中でNPCに扮しているってのは知ってるよね? たしか夢都さんもNODのNPCとして参加していたはずなんだよ」
オレが詰め寄るように問いただすや、星藍は両手をあげるようにたじろぐ。
「それ、誰か知ってる?」
「中には、わたしみたいに個人的にプレイしている人もいるからね。それにあえて知っていても知らない振りをするのが礼節だと思うよ」
ということは知ってるってことだな。
「オレが一度でも会った人?」
「だから、それに関しては答えられないって」
星藍が困窮の笑みを浮かべる。
「基本的にはNPCはあくまでNPCなんだから」
「あまり世界観を壊しちゃいけないってことね」
運営のスタッフがNPCになって、プレイヤーの素行を監視しているみたいなことは、以前ボースさんから教えてもらったことがある。
「もしかしたらゲームの中で会えるかもしれないかねぇ」
腕を組み、さてどうしたものかと思考をめぐらせていると、
「あぁ、会えるかもねぇ。もしかしたらもう会っていたりしているかもねぇ」
星藍はホットドックを食べ尽くし、くちびるについたケチャップをティッシュで拭う。
「それじゃ、そろそろ午後の講義があるから」
と言って、星藍は席をはずした。
その仕草が、なんともオレからの質問から逃げているように見え、
「もしかして、誰なのか知っているんじゃ――」
オレは訝しげな気持ちで、去っていく星藍を目で追ったが、こっちもこっちで講義に出ないと単位にひびくので、おとなしく校舎のほうへと足を運んだ。
† † † † †
「つまり、シャミセンさんが考えているのは、人の記憶から一部分を抜き取ることができるかどうか……ということですか」
NODにログインした後、可能性を考えてケツバの屋敷に訪れたオレは、そこで偶然ログインしていた麗華に遭遇し、彼女から考えられる可能性を問いかけ、ありえるかどうかを確認していた。
「たしかに、ザンリがシャミセンさんたちにしたことを考えればそれをしていたという可能性もあったかもしれません。ですがそもそもそれは【抜き出す記憶を経由している脳波を調べる】ことができない以上は無理だと思います」
はっきりと否定された。
麗華は、そのエプロンドレスを優雅に着こなし、それこそ本当にメイドをしていたんじゃなかろうかと思わせるほどに無駄のない動作でオレにお茶を出してくれた。
それを一口飲むと、うむ、味覚を刺激させる電波が出ているのか、カフェ・オ・レの甘苦い香りが口の中に広がる。
一緒に出された滑らかなチョコレートクリームをサンドしたクッキーもサクサクとした口当たりでお茶とよく合う。
「そもそも人の記憶というものは、一日どころか五分前の記憶ですら莫大な用量になるんですよ」
「ということは、もうひとつの可能性としてサブリミナル効果による催眠効果」
「それもないですね。そもそもエフェクトの管理をしているスタッフもいますから、そういった異物があればすぐに見つけて報告をしているはずです」
「うーんそれだったらやっぱりVRギアから発せられる電波で脳を操っているとか」
そんなことを口にすると、
「それだけは絶対にありません」
と大声で忠告された。
「そもそも、そんなことをしたら人体実験をしていたんじゃないかとうたがわれてしまって、会社は倒産してしまいますよ」
「お、落ち着いて。口にしたオレがわるかった」
どうどうと、興奮している麗華をなだめる。
「第一、痛感設定だってあくまで自己責任ですけど態勢のないプレイヤーがあやまってダメージによる痛感が想定以上にショックを受けるとしてクレームが来たくらいなんですよ」
はて、それならなんでNODは常時痛感設定が100%なんなんだろうか。
そのことをたずねてみると、
「それがどうもプログラミングの時点でバグが出ているみたいなんですけど、その原因がわからないんですよね」
と、麗華は懊悩とした声で答えた。
「星天遊戯みたいに常時修正はしているんだろ?」
「もちろん日々プレイヤーを楽しませるための努力はしていますけどね」
麗華は、そう答えてから、
「ただ痛感プログラムに関してはどうも他のプログラムの弊害になっているみたいなんです」
と付け加えた。
「弊害って、たとえば?」
「モンスターのバトルステータスですかね。どうも痛感プログラムの一部を修正すると、モンスターのバトルプログラムに影響を与えているみたいなんです。ただそれが起きているのは痛感プログラムからだけみたいで、モンスターデータにはなんの異常もないそうで」
「ってことはあれか、よくゲームのパズルにある、特定のスイッチを押すと色がついて、いくつかのパターンを組み合わせながら、全部の色を点灯させるとクリアになるけど、そのスイッチがどうやって組み込まれているのかがわからない状態ってことか」
あれって、パターンがわかればいいんだけど、
「そもそもスイッチが全部ちゃんと作動しているのかどうかすらわからないってことか」
しかもそれをすると、最悪ゲームオーバーになりかねないってことね。
「シャミセンさんが先ほど言っていたVRギアから発せられる電波を使って脳を操るということはできなくはないと思います」
麗華は、顔をうつむかせると、
「ですが、そもそもそのようなことを玉帝はおろか、夢都さんがしようとは思えません。これだけははっきりといえます」
と声を強めた。完全な拒否の念だ。
それを耳にしながら、オレは麗華に質疑をぶつけても、これ以上発展するとは思えず、
「ビコウのあの反応だと、絶対会っているみたいなんだよなぁ」
とうなだれた。
「それがわかれば苦労はしないけど」
「はて、今回の事件でまだ誰か関係しているんですか?」
「まぁ、その夢都雅也ってスタッフが、NODにいるみたいな様子だったんでね」
それを口にしていると、
「なんじゃお前さん……雅也さんと会ったことを忘れておったか?」
老婆のような口調の、幼女がとことことオレのところへと歩み寄ってきた。
「ケツバ?」
「人の屋敷を訪ねに来ておいて、なんというマヌケな顔をしておる」
ケツバは椅子に座っていても身長が高いオレの顔を覗き込むようにして、けげんなかおつきを浮かべる。
まぁ、そもそもここはケツバが管理している施設だから、当の本人がいないというのは可笑しな話。
「いや、それより会ったことがあるってどういうことだ?」
「それならば、こんな文字に覚えはないかの?」
そういうと、ケツバは加工もなにもされていない木の杖を天に掲げ、その先を虚空の中で回転させる。
【ΨΤΖΧΩΞΦ】
魔法文字が展開されるのだが、まったく読めない。
「えっと、ギリシャ文字?」
「ちなみにスペルは『APOSTLE』――使徒のことですね」
オレが困惑していたのを見かねたのか、麗華が助言を投じてくれた。
「あれ? それだったらどこかで見た覚えが」
記憶を手繰り寄せながら、どこで見たかを思い出していく。
たしかルア・ノーバで【F】の魔法文字を手に入れたあと、ぶらぶらと町を歩いていたときに偶然見つけたテントの中で見たはず。
「いや、でもあの時クエスト処理をしたのは女性だったんだけど」
たしか年食った老婆のような声だったはず。
まぁ声なんてものはボイスチェンジャーみたいなやつをつかえばいくらでも変えられるだろうし、そもそも顔すら見えなかったんだよなぁ。
「――女性?」
ケツバが困却とした声をあげる。
「いや、ちょっと待ってください? たしか第一フィールドのクエスト処理は夢都さんがしていたはずですよ」
と、麗華が眉をしかめた。
それが本当だとしたら、オレは最初のころから会っていたってことか。
「でもなんか違うみたいだな?」
二人の反応からして、どうもオレが思っているようなことではないみたいだし。
「お前さん、実際に顔を見てはおるか?」
「いや、部屋の中が暗くてな、とつぜん老婆の声が聞こえたと思ったらフィールドクエストの受理をされてたんだよなぁ」
「可笑しいのぅ、第一フィールドのクエストフラグはラディッシュのところで情報を得たあと、そこに行くよううながされるんじゃが」
ケツバはオレを見据えながら、
「お前さんのその顔を見るかぎり、偶然見つけたといった感じじゃな」
その問いかけに、素直にうなずく。
「おーいジンリン……っ!」
サポートフェアリーを呼び出し、そのときのことを説明してもらおうと思ったのだが、
「たしかそのときってボクが***にフレイムとかの魔法文字を教えていたときだったよね?」
と困惑した顔を浮かべていた。
「えっと、どうかしたの?」
「ごめん、なんかわからないけどそのときのことが思い出せないんだよ」
「データなのに?」
首をかしげ、聞き返してみるが、
「データでもね、ワードソフトを動かしていてセーブされなかったらデータもなにもないと思うよ」
ジンリンは苦々しい顔で答えた。
「うーん、一回行ってみるか」
今日はレベル上げ以外に予定がない。そもそも――。
「セイエイたちから第三フィールドに行こうって誘いのメッセージも来てないしなぁ」
先に行ってしまうと、あの猟犬は不貞腐れそうな気がしてならない。
うん、ルア・ノーバに行って、例の施設を調べたら、一度メッセージを送ってみるか。




