悪役令嬢ぴるぴる7
ぱちり
目を覚ますと、目の前には心配そうに覗きこんでいるエド君の青い瞳があった。
額にかかる金色の髪に、すっきりした頬のライン。
「きれい」
うっとりして、その夢見心地のままにまた目を瞑りそうになる。
ところを、はっとして覚醒する。
「エドくん」
「え?」
「お父様が、お父様が、エ、エド君を・・・!」
ほろほろほろ。
涙でぼやける視界に手をさまよわせ、たどり着いたエド君の首に抱きつく。
うぅ、私の安住の地。
「行きましょう、エド君」
「はい?」
「すっとぼけてる場合じゃないわ。急いで用意しないと」
レースの袖口で押さえるように涙を拭う。
エド君による淑女教育は、緊急事態にも発動するほど染み付いていた。
視界にちらちら入る周りの背景を見るに、どうやら私の部屋のベッドに寝かされていたらしい。
名残惜しみつつエド君を放し、起き上がる。
たしか、旅行鞄がクローゼットの奥にいくつかあるはず。
ふらつく足を叱咤してベッドから降りようとするのを、細身ながらもしっかり筋肉のついた腕が阻止し、そのままエド君の胸に抱き込まれてしまう。
「エディ? 今は和んでいる場合ではないのよ?」
死亡戦線異常ありだよ?
私のフラグが着々回収されようとしてるんだよ?
「お嬢様、いったい何をなさるつもりなのか、エドワードに教えていただけますか?」
うんうん。
そうだね、ちょっと急すぎたかな。
エド君の腕の中から見上げ、
「あのね、さっきお父様がエディをセバスチャンに付けるとか仰っていたの。エディを奪われては、私はこの屋敷で生きてはいけないでしょう? だから、エディを奪われる前に、エディと一緒に屋敷を出て行こうと思ってね? さ、捕まる前に急いで準備をしましょう」
「・・・お嬢様」
「まぁ、エディ。どうしたの。また頭痛? どうしましょう。お薬も用意した方がいいわね」
エド君の端正な眉間に寄った皺を指先で撫でる。
けれどその指は大きな手に取られて、下ろされてしまった。
「お嬢様、よろしいですか」
何がよろしいのか分からなかったので、こてんと首を傾げてみた。
「旦那様は、どうするかとお尋ねになられただけで、そのように実行するつもりであるとは仰っておられなかったのではないでしょうか」
うん?
言われてみれば、どうするつもりかね、とかなんとか。
「旦那様は、訊いてみただけなのにお嬢様が気を失ってしまわれたので、大層狼狽されておりましたよ」
「あら、まぁ?」
父ったら、お茶目さんだったのね。
ちょっと訊いてみただけだなんて。
うふふ。
「あら? あらら? まぁ、いやだわ。もしかしたら、私の早とちりだったのかしら」
ねぇ、エド君?
「もしかしなくとも、お嬢様の早とちりでございます」
ばっさり。
「エディってば、冷たいわ。私、とても焦ったのに」
生きるか死ぬかの瀬戸際と思い、それはもう!!
そんな冷めた目で見なくたっていいじゃないか。
「ふう。でも、よかった・・・」
エド君の胸に頬をつけて、力という力を抜けきる。
冷めた目とは裏腹に、大きな手は震えの残る肩を慰撫してくれる。
「以前から、エドワードは何度も申し上げておりましょう。旦那様は、お嬢様を排斥しようなどとは、露ほども考えておりませんと」
うーん。
たしかに、私がことあるごとに父や兄、王太子からのラストに怯えていると、エド君は何かとフォローめいた言葉をくれた。
エド君の優しさと思い、本気には受け取っていない。
油断するわけにはいかないからね。
だいたい、そもそものスタートである母の死はもはや変えようのない事実だ。
私の誕生と引き換えの、母の死。
兄の私へ向けた癇癪。
父が私に向ける鋭い視線。
笑顔1つ、私は遠目に見たものしか知らない。
王太子に至っては、ゲーム通り私の面倒を頼まれたらしく、よく声をかけてくる。
せっかくクラスが分かれて安心してたのに、ほんと止めてほしい。
視界に映るエド君のタイに手を伸ばす。
黒に近い濃緑のそれは、私が選んだものだ。
エド君の服を用意するときに、こっそり紛れ込ませておいたのだ。
思った以上にエド君に良く似合うので、大変満足している。
エド君たら、元から光っていたけれど、磨きに磨かれて今では輝きまくってる。
攻略対象たちよりも、よほど格好良い。
あまりに美味しすぎるキャラに育ったので、何度も隠しキャラじゃないかと疑ったけれど、それはなかったはず。
続編の攻略キャラとかいう落とし穴もなさそうだし。
なさそうだし。
・・・ないよね。
ぎゅうっとタイを握り締める。
私の命綱。
今更ひっくり返ったら、その衝撃だけで逝けるよ。
「お嬢さま・・・」
「なあに?」
「くるしいです」
気がつくと、エド君のタイは絞殺道具になりかけていた。
あらあら。
引き絞ったせいで皺になってしまったタイを撫でる。
皺になりにくい生地なので、撫でていればすぐに皺は取れた。
エド君が1つ咳払いをして、喉仏が上下する。
「大丈夫?」
喉仏を撫でる。
「・・・大丈夫です」
「怒ってしまったかしら」
「怒ってはいませんよ」
「ほんとう?」
「本当です」
喉仏を撫でていた手を取られる。
大きな手に包み込まれると、安心した。
「エディ、私の傍にいてね」
「エドワードはずっとお嬢様の傍にいますよ」
「ねえ、修道院に更迭されることになったら、いっそ二人でアメリアへ行きましょうか」
アメリアとは、かつての新大陸アメリカのように語られている大陸だ。
大きな海を挟んだ向こうの大陸なら、さすがに追手も来ないだろう。
「・・・そうなったら、きっと駆け落ちと思われて、私の手配書が回るでしょうね」
「エディの手配書? 私のものではなくて?」
遠い目をして呟くエド君の言葉に、瞬く。
たしかに、エド君を押さえれば私は羽をむしられた蝶ですが。
・・・うん、ごめんなさい、ちょっときれいに表現してみました。
「生活力のない私をじわじわ兵糧攻めしようということ?」
「ちがいます」
困ったように、苦笑する。
頑是無い幼子を見るような眼差しは、私を落ち着かなくさせる。
エド君なんて、私にとっては小さなときから面倒を見ていた親戚の子供のようなものなのに。
なんだろう・・・最近ちょっと若い子にときめいちゃうイタイおばさん化してる気がする。
知らず知らず頬に熱が集まるのを感じる。
「エディ、なんだか楽しそうね」
「そうですね。散々私を振り回してくださったお嬢様が、ようやく成長していただけたことを感じるにつき、エドワードは感無量になります」
なんだかとっても失礼なことを言われた気がする。
まあ、いつまで経ってもエド君を煩わせている身からは、文句も言えないけどね。
「そういえば、空が暗いのね。私はどのぐらい気を失っていたのかしら」
今更ながら視界に入った窓の外は、すっかり暗くなっていた。
「3時間ほどでしょうか。アラン様もお帰りになられて、だんな様とご一緒にお嬢様をお待ちでいらっしゃいますよ」
「え?」
「・・・お夕食を、お二人ともお嬢様の目が覚めてからご一緒されたいとのことで」
いやいやいや。
何を言っているの。
「アラン様も、お嬢様の休暇に合わせて仕事を調整されたようで、お会いするのを楽しみにしていらっしゃいましたよ」
いやいやいやいやいや。
な に を いっているの。
私を殺すつもりなの?
最終兵器はエド君だったの?
そんなの、そんな鬼畜エンド、公式だとか言っても認めないからね!?
「エディ?」
「はい、お嬢様」
にっこり笑うエド君てば、麗しいわ。
は。
いけない、いけない。
「・・・食器は銀製よね。ミトリダティウムはあるかしら。本当はユニコーンの角があればいいのだけれど」
この世界で一番の解毒特効薬はユニコーンの角だ。
ただし、あまりに高価なので、そう滅多に使える代物ではない。
ましてやリリウムになど、与えてもらえるものではない。
ミトリダティウムは、まだ一般的な解毒薬だ。
庶民には簡単に手に入るものではないけれど、ド・ルーナ公爵家であれば厄介者の娘にだとて少しは与えてもらえるだろう。
「お嬢様」
「なあに、エディ」
「ミトリダティウムでしたら、お嬢様用にと、すでにセバスチャンから預かっております」
「まあ、そうだったの」
「はい、常に私が身につけておりますので、ご安心ください」
エド君の懐から出した薬の包みを目の前に差し出されたので、匂いを嗅いでみる。
ふんふん。
うん、確かにこの匂いはミトリダティウムね。
「ふう」
ほっとしたらお腹が空いてきた。
「お嬢様」
「なあに、エディ」
あら、やだ。
ベッドの上に座らされてしまった。
「エディ?」
「そろそろ晩餐用のお着替えをいたしましょう」
なんといっても公爵家なので、食事の際はお着替えが必要なのです。
面倒とは思うものの、リリウムの場合はエド君が衣装を選んでくれて、着せてくれて、髪のセットやメイクも全てしてくれるので、ただただなすがままになっている。
「もう少し、ゆっくりしてからでも・・・。目が覚めたばかりだし・・・・・・・・」
ね、ね、ね。
じっとエド君を上目遣いに見つめる。
どうだ、可愛かろう
「ですが、お嬢様も少々空腹を感じていらっしゃるご様子ですので」
「まぁ」
どこ?
どこにそんな様子が出てるの?
年頃と言われる精神年齢はとうの昔に過ぎてはいるけれど、エド君にそんなこと指摘されたら、さすがに恥ずかしいよ。
お腹をさすってみたり、頬をペタペタ触ってみたり。
思いつく限りの空腹の表れを探したけれど、いったいどこからエド君が判断したのかはよく分からなかった。
気がつけば、私は全裸になり、コルセットをほどよく締められ、これを自宅で着るのかというようなドレスを着せられていた。
鏡台の椅子に抱き上げて運ばれ、気分はお人形さんだ。
大きな手が繊細な動きでリリウムの艶やかな銀髪を編んでいく。
後ろ髪は編み込みで花形にし、前部分は肩ほどにたゆませ、毛先部分を後ろ髪の編み込みにまとめている。
色とりどりの小さな宝石が無数に煌めく髪飾りを調えると、メイクもしていないのに女神のようなリリウムが鏡の向こうに見えましたよ。
「すごいわ、エディ。とても素敵」
笑みこぼれる。
満開の笑顔で言うと、エド君もやりきったような表情で頷いた。
「それでは参りましょうか」
「え、もう」
「ご準備は調いましたので」
「でも・・・・・・。あ、メイクは?」
「リリウム様にはメイクなど必要ございません。形式上必要なときのみいたしますと、お伝えしておりませんでしたでしょうか」
「あ、そ、そうね。そうだったわね」
そういえば、そうでしたね。
リリウムには必要ないもんね。
我ながら惚れ惚れ・・・。
「さあ、お嬢様」
さあ、とか言われても。
「うぅ」
「唸らないでください。可愛すぎるじゃないですか」
はい?
面妖な台詞を聞いた気がしてエド君を見るけれど、いつもの冷静極まりない表情しかない。
聞き間違いか?
「エディ、抱っこして連れて行ってくれる?」
「歩くのは飽きましたか?」
・・・歩くのって、飽きるようなことだっけ!?
エド君、なんか知らないけど、今ちょっと壊れ気味だったりするのかな?
何はともあれ、エド君の片腕に座るような感じで抱き上げられて、ダイニングルームに連れて行かれたリリウムでした。
はー、どなどな。