悪役令嬢ぴるぴる5
車寄せに停車した馬車からエド君に抱かれて降りると、大きな屋敷の扉が見える。
数日間の旅の果てに辿り着いたのは、ド・ルーナ公爵領の公爵家だ。
・・・自宅である。
相変わらず自宅とは思えない大きな屋敷だった。
程なくして内側から扉が開き、セバスチャンが現れ恭しくもお辞儀をして見せた。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「ただいま」
「旦那様がお待ちでございます。旅装を解かれましたら、書斎においでください」
あれか。
死刑宣告か。
「・・・ぁい」
エド君の腕の中でぴるぴるしていたら、大きな手が宥めるように背を撫でてくれた。
こてんとエド君の肩に頬を預けてみたら、ちょうど良く頭が納まる。
もはや自分の足で部屋に向かう気力は湧かず、エド君に抱かれたまま運んでもらうことにした。
「お父様のお話って何かしら」
勘当イベントにはまだ早いはずだけれど。
「エディは何か聞いている?」
「いえ。畏れながら、旦那様は、お嬢様の学園生活に興味がおありなのではないでしょうか」
「私の・・・がくえんせいかつ?」
愕然とする。
乙女ゲームの舞台裏では、悪役令嬢の帰省の際に、自宅で尋問が始まっていたのだろうか。
なんてことなの。
「エディ、私は誰のこともいじめたりしていないわ。悪口だって言わないし、他人の私物を隠したりしていないし、必修科目の教材を渡し忘れてたりもしていないのよ。お昼ごはんを食べている人にコップの水をかけたりもしていない。階段から突き落としていたりもしないわ」
ほろほろと涙を零しながら訴える。
ほんとだよ。
嘘じゃないよ。
いつのまに着いていたのか、私の部屋のソファにゆっくり下ろされる。
目の前に跪いたエド君が手を伸ばしてきて、頬をゆったりと撫でる。
私はその手をぎゅっと抱きしめた。
「えでぃ、ほんとうよ、しんじて」
私の手は固くエド君の手を抱きしめていた。
頬に置いたその手は私の好きにさせてくれて。
もう一方の手でエド君は私を抱きしめてくれた。
「大丈夫ですよ、お嬢様。大丈夫。エドワードはここにいますから。ずっと、お嬢様の傍にいますよ」
「えでぃ、えでぃ」
ほろほろと溢れる涙が、エド君の肩口に吸われていく。
ごめんね、情緒が安定していなくて。
あと半年経って無事に生きていたら落ち着くはずだから、それまで堪えてね。
自宅で気が休まらない生活なんて、ほんとやだ。
いつかエド君連れて、片田舎で穏やかぁな生活をエンジョイしたいなー。
そのときは私も家事とかできなきゃだよね。
この世界の食材って良く分からないから、料理なんて想像もつかないけど・・・。
「お嬢様は悪いことなど何一つなさっておりませんよ。エドワードの言葉が足らずに申し訳ありませんでした。旦那様は、お嬢様が学園で楽しく過ごされているか、お知りになりたいのだと思いますよ。そうですね、ただ、何を学ばれているのかということについては、少々気になっておいでかもしれませんね」
今の言葉を頭の中で反芻する。
成績が悪かったね、っていうお説教が来るのかな?
確かに兄は常に一番だったらしいけれど。
あれ?
それだけなのかな?
いやいや、エド君の予想だからね。
・・・当たってるってことじゃん。
え、ほんとにそれだけ?
驚いて涙が止まったよ。
涙を止めるのに、こんな方法もあったんだね。
「さて、それではお召しかえをしましょうか」
目の縁に残る涙を親指の腹で拭われて、頷いた。
形だけの断りの後に、慣れた手つきでドレスについた無数の紐を解かれて、シュミーズも脱がされる。
一糸纏わぬ姿になると、いつのまに用意したのか温かい布で全身を拭われた。
湯船に浸かったわけではないけれど、丁寧に温められ清められると、一心地ついたように落ち着いた。
湯の沸かし方も知らないなー。
そういえばと思い立つ。
薪だろうか。
でも薪ってどうやって火を起こすんだろ。
自慢ではないが、前世では庶民生活を送っていたけれど、ガスコンロしか知らない世代だった。
オール電化には飛び込めなかったけれど、かまどなんて学術的な意味でしか見たことも聞いたこともない。
キャンプの経験も数回程度で、やったことといえば、食材を切ったり串に通すことぐらいだ。
王都にある学園からこの屋敷までの道程も、途中は宿をとるばかりで野営なんてしなかったから、まるで想像もつかない。
だめじゃん。
「ねえ、エディ」
「はい」
「エディは火を起こしたりできる?」
「・・・できますよ」
「あら、まあ、そうなの?」
なんでだ。
なんで、そんなに色々習得しているの。
聞いておきながら肯定が帰ってくるとは思わなかったので、かなり間の抜けた声になってしまった。
「エディはすごいのね。私にも火を起こせるかしら。今度教えてね」
「・・・・・お嬢様が火を起こすようなこと、エドワードが必ずやそのような身の上にはさせませんよ」
うんうん、期待してるからね。
エド君だけが頼みの綱だよ。
にっこり笑ってエド君に抱きついた。
オーク材で作られた重々しい扉に、ため息が出る。
この先に父がいるのかと思うと、地獄の扉にさえ見えてくるのだから、人の脳は不思議なものだ。
「エディ」
後ろを振り返り、うるうるとエド君を見つめる。
気遣わしげに視線をくれながらも、エド君は引き止めてはくれない。
じっとエド君の瞳を見つめる。
うるうる。
じっとエド君の瞳を見つめる。
うるうるうる。
エド君の瞳が揺れて、唇が何か言葉を紡ごうとする。
よし、ここで一気に。
うるうるうるうるうる。
「お嬢様・・・」
うんうん、なあに。
『やっぱりお部屋に戻りましょう』?
いいわよ、いいわよ。
エド君の言葉を期待に満ち満ちて待つ。
が。
「お嬢様、エドワード」
セバスチャンの登場によってエド君は口を噤んでしまった。
なんだとー。
なんてことするんだ、セバスチャン。
セバスチャンのくせに生意気だぞ。
きっと睨みつけようとするも、セバスチャンの冷めた一瞥の前に、私はぴるぴる震えるしかなかった。
「えでぃ」
怖いよう。
手を伸ばして、エド君にぎゅってしてもらおうとしたのに。
またしても!
セバスチャンが邪魔をする。
手振り1つでエド君を後ろに下げたのだ。
「なあに、セバスチャン」
私に用なの?
私だってぴるぴるしてるばかりじゃない。
やるときは、やります。
キッとばかりにセバスチャンを睨み付ける。
私を怒らせたら怖いんですよ。
キキキキキ
「・・・・・お嬢様」
「なあに、エディ」
セバスチャンを睨んだままエド君に応える。
今はちょっと振り向けないの。
ごめんね、エド君。
「・・・何をなさりたいかはおぼろげながら分かるような気もするのですが、いえ、セバスチャンに何かお願いでもあるのですか」
「え?」
思いがけないことを言われて、眉に込めていた力が抜けてしまう。
いやいや、それよりも。
「どうして?」
「セバスチャンを見つめているようなので」
いやいやいや。
何を仰るウサギさん。
エド君を振り返り、しっかり教えてあげる。
「見つめているんじゃないの。睨んでいるのよ」
「・・・・・・・・」
「なあに、エディ。どうしたの。また頭痛がするの?」
額にこぶしを当てて懊悩する様子に、心配になる。
なんだか最近頭痛が多いんじゃないの。
大丈夫なの?
ああ、もう。
駆け寄りたいのにセバスチャンが邪魔。
セバスチャンはセバスチャンで仕方がないとでも言いたげに苦笑してるし。
あら?
あららら?
セバスチャンて、こんなにやわらかく笑う人だったっけ?
「お嬢様、そろそろ入られてはいかがです。旦那様もお待ちでございましょう」
笑ったのは一瞬のことで、すぐにいつもの鉄面皮に戻る。
目の錯覚だったのかしら。
私も疲れているのね。
主に心が。
ふ、とため息を重く吐いて、もう一度エド君を見つめる。
「えでぃ」
「ここでお待ちしておりますよ、お嬢様」
にっこり笑うエド君。
うぅ。
気を取り直してしまったのね。
せっかくもう少しで陥落しそうだったのに。
おのれセバスチャンめ。
恨みに思いつつも、観念して書斎の扉をノックする。
リリウム、行きます。