悪役令嬢ぴるぴる3
15歳になりました。
女神のように美しく成長したリリウムです。
乙女ゲームの舞台となる学園への入学まで、あと半年ほどです。
ここに至って、私は重大な欠陥に気がつきました。
「エディ、どうしましょう」
「どうされました」
私に腕枕をしてくれているエド君を揺さぶり起こす。
空が白み始めて間もない頃だけれど、そんなことには構っていられない。
目覚めの良いエド君もさすがにぱちりと瞬きをしてみせた。
なにそれかわいい。
じゃなくて。
「エディを修道院に連れて行っても、もう一緒に眠れないわ」
「修道院ですか?」
「そうよ。ほら、西の端の、バスティーユ修道院」
眉を寄せるエド君。
「あそこは、男女とも入れるけれど、棟が違うでしょう? もしかしたら、会うことも難しくなってしまうわ」
「お嬢様」
「なあに?」
「なぜバスティーユ修道院など・・・。あそこは修道院ではありますが、実質は貴族の牢獄として機能しているところですよ」
「だからじゃないの」
って、エド君が知るわけないか。
「いずれ私はあそこに更迭されるのよ」
「いったい誰がそのようなことをするというのです」
あらあら眉間の皺がくっきりと。
「お父様よ?」
「・・・・・・・・は?」
「お父様と、あとお兄様もだから、お兄様に爵位が譲られても、私はずっと出られなくて、生涯をあそこで過ごすことになるの」
「なぜそのように仰るのです。旦那様もアラン様も、そのようなことは考えておりませんよ」
「今は考えていないかもしれないけれど、でも、機会があれば私をバスティーユ修道院に送るのよ」
すっかり目が覚めたのか、エド君はベッドヘッドを背にして座った。
エド君に抱かれたまま、私もエド君に寄りかかるようにして座る。
「怖い夢をご覧になりましたか?」
「夢じゃないわ」
「そうですか」
「怖かったんだから」
「エドワードはお助けに上がりませんでしたか?」
「エディは」
そういえば、エド君はどこにいるんだろう。
乙女ゲームの攻略対象に出てこないから、関係ないと思って安心して深く考えなかった。
「エディは、どこにいたのかしら」
「エドワードはお嬢様をお助けするために、準備をしていたのでしょう。もう少し先まで見ていただいたら、エドワードがきっとお助けしていましたよ」
「まあ、そうかしら」
登場人物でもないし、隠れキャラでもないから、そんなことはなかっただろうけど。
「そうでございます。仮に夢が現実になりましたら、エドワードは、万難を排してお嬢様をお助けします」
「えでぃ」
身をよじってエド君の首に抱きつく。
とんとんしてもらうと、涙が溢れ出た。
「ときに、お嬢様」
「なあに」
「寝衣が着崩れているようですけれど」
この感動の場面で、いったい何を言い出すのかと思えば。
エド君と少し離れて自分の格好を見下ろすと、たしかに胸元のリボンがほどけて白い肌が覗けていた。
「でも、エディ、この暑い季節に首元の締まった寝衣は寝苦しいのよ」
「しかし、お嬢様が15歳になられたときに、今後も一緒に眠るのであれば、エドワードの用意した寝衣をお召しいただく約束をしたはずです」
「だから着ているじゃない」
「正しい着衣をして初めて着たと仰ってください」
「だって、暑いのよ」
ぴるぴる。
エド君てば、暑さ耐久のない私に惨いことを言わないでほしい。
エド君の用意する寝衣は、日本の熱帯夜ほど蒸し暑さはないといえ、それなりに暑い夏の季節に、七部袖七部丈はまだ良いとしても、首元まで襟があり、ボタンがきっちり閉められるものなのだ。
私は苦しいからと言って、ボタンを開けたままでリボンでゆるく結ぶだけにしてもらっている。
ただ、サテンのリボンなものだから、眠っている間にするする解け、肌蹴てしまうのは仕方ないよね。
「お嬢様」
「なあに?」
「エドワードが男であると、お分かりいただいておりますか?」
エド君は頭痛でもしているみたいに眉間に皺を寄せている。
「あら、もちろんよ」
アホの子だとでも疑われているのかな?
確かにエド君と違ってできは良くないけれど。
「お父様もお兄様も、セバスチャンも男よね」
それがどうかしたの?
「それより、頭でも痛いの?」
眉間の皺を指先でなぞる。
あらやだ、余計くっきりしてきてる。
「お嬢様、淑女は朝から男の膝に乗り上げたりしません」
「まあ、どうして?」
「そういう存在だからです」
「あら。じゃあ、私もエディに教えてあげるわ。淑女はね、湯殿で殿方に洗ってもらったりしないのよ」
幼い頃からの習いで、私リリウムはエド君に体を洗ってもらい髪を洗ってもらい、服を着る所までの一連をエド君に任せている。
最初から大人の精神で洗ってもらったりしていたせいか、心が成長して自分で洗うという局面を迎えることもなく今日を迎えております。
今となってはもう自分で髪を洗うとか考えられない。
「ご存知でしたら、これからは一人で湯浴みなさるか侍女を手配しましょうか」
「そうじゃないわ、エディ。私が淑女じゃないということよ。ね?」
にっこり。
「だから、寝衣はもう少し涼しいものでいいでしょう?」
微笑んでエド君を見上げると、眉間の皺は取れたものの、疲れたように目を閉じてしまった。
「どうしたの? まだ頭が痛いの?」
「反省しているんです」
「・・・何を?」
優秀極まりないエド君がいったい何を反省するというの。
エド君が反省するなら、私も反省しなきゃいけないことが山とある。
「お嬢様の育て方です」
苦々しい声で、なんと、言われてしまったよ。
それを言われてしまうと弱いけれど、エド君に反省してもらうなんて申し訳ないね。
「ごめんね、エディ」
「いえ、エドワードが不甲斐なかったのです」
「そんなことないわ。エディはとても立派よ。私、エディのおかげで生きる道が見つかった気がするの」
エド君ならば、修道院に送られる途中で暗殺者を差し向けられても、返り討ちにしてくれそう。
もしかしたら、本当に修道院への更迭をもどうにかしてくれるかもしれない。
「あら?」
「どうか?」
「エディを学園に連れて行けるのよね」
お兄様とアスティは、公爵家の傍流という縁戚関係にあるアスティが、お兄様と同時期に学園に籍を置くことが予定されていたから学友に選ばれたのだ。
学友だから連れて行ったわけじゃない。
連れて行くから学友にしたのだ。
果たして私は、年も離れたエド君を、連れて行けるのだろうか。
それとも、だから乙女ゲームにエド君が出てこなかったの?
はっと気づいた可能性にぴるぴる震える。
「どうしましょう」
エド君を連れて行けなかったら、その時点で私の詰みは確実になってしまう。
それこそ入学初日に終わりを迎えるかもしれない。
そうだ、こんなときこそ公爵家の強権力を発動させるのよ。
「・・・お父様にお願いしてみるわ」
「お嬢様がですか?」
「ええ。エディを連れて行けなかったら、私はもうこの家を出るわ」
自分から出て行ったほうが傷は浅いはず。
「それでは、セバスチャンに旦那様の予定を確認しましょう」
「あ、再来月の予定でお願いね」
「・・・はい?」
「心の準備をしないと。あと念のため、荷物を纏めておくの」
「さようでございますか」
あっさりしてるなー。
私だけ送り出すつもりかな?
「家を出るときは、エディも一緒に来てくれるでしょう?」
「もちろんでございます」
「きっとよ」
お腹に回されたエド君の手に自分の手を絡める。
放してたまるか命綱。
絶対に、卒業以降の人生を勝ち取ってやる。
心中の宣言も空しく、絶賛ぴるぴる中です。
本日のメインディッシュは、リリウムIN父の書斎、父の鋭い眼光を添えて。
エド君はドアの前に待機中です。
に、逃げ出したい。
逃げちゃダメなんてことはないはず。
そろり・・・。
足元まで隠す薄紫色のドレスの下で片足を一歩下げると、見えたはずもないのに、つむじにかかる威圧感が増した。
リリウムハ、500ノダメージヲ負ッタ。
ちなみに元のHPは150です。
分かります。
即死ですね。
「話があると聞いたのだが」
さっさと話せってことですよね。
そうしたい気持ちは山々なんですが。
なにぶん、HPが。
「リリウム?」
「・・・・・ぁい」
このままじゃアカンと思って、こそっと深呼吸をしたら引きつったような息が洩れた。
だめだ、回復が追いつかない。
く、もはや首を括るしかないのか。
間違えた、腹を括るんだ。
僅かに視線を上げて、ちらりと父を覗き見る。
こわっ。
「・・・あの」
「うむ」
「学園に入ぎゃくする際に、エドァードも、つぇていきたいのです」
言い切った。
なんかおかしかった気もするけど、言い切ったよ。
「・・・・・」
沈黙が痛い。
いいの? だめなの? どっちなの?
あかん、涙が。
これはね、悲しいから泣いているんじゃないのよ。
怖いから泣いているの。
「分かった」
え?
分かったってどういうこと?
連れて行っても良いということ?
きっとそうよね。
連れて行っちゃうからね。
「ありがとうございましゅ」
威圧感に呪縛されながらも、控えめにお辞儀をする。
「・・・うむ」
「それでは、失礼いたします」
言質を頂いたので、早々に脱出を図る。
さささっとドアに移動してまた父にお辞儀をして書斎を出る。
ふう!
「エディ、私、やったわ」
ああ、やりとげた後のこの感動。
エディに抱きつくと、咳払いが聞こえてびっくりする。
音の元はセバスチャンだ。
「まあ、セバスチャン。待たせてしまったのね。私の用事は終わったから、どうぞ」
「いえ、けっこうです」
てっきり父への用事があって書斎の外で待機していたのかと思ったのだけれど、違ったらしい。
相変わらず人間関係的な意味での溝が深いこの屋敷の人々の中で、エドワードの次に会話をする機会があるのは、このセバスチャンだった。
「リリウム様におかれましては、本日もご機嫌がよろしいようで何よりです」
「・・・ありがとう」
「しかし」
なので、お説教の前兆はなんとなく予期できるようになった。
「未婚の女性が、相手はエドワードとはいえ、はしたなくも抱きつくのはいかがかと思いますよ」
「大丈夫よ、セバスチャン」
にっこり。
秘技、貴族の仮面、別名アルカイックスマイル。
たいがいこれで、黙る。
前兆予期だけでなく、対処法もばっちりです。
セバスチャンは黙ったのであった。
「ああ、エディにまた会えて嬉しいわ」
ぎゅうぅ。
エディに抱きついていると、HPゼロから少しずつ回復していくのを感じる。
エディは私専用のヒールか薬草か回復ポーションだったのね。
魔法はない世界だからファンタジー色皆無かと思ったけれど、こんなところになけなしのファンタジーが息づいているとは。
「エディ?」
ここは、「エドワードもでございます」でしょう?
「どうしたの、難しい顔をして」
エドワードはセバスチャンと見詰め合って、そして何故か難しい顔をしていた。
なんでもないと言うけれど、なんでもないわけがない。
「お部屋に戻りましょう、お嬢様。新しい絵本が届いております。一緒に読みましょう」
さっと抱き上げられたかと思うと、エド君はセバスチャンへの挨拶もそこそこに歩き出す。
夏の強い日差しが廊下に差し込んでいたけれど、私がそれに晒されることはない。
エド君がこれ異常ないほどに気を配って日陰を避け、漏れさす陽は自身の体を盾にして私を隠すのだ。
おかげで母譲りの白磁器肌は、丁寧な取り扱いにより、肖像画の母のように美しい。
過保護気味なエド君が、私に不利益なことをすることはないだろう。
何よりも、登場人物外の存在だし。
「そうね。新しい絵本は、仕掛けもついているのよ。楽しみね」
気に入った絵本職人を、エド君に言って私のお抱えにしてもらったのは、2年前。
その絵本職人に飛び出す絵本を説明して、版画絵本からどうにか飛び出すような仕掛けや立体感も出せないかと相談した結果、版画ではなく普通の絵画を挿絵にしたり、陰影のつけ方を進化させたりしてきた。
そして先日、とうとう仕掛け絵本が出来上がったので送るという手紙を早馬でもらった。
この世界で唯一といっても過言でない、私の娯楽です。
しかもエド君が読んでくれるというご褒美。
楽しみでしかたない。