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悪役令嬢ぴるぴる14


 真っ白です。

 燃え尽きた。 

 燃え尽きたよ。

 完全な灰になったよ。

 あんなに頑張ったのに。

 あんなに頑張ってたのに。

 最後の最後でやっちまった。

 戻れるものなら、あの時に戻りたい。



「お嬢様」

 エド君の声に、風船がぱちんと目の前で弾けたような感覚を覚える。

 と、同時に、現実に引き戻された。

「・・・エディ」

 目の前ではエド君がソファに座る私の前に跪いていて、靴もストッキングも脱いだ私の足を花の香りのクリームでマッサージしている。

エド君印の超高機能マッサージクリームです。

 いつのまにか服も簡素な部屋着用のワンピースに着替えているようだった。

 なんていうか、私の意識がなくてもエド君がいれば私の生活は成り立つものなのね・・・。

 今更も今更だけれど、なんだか底のない沼にずぶずぶと浸かり込んでしまっているように思うのはきっと気のせいにちがいない。

 イエス、私はまだ大丈夫。

 ・・・じゃなくて。

「エディ、どうしましょう」

「王太子殿下のことでしたら、微笑ましく思っていらっしゃったようでしたよ。疲れさせてしまったことにも気遣っておいででしたし」

「ほんとう?」

「はい。滋養があるからと、蜂蜜をお預かりしています」

 いったんエド君は私の足から離れ、腰に下げていた手拭いで手を清めると、居間の方に消えて行き、そして小さな箱を手に戻ってきた。

 ふたたび私の前に跪いたエド君が恭しく掲げてみせた小さな箱は、この世界の技術からすれば最高レベルだ。

 木なのに、木じゃないみたい。

 それぐらい、丁寧に形作られ、丁寧に表面を削られ、表装を施されていた。

 箱の蓋部分には、一見単純に開け閉めをするボタンのようなものがついており、ボタン部分には王家の紋が繊細に彫られている。

 しかしエド君が開けて見せてくれた過程を見るに、とてもではないけれど、ボタンなどという簡単なつくりではない。

 ボタン部分を斜めに捻り、少し手前に引き、さらに斜めに捻り、押し込み、逆に捻り・・・。

 そのあとの動作はもはや覚えていない。

 そうして箱の中に現れたのは、蜂蜜だ。

 うん。

 エド君も言っていたものね、蜂蜜だって。

 しかし、もちろんただの蜂蜜じゃない。

 蜂蜜は透き通るような琥珀色で、蜂蜜の中には幾重もの花弁を持つ花が一輪沈められていた。

 ふ、と意識が遠のく。

「お嬢様」

 木箱を傍のサイドテーブルに置いたエド君が、ソファの背に崩れた私を支え起こしてくれる。

 薄らと目を開けると、眉を顰めたエド君が心配そうに覗き込んでいた。

「エディ、それ・・・それ」

 分かると思うけど、それそれ踊ってるわけじゃなくてね、そのね、テーブルに置いたね、その木箱ね。

 当然のことながらエド君に私の必死の訴えが通じないわけもなく、碧の視線をサイドテーブルの上に流す。

 そうそう、それよ。

「閉めて」

 言葉少なく伝えれば、開けた時の倍速で蓋が閉められ、さらに木箱は私の視界から消えた。

 どこに閉まったのか知らんが、とにかく私の目の前にはない。

 そして再び私の目の前に跪くエド君。

「王太子殿下はお嬢様の体調を大層心配されておいでで、学園生活も半年残っておりますので、卒業までつつがなく過ごされるようにとのことでした」

「でも、あの蜂蜜、あの花は、王家の門外不出よ。いくら私が王家の近い血を引いていたとしても、王家の外の者が持っていていいわけないわ」

 そうだ、そうそう。

 あの蜂蜜、ゲーム中で王太子は風邪を引いたヒロインにプレゼントしてた。

 そして一体どうしてかリリウムはそれを知り、平民が王家の至玉を手にするなど許されないことだとして糾弾する。

 そこで王太子は・・・あの蜂蜜も花も、たしかに王宮でしか作られていないけれど、けして王家の者しか手にしてはいけないものというわけではないのだとか、反論していたような・・・?

 あれ?

 ちろりとエド君見る。

「お嬢様」

「はい」

「あの蜂蜜も花も、けして王家の秘匿のものではありません」

「うん」

「けして王家の方々のみしか手にしてはいけないということもありません」

「・・・うん・・・・・?」

 仮にそうだとして、エド君てば色々知りすぎてない?

 エド君の庇護下でしか生きてない私の知識がエド君以下なのはまあいいとして、ゲーム本編の王妃教育を受けていたリリウムよりもいろいろ詳しいよね。

 私が茫然自失してるときに王太子から説明があったのかな?

「お嬢様のお母さまが臥せっていらしたときなど、王家からの見舞い品の中に入っておりましたので」

 なにやら言いづらそうにエド君は口にした。

 なるほど。

 お母さまが儚くなってからは、公爵家には届けられることがなくなったのね。

 いや、この言いづらそうな様子・・・。

 もしかして、兄の風邪引きの時とかは届いていたんだろうか。

 ・・・・・・・。

 想像すると怖いから、考えるのは止めよう。

 そして絶対に聞くまい。

少なくともリリウムには届けられたことはないからね。

 しかし、リリウムはそれで誤解していたんだろうか。

 うーん。

 ゲームのエピソードって、直接ゲーム展開に影響しないところは細部が語られない部分が多いんだよね。

でも、今世でいえば、リリウムは・・・そういえばエド君のおかげで風邪なんて引いた覚えがないかな。

・・・。

なんの参考にもならんかった。

「エディ、では、整理しましょう」

「・・・はい、お嬢様」

「先程退室の際に王太子殿下の御前で失礼してしまったことについて、殿下はお怒りではないのね?」

「はい、お嬢様」

「それどころか、殿下は私の体調が優れないことを気にして、エディに王家の蜂蜜と花を預けてくださったのね?」

「さようでございます、お嬢様」

言葉も口調も冷静だけれど、エド君の緑の瞳が珍しくも健全に煌めいている。

なあにエド君、今まで理解力の欠片もなかった生徒が初めて理解の片鱗を示したかのような喜びようは。

「その王家の蜂蜜と花は、王家の門外不出というわけではないから、すぐさま私が極刑の対象になるようなこともないのね?」

「・・・勿論でございます、お嬢様」  

ふう。

ようやっと安堵の息をつく。

よかった。

目の前に花を浸けた蜂蜜を見た瞬間は、終わったかと思ったよ。

死刑宣告の代わりかと・・・。

王家乗っ取りを企んでいたとか冤罪をかける布石かとばかりね。

ああ、よかった。

でも待って。

本当にここで安心していいの?

王家の門外不出ではなかったことは確からしいことと分かったけれども、王宮でしか作られていないことも、これも確かなはず。

「エディ、あの蜂蜜も花も、王宮でしか作られていないのよね?」

「はい。ごく限られた環境でしか成育が可能でないようでして、王宮の一角のみでしか作られないようです」

「そう・・・」

貴重なことには変わりないということね。

その貴重なものは、本来ヒロインに与えられるはずで・・・って、ヒロインの風邪引きイベントっていつあるんだっけ?

エド君のおかげで半分ぐらいは心穏やかに過ごしている私は、16年前にやったきりのゲーム内容の細部を忘れつつある。

秘密のノートを見ないと思い出せないんだよね。

「エディ、私の秘密のノートを取ってくれる?」

「はい、お嬢様」

立ち上がったエド君は私の宝石箱の一番下の引き出しから一冊のノートを取り出し、渡してくれる。

 幼いころに書きなぐった日本語で書かれた私の拠り所である。

えーと、王太子ルート・・・。

風邪引きイベントは・・・王太子の好感度が95%以上になった最初の休日、ただし他の固定イベントがあればそちらが優先される。

あらあら、なんの参考にもならない情報がここに。

 王太子のヒロインへの好感度が95%以上かどうかなんか知らんがな。

「お嬢様」

「なあに、エディ」

「ノートが壊れかけております」

 あらやだ。

 手の中のノートが知らないうちに曲がってめきょめきょになっていた。

「うふふ」

 ノートを伸ばし、撫でさする。

「ねえ、エディ」

「はい、お嬢様」

「エディは、私のエディよね?」

「勿論でございます」

「じゃあ・・・」

 言いかけて、口を噤む。

 私はいつだってエド君を確かめようとする。

 肝心なことは何一つ明かさないまま、エド君が私をどこまでも守り抜いてくれるかを、試そうとしている。

 今更ながらだというのに、喉の奥が重くなる。

「エドワードは何があろうとお嬢様のお傍におりますよ。そして、なにものからも、お嬢様をお守りします」

「・・・エディ」

「もし、学園を卒業する前に、お嬢様が公爵家をお出になりたいとお望みでしたら、エドワードが道を作りましょう」

 うん、と、うなずいていいのだろうか。

 濃い緑の瞳を見つめる。

 ただ私を宥めるための方言などではない。

 エド君は本当に私が望めば、何をも省みることなく、そうしようとしてくれるのだろう。

 いつから私は私の人生にエド君を巻き込むことが当たり前だと思うようになっていたんだろう。

 恐ろしい・・・。

 私ってば深みにはまりすぎてる。

「ごめんなさい、エディ」

 昔は微笑ましくエド君を見ていたはずなのに、すっかり精神年齢も逆転したね。

「私、傲慢が過ぎたわ」

 悪役令嬢も真っ青だよね。

 名のない役まで自分の破滅に巻き込もうだなんて。

「エド君を監獄になんて連れていけないわ」

「・・・はあ」

「野ざらしの流浪の人生もだめよ」

「・・・はあ」

「追手に怯えながら残りの人生を過ごすだなんて」

 私の頭の中では、十年ほど年をとったエド君が荒れた洞窟の中で瞳も暗く木の実を食べていた。

 目の前には私のお墓だろう、土の盛り上がりにお嬢様と書かれた木の板が立てられている。

 そこはせめてリリウムと名前を書いてほしい。

「はあ」

 気の抜けた相槌に、エド君を見る。

 あなたの人生のことで悩んでるのよと揺さぶりたいけれど、元凶は私だ。

 エド君は呑気にもマッサージの終わった私の足から余分なクリームを拭うべく、新しい清潔な布で足を拭いていた。

 エド君を見る私の視線に気づくや、頑是ない子供を見るような、しかたないとでも言うような苦笑を浮かべ。

「お嬢様はお変わりないですね」

 どう解釈したらいいのか悩むような一言をくださった。

 いやいや。

 どういう意味よ。

「ねえ、エディ」

「はい、お嬢様」

「王太子殿下が、私がロクサーヌという人にお兄様への届け物を頼んだのだとか、仰っていらしたでしょう」

「ええ、ロクサーヌ嬢がそのようにお話になっていたのを、王太子殿下がお聞きになったという話ですね」

「・・・・・」

 微妙にエド君がニュアンスを変えて言い直したのを聞いて、確かに王太子も、あくまでもそのように聞いただけであるという前提で話していた。

「ねえ、エディ、私はその人に届け物など頼んでいないわよね?」

 って聞かれても、エド君も困るよね。

 学園に通うことになってから、一秒も離れない日はもはや夢の彼方だ。

 と思ったんだけれど。

「そのようなことは一切ございませんよ。お嬢様はロクサーヌ嬢と挨拶すら交わしたことはありませんからね」

「・・・はい」

 何やら自信ありげに返されてしまった。

 え・・・。

「公爵家の方々には、常に護衛がついております」

 あらあらあら、まあまあまあ。

「護衛のルートの確保などありますので、学園入学に際しましては、エドワードめが護衛の方々と打ち合わせを行い、教室での席などを決め、学園との交渉にあたりました」

 なんと。

「護衛からもお嬢様がロクサーヌ嬢と接触した報告は受けておりませんし、私自身もお嬢様がロクサーヌ嬢と接触している場面を拝見しことはございませんので」

「そう。そうよね。そうなのよ。私、ロクサーヌという方とお話したことなんてないのよ」

「お嬢様の名を騙る不届き者がいたということです。お嬢様の御名と容姿の合致しない者など、この学園にはおりません。だとすれば、ロクサーヌ嬢がお嬢様の御名を騙ったか、お嬢様の御名を騙る使いの者にロクサーヌ嬢が謀られたか、いずれでしょう。大胆にもアラン様に直接騙るなど、公爵家に対抗できる後ろ盾を得ているのかもしれません。秘かに探らせておりますので、お嬢様におかれましては申し訳ありませんが、いましばらくは報をお待ちください」

 ・・・・・・・寒い。

 エド君からの冷気が、寒波が、猛威を振るっている。

 表面上は穏やかに私を諭しているくせに、説明しているうちに気が昂ったのだろう。

 瞳がだんだん濃くなってきている。

 ふ、まだまだ若い。

 すみません、生意気言いました、謝るので温度を上げてください。

 燃え上がるよりも冷気というところが余計にコワイ。

 そしていつの間に探らせるとかしてたの。

 君はずっと私といたんじゃなかったかな?

 それとも私はそんなに自失していたの?

「不届き者の裏が詳らかになりましたら、エドワードめがきれいに片づけましょう。お嬢様の周囲の清掃はエドワードの大切な仕事でございます」

にっこり笑うエド君に、にっこり返す。

 そうですね、お掃除大切ですね。

 ありがとうございます。

 いつのまにやら足のむくみもすっきり取れてるし。

 足がすっきりすると気分もさっぱりするよ。

 ぱたぱたと足を振ってみる。

「ああ、お嬢様、お顔の色も戻ってまいりましたね」

 冷気が収まり、見慣れた笑みにほっとする。

 うんうん、エド君もね。

「さ、エディ」

 エド君に両腕を差し出す。

 淀みなく抱き上げられる。

 幼いころから、私を抱き上げたエド君がよろめいたことは一度もない。

「どちらへ行かれますか、お嬢様」

「ベッドに行きましょう」

 にっこり笑えば、エド君もにっこり笑う。

 疲れて見えるのは気のせいかな。

「エディも王太子殿下のお茶会は疲れたでしょう」

「いいえ、畏れ多い」

 まあ、疲れたということだろう。

 疲れないわけないよね。ね。

あっという間にベッドに到着し、ふんわりと降ろされる。

やっぱり公爵家の自室のベッドの方が好きだなぁ。

ベッドの上に座ったまま、隣のスペースをポンポン叩いてみせれば、エド君は視線を遠くしつつも諦めたように腰かけた。

ごめんね、お疲れのところに。

 だが逃がさん。

腰かけたエド君の膝に頭を置き、横になる。

そうです。

エド君膝枕です。

「エディ」

エド君を降り仰げば、大きな手に慣れた仕草で頭を撫でられる。

至福の時・・・。

やっぱりエド君と私も、ブライアンと王太子に負けてないね。

すばらしい阿吽の呼吸だったわ。

「エディ、とても気持ちいいわ」

「それはようございました」

「先ほどの、王太子殿下が持っていらした絵の、絵師様。専属ということならば諦めるけれど、もしそうでないようならば、時折私にも絵を描いてもらえないかしら」

「手配しておきましょう」

 よし。

 あの絵師が王太子の専属じゃありませんように!

「お嬢様はほんとうに妖精の絵がお好きですね」

「綺麗だし、それにお母様になんとなく似ているでしょう」

 色々な妖精の絵があり、それらは髪色や瞳の色、顔つきや衣装などどれも違って描かれているというのに、どうしてか、私が求める妖精の絵はリリウムの母を思い起こさせる。

 周囲の人たちが私に母の話を聞かせてくれることはなく、ゲーム知識や肖像画や、偶然漏れ聞くような話でしか知らない私が母を想像するせいで、色々な印象に揺れるせいだろう。

 時には母をイメージして描いたと聞くこともある。

 リリウムを、私を生んだ時に命を落とした母。

 変わらない運命は私が生まれる前に定まっていたことであり、自分の責ではないと頭ではわかっているけれど、時折苦しくなる。

 今のこの私がこうなのだから、ゲームのリリウムはきっともっと苦しかっただろう。

 ふと、父と兄、二人の顔が脳裏によぎる。

「・・・お兄様は、どう思われたかしら」

「ロクサーヌ嬢のことですか」

「ええ。私からの届け物って、いったい何が届いたのかしら。お兄様は受け取られたのかしら。そうだとしたら、私からの届け物だと思ってのこと? それとも、公爵家を謀る者からの贈り物だと思って? それとも・・・届けたロクサーヌ嬢は、お兄様の心を射止めたのかしら・・・」

 そもそも、あの兄が普段交流のない妹からの届け物なんて、そう気軽に受け取るものだろうか。

 収穫祭の前に出会うだなんて、なんて、あら?

 これって、ヒロイン側にもバグが起きているということになるのかしら。

 それとも、私というバグが、ヒロインにも影響しているのかな?

 本来収穫祭で出会うはずだったのに前倒しになったことが、この先どう影響するのか。

 出会いが前倒しになったせいで、ヒロインへの好感度の上りも前倒しになったとかだったら泣ける。

「収穫祭は、王都の収穫祭は、ええと、お兄様は出られるのかしら」

 収穫祭といえば実りの季節に土地ごとに祝うものだ。

 土地により特産物は異なる。

 春に収穫祭を行う土地があれば、秋に収穫祭を行う土地もある。

 冬はあまり聞かないけれど、中には夏に収穫祭を行う土地もあるとか。

 王都では秋に収穫祭が行われる。

 ちょうどシルバーウィークのあたりだ。

 そのときは一週間が祝日になり、ほとんどの者が収穫祭に参加する。

 豊穣を祝い、神に感謝する祭りだ、とはいっても、祭りは祭りにちがいない。

 あの兄が賑々しい祭りに繰り出す姿など、想像するのは難しい。

「いらっしゃると思いますよ。公爵閣下も、領地の収穫祭の日程と重ならないからと、王都の収穫祭にいらっしゃるようですし」

「お、お父しゃまも」

 うう。

 思いがけないところに父が出てきたせいで、舌がぴるってなった。

 しかしもはや慣れているエド君はスルーだ。

 ありがとう、でも恥ずかしいものは恥ずかしい。

こほん。

一つ咳払いをして気持ちを落ち着ける。

「そうなのね」

その日は一日ひきこもりだな。

公爵領では立場的にも周囲との関係的にも領地の収穫祭に参加できなかったから、王都の収穫祭にはこっそり参加してみたかったのだけれど、どうやら夢は潰えたらしい。

まあ、仕方ない。

安全の方が大切に決まってる。

「お嬢様、畏れながら」

「まあ、エディ、なあに畏まって」

怖いからやめて。

いったい何を言う気なのかと構えてしまうじゃないの。

「公爵閣下とアラン様は、お嬢様と収穫祭を過ごされる予定かと思われます」

・・・・・。

「え?」

え?

「ごめんなさい、エディ。私、なんだか耳がすこし旅立ってしまったみたいで」

とりあえず聞かなかったことにしよう。

「公爵閣下とアラン様は、お嬢様と収穫祭を過ごされる予定を立てていらっしゃいます」

私の涙ぐましい努力をよそに、エド君はさらっと、しかもレベルアップした内容を告げてきた。

「王都の宿泊先を選定されておいでです。決まりましたら、こちらにも連絡が参りましょう」

「まあ」

同じホテルに泊まるつもりってことよね。

もちろん部屋は別にちがいない。

でも隣の部屋とかだったら、一睡もできそうにない。

収穫祭、私は生き抜けるのか。

卒業パーティーまで、生き延びられるのか。

乞うご期待である。

いやいや、そんなの冗談じゃない。

公爵家の屋敷なら、私は部屋にこもれば父兄の部屋とは遠く離れていたので、気配すら感じることがなかった。

さすがに外でそれを再現することは難しいだろう。

「エディ、解毒薬はできるだけ多く用意しておいてね」

「方々から集めております」

「それから、整腸剤、伝説の盾、お守りも」

「万端でございます」

「馬は」

「剛健で持久力のあるハクニー種を手配しております」

 私の命綱は健在だった。

「どうして今年は私と収穫祭に臨もうだなんて考えられたのかしら」

「お嬢様はあまり外に出られる方ではないので、王都の収穫祭に参加されるのは、学園に在籍している今年が最初で最後になるかもしれないから、思い出を作りたいと仰ってまおいででしたよ」

 たしかに収穫祭のために王都まで出かけるのは、近場にいる今だけだろう。

 それはいいとして。

「・・・だれが?」

 仰っていたと?

「公爵閣下でございます。アラン様は、また機会を作ればいいということでしたから」

 ゆるく髪を梳くようにして撫でてくれている手を掴む。

 大きな手。

 甲が少し筋張っていて、指が所々固くなっている。

 指を一本一本なぞる。

 エド君は抗いなど一切なく、私の好きなようにさせてくれた。

「エディはお父様たちと交流することに肯定的よね」

「そうですね。閣下やアラン様はお嬢様と仲良くなりたいと思っておいでですし、お嬢様におかれましても、お父様方に甘えたいように見受けられる場面が多々ありましたので」

 思わず指をなぞっていた手が止まった。

 私がお父様たちに甘えたいと思っていたとき・・・。

 心当たりがないわけでもない。

 怖くて恐ろしくて、でもやっぱり今世での父に、兄に、私は甘えたかったのだろう。

 中身の年齢は兄はおろか父よりも年上だというのに、それでも、久しぶりの家族というものに、縋りたくてしかたなかったのだろう。

 まあ、甘えるには境遇と設定が許してはくれなかったけれど。

「エディは、以前からお父様たちが私のことをバスティーユ修道院に送ったり、その道中にどさくさに殺そうとしたりすることはないと言っていたけれど」

「はい」

「今も、そう思っている?」

「はい」

「・・・そう」

 エド君がそう言うのならば、少なくとも、今はまだそこまで疎まれていないのかもしれない。

 それなら、収穫祭はそれほど気を張らなくても大丈夫だろうか。

「エド君」

「・・・はい、お嬢様」

「今も、よね?」

 兄がヒロインと接触した後に急な方向転換があって、エド君が把握できていないとかありえない話じゃないよね。

 真面目一辺倒の将軍の息子を、婚約者がいるというのに婚約者以外の女性に侍るような状態にして、冷静沈着と名高い大臣の息子を、これもまた婚約者がいるというのに公の場で婚約者以外の女性に侍るような状態に持っていくことなど、天然なら末恐ろしいし、養殖ならそれも恐ろしい。

 そんなモンスター級の存在に、兄がコロリと・・・コロリといっていたら、どうしよう。

 ちなみに、真面目一辺倒も冷静沈着も息子の方にかかっている言葉です。

「勿論でございます、お嬢様。万に一つ、仮に負の変化がありましたら、必ずやご報告いたします」

 特に力のこもった口調ではないのに、力強く感じる。

 うんうん。

 頼りになるね。

 そして頼りすぎていてごめんね。

 なんだかもう、このまますべてをエド君に委ねたいぐらいだよ。

「ありがとう、エディ。エド君がいてくれたら、大丈夫」

 大きな手を元の定位置に戻す。

 ゆっくりと、また撫で撫でが再開された。

「お嬢様。すべてのものから、エドワードがお嬢様をお守りいたします」

 ・・・・・。

 お、おもい。

 いやしかし、ありがたいことです。

「ありがとう、エディ」

 にっこり笑うと、エド君もにっこり笑う。

 その笑みはどこか少年だったころのエド君を思い起こさせた。


 


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