9.『少女の目的』
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放課後。
生徒達が部活や帰宅を目的に外へと各々に動いている中、真柄切は校舎の中を歩いていた。
「あ、品川じゃん。ヤッホー、元気してる?」
「おっ、久しぶりじゃん、真柄。最近どう」
「いやあ、ぼちぼちかなァ」
「そういやオレ最近彼女できたじゃん? それでプレゼント贈りたいんだけど――」
「また今度ネー」
「おいおい……」
切は、ははは、と適当に笑って見せる。
「それよりさー、イノリっち見てない?」
「曲直瀬? いや、見てないけど」
「そっか。じゃあネー」
「何だよ。つれないなあ。……いつものことか」
切は人が少なくなった校舎の中を歩きながら、考える。
……変なことになってなきゃいいケド。
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「曲直瀬隊長の反応消失から三分が経過しました」
「ただの通信障害ってわけでもあるまい。そうか、曲直瀬が消えたか……」
SKY03地区の基地TOC、すなわち司令室。二木は忙しなく動く職員達を見渡せる後方に立っていた。
正面の壁に隙間なく敷き詰められたモニターには大鳥居高校の各所が映し出されている。また職員達はめいめいのデスクの上で端末と向き合っていた。
「二木隊長。隔離空間の展開を確認しました」
「場所は?」
「9号館と11号館の間を中心に半径三十メートル。消失地点とも一致します」
「アクセスできるか?」
「とりあえず十分はください。すぐには難しいです。能動的な難読化が行われています……どこかに空間余剰の技師がいるのでしょう」
「ふむ、例の魔法使いの協力者というのもあり得るかもしれんな」
二木は少し考えてから、言う。
「デルタ班は周辺に不審な人物がいないか調べる。ベータ班は引き続き隔離空間へのアクセスを試みてくれ。第八十三部隊の二人は隔離空間の近くで待機、由布縫子の確保を」
「了解」
『了解』
『ふあ……了解』
各々が答え、新たな動きを作り始めた。
それを眺めながら、二木はさらに考える。
……流石にサシで曲直瀬が負けるとは考えにくい。
曲直瀬は対翼人戦闘の熟練だ。一方で由布の若々しい様子からすると、翼人になってから一・二年というところ。ある程度のアドバンテージを得ても、個々人の経験と力量の差は簡単にひっくり返せるものじゃない。
では何のために由布は曲直瀬を隔離空間に取り込んだのか。理由に妥当性を求めると、己の持つ認識のどれかが間違いであることを予想するべきである。つまり、我々が常に有利であると考えることは勘違いである。
曲直瀬に勝つだけの能力あるいは秘策があるのか。
サシではなく徒党を組んでいるのか。
もしかすると別の目的があるのではないのか、と。
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「ふン」
外壁は崩れ、机と椅子が一部散乱する教室の中。
俺の眼前、由布縫子は鼻を鳴らしてから立ち上がった。
「……それなりにやるみたいじゃない」
「まあな」
向かい合う。
お互い動かない。
空気は張り詰めているはずなのに、どこか間の延びた時間が流れる。
口火を切ったのは縫子だ。
「向かってこないんだ。"銀の弾丸"さん」
「おいおい、俺のことは名前で呼んでくれよ。縫子ちゃん?」
「何よ……曲直瀬祈里、さん?」
「ああ、曲直瀬祈里はここだぞ」
はっと俺は一つ笑い、彼女はふンとまた鼻を鳴らした。
「まだ、私があんたを呼び出した目的を言ってなかったよね」
「何だ、今更」
「私はあんたと戦いに来たわけじゃない」
……本当に今更だな。
「ここまでやっといて言うことか?」
「それは実力を試しただけ。流石にそこらの野良とは違うみたいね」
「そいつはどうも。んで、お前の目的は何なんだ?」
問う。
縫子は少し逡巡したように視線を巡らせ、そして答える。
「私は炎の翼人――ケオスを殺すためにこの学校に来た」
彼女の視線がぎろりと俺を睨んだ。
ケオスを追っているというのは想像が付いた。その目的はいくつか考えられた。ケオスを仲間に引き入れ、AMMの戦力の足しにするのも良し。AMMの活動が阻害されないように殺害するというのも良し。どちらであっても不思議じゃない。
しかし、彼女のどろりと底に溜まるような濁った雰囲気は、組織のために働いている者が持つものではない。
では何か。その答えはすぐに来た。
「二年前。私は両親をケオスに殺され、私自身も身体に傷を負った。あんたも見たと思うけど、全身の傷をこの≪力≫で覆い隠している」
制服の裾を引っ張って肌を見せた。そこには所々、地肌の上に暗色の布が縫い付けられている。
……なるほど。こいつも被害者の一人だったってわけか。
「それから翼人の≪力≫を得た。それでもこの傷が癒えることはない。アイツを殺すまでは」
「AMMに入ったのもそのためか」
「AMMは行き先を失った私を助けてくれて、しかもケオスを倒すための任務に就かせてくれたわ」
だからすんなりと偽装工作して転入してこられたということか。
「昨日、調査中にバレてしまったのはちょっとした失敗。でも今にしてみればあれで良かった。今日ここに呼び出したのは、あんたに協力してほしいからよ」
「SKYが持つ情報が欲しいのか」
「そんなのじゃないわ。あんたにケオスを倒すのを手伝ってほしいのよ。炎と水、五行で言えば水克火……良い相性だと思わない?」
五行思想は古代の自然哲学だ。あるいは四大元素等も同じ。あくまで古い考え方であって、現代科学を学んだ現代人ならそれらを安直に対応する物質に当てはめることが必ずしも正しくないことを知っている。もっと簡単に言えば、属性の相性というステレオタイプは現実には正しくないということだ。例えば炎は水だけでなくとも可燃性のない物質を使えば消すことができる。反対に酸素を絶つことでも消火することが可能だ。
だが、それは世間に知られている現代科学ならの話に過ぎない。
「あんたは『炎が水に弱い』なんて話を聞いて、笑う?」
「笑わないさ。魔法は科学の延長だ。そして魔法使い達がそれを信じている。いや、実際に通用するものだと知っている」
AMM――魔法と神秘の学会が認定する"魔法"とは、人類が自然現象から学び取った知恵のことである。それこそまさしく科学や技術の定義と同じであり、本質的に魔法と科学は同じものである。
ではどこで魔法と科学という言葉が区別して使われるのかと言えば、同時に彼らが認める狭義の"魔法"の意味がある。それは一般的な現代科学で知られていない領域の技術のことを指す……大別すると歴史的に彼ら知識層が隠してきた"古典魔法"と、現代で世間に公開することを控えている"最先端技術"のことだ。
とにかく、魔法とは現代科学を内包する知識と技術の体系である。そしてその中で『炎が水に弱い』という性質が現代科学的な性質以上の意味を持つ。
であれば、信じるに値する。
――まあ、現代科学が翼人という現象を説明できない以上、自然現象の解明においてこれに執着するのは明らかな間違いってのは猿でもわかる。
「試してみなくちゃわからないわ。でもあんたなら、あのケオスを倒せるんじゃないかって。手練れの翼人が何人も殺された。でもビッグ・ファイブに名を連ねるあんたなら可能性がある」
「だが俺はケオスを見つけられた試しがない。誰だってそうだ。アイツを見つけ出す方法がわからない」
だからこそケオス事件は難航している。
「それは決して策がないわけじゃない」
「何か知ってるのか?」
「今は言えない。何も聞かず、私を手伝ってほしい。私を助けてほしい」
目が合った。その瞳の奥には真に迫る熱というものが見えた。
嘘は吐いていない。そう俺の直感が訴えている。
そうだ。昨日、俺は縫子を戦うべき相手じゃないと感じた。その理由がここにあるんじゃないのか。
俺は縫子を助けるべきだと思っている。
だが。
「……SKYとAMMで協働するという話か?」
「違うわ。あんた個人だけの話にしてほしい」
「どういう理由でだ」
「それも今は言えない」
不安が拭い切れない。どう見ても怪しい誘いだ。
はっきり言ってこの話に乗るのはプロフェッショナルじゃない。ここで個人で動くには組織の一員としては間違っている。そう俺の理性が訴えている。
もしも罠だったとして俺だけの失敗で済むならともかく、SKYの他のスタッフにも被害が及びかねない。
「悪いが、ここでホイホイ乗せられるほど、俺はお人好しじゃないもんでな」
「――」
彼女が俯く。
だが落胆という空気じゃない。それは別の決意を示しているようだ。
「……そう。そうよね。最初からわかってたわ」
だから、と彼女は続けた。
「ここであんたを潰す……!」
縫子が両手を広げ、さらにその翼を展開する――!
「……ちょっと待て! 普通にこの話は無かったことってだけで済んだりとか、いや、そうなるのか普通!?」