8.『対面の成立』
校舎と校舎の間、俺と由布は向かい合っている。
由布の言う通り、俺の水の能力は水が無いと使うことはできない。だからこそ作戦時には放水車を随伴し、近くの水場を把握する。
今回の場合、外部との連絡が取れない以上、放水車はもちろんない。水場……学校の敷地内には池があるが、由布のいる方向だし距離がある。流石にそれくらいは考えているってことか。
「もしかして、逃げるつもりなんじゃない?」
「お前と面と向かってやり合うって言ってんだよ。聞いてなかったのか」
「能力の使えない翼人なんて、翼人同士の戦いじゃあ手足をもがれたにも等しい。あんたは何が何でも水を確保しなくちゃならない。だったら、結界から出た方が早いじゃない」
結界とは魔法使いが使う隔離空間の名称。
隔離空間は外から内は知覚することができず、また内から外には見えない壁で隔てられている空間。翼人自体には異能が通じなくとも、翼人がいる空間には及ぶことができる――この原則の下、俺はこの隔離空間に取り込まれた。しかし翼人であるなら見えない壁も突き破って外に出ることができる。外に出れば誰かと連絡が付く、というわけ。真の意味で翼人を隔離することはできないが、そこらへんは使い方の問題だ。
「言っておくけど、あんたはここから逃げられないから」
「構わんぜ。お前なんかそれで十分だって言うんだ」
「さっきは私が勝ったってのに、もう忘れたの?」
「俺が加減してやったんだよ」
「減らず口」
由布は両手を広げる。
すると、通りの両脇の植木が音を立てた。
何かいる。しかも両方。
挟まれた。
「馬鹿ね。あんたは能力を使えないだけじゃない」
植木の中から数十の小さな物体が飛び出した。
それは指先ほどの大きさの――丸い円盤。
弾丸のように空気を裂きながら飛ぶそれらは俺に向かってばら撒かれた。
「く――っ」
反射的に後ろに跳ぶ。が、幾つかが身体を貫いた。少しの血と肉片がもろとも飛ぶ。
弾丸も弾く翼人の身体だ。それを突き抜けられるのはやはり翼人の≪力≫しかない。
――なに、身体の穴がちょっと増えただけだ。頭や心臓は外している。
これだけならどうってこと――。
違う。
次の瞬間、腕や脚、胴の傷の箇所が外に向かって引っ張られる感覚を得る。
腕を見る。貫いたはずの円盤戻ってきて肌に張り付いている。反対側からは細い糸がピンと張りつめていた。円盤が返しとなり、それに括り付けられた糸で引っ張っていたのだ。
よく見ると円盤は金属製のボタンだ。
……これがアイツの翼の≪力≫か!?
「こうやって、あんたが来るまでに私はいくらでも仕掛けを作ることができた。あんたはただ能力を使えないだけじゃなく、のこのこ罠にはまりに来た間抜けなのよ。それで私に勝てるわけがない」
両腕も両足も、糸で引かれて動かない。
「実力を見るだけのつもりだったけど、呆気ない。"銀の弾丸"なんて言われてても大したことないのね」
由布が手を何度か握ると、その太さは四倍ほどに膨れ上がった。握手の時にそうしたように。
腕を回しながら俺に向かってゆっくりを歩いてくる。
「後は動けないあんたを嬲り殺しにするだけ。簡単よね」
飛び込んでくる。
「これでお終い――!!」
まるで前に飛ぶような跳躍。
突進の勢いを乗せた全身での拳が来る。
俺はすっと目を閉じた。
「んなわけないだろう」
その腹を蹴り上げた。
――驚くほどに軽い。
由布の身体は宙に浮き、仰向けに倒れた。
「なっ――?」
「どうした、由布縫子。豆が鳩鉄砲を食ったような声出して」
何が起こったのかわからないとでも言うように、倒れたまま静止している彼女。
それもそうだろう。俺は全身を拘束されて動けなかったはず。ちゃんと拘束していたはず。なのに蹴りが飛び出したのだから!
しかし、その拘束は。
「糸が切れてる……何で……!?」
「殴られる直前に切った。まあ、簡単にネタばらしすると、こうだな」
さっきまで糸が貫いていた腕を見せてやる。
傷からは血が流れ出している。そしてその血は滴り落ち――持ち上がって俺の腕の上へ、さらに下へ――巻き付いた。
そう、俺が操作した。
「身体の中に流れてる血や体液だって水だろ?」
「そんな……そんなことができるなんて。そんな素振り、これまで見せなかったじゃない!」
「見せる必要がなかったからさ。何ができて何ができないのかは隠しておきたいよな、お互い」
それが翼人同士の基本のキってヤツだ。
「でも、お前の能力はそろそろわかってきたぜ。結構ずるい真似をするんだな」
「何を言ってる!?」
「ちゃんと面と向かって話し合おうぜって言ってんだ。なあ、縫子ちゃん?」
「気安く名前を呼ぶな!」
縫子は身悶えするように構える。
しかし彼女は動かなかった。
先に動いたのは――両脇の植木の中。そこからボタンを飛ばした者達が飛びかかってきたのだ。
テディベア。
ボロ布で作られた十数のクマのぬいぐるみが、俺を捕えようとしている。が、そうはいかない。
俺は両腕から血を伸ばし、一対の剣を形作る。
「――流双春雨<リュウソウハルサメ>」
全て斬り飛ばす。
「くうぅ……」
「来いよ、縫子」
「言われなくても……っ!」
縫子は両腕を膨らませ、突っ込んでくる。
ぐるりと身体を回転させ、勢いを増す。轟という音に、爆発のような加速!
「あああ……!!」
振り下ろす一撃!
しかし、焦りを含んだ動きは、甘い。
俺は一歩進み、懐に入る。そして胴を真っ二つに切った。
「――っ」
由布縫子の身体が二つに分かれ、地面に落ちる。
いや、違う。それは由布縫子だと思い込まされていたものだ。
断面には腸ではなく綿が詰まっているのが見える。肌はなく、布で覆われているだけだ。
仮面を外してみると、そこもやはりただの布。
これはただのぬいぐるみだ。
「仮面の中に仕込んだカメラで様子を見て、スピーカーを通して喋っていただけだ。遠隔でぬいぐるみを動かして戦わせる……そうすれば自分が傷つくことはない」
賢いやり方だ。自分は前に出ず、人形に戦わせる。命を奪い合うリスクを相手にだけ負わせるのだ。
翼人は他の何者にも無敵、命を一切賭ける必要はない。なのに翼人同士で命を賭けるなんて、一見すると馬鹿らしいことだ。
しかしだからこそ意味があるというのもまた事実である。それを自分は遠くから眺めているだけで済まそうなんて。
「賢いけど、ずるいよなぁ。そうだろう、縫子」
能力を推測する手掛かりは十分だ。糸、ボタン、布、綿――ぬいぐるみ。
それらを遠隔操作しているというのは俺の経験からすると考えられない。恐らくは物体系の≪力≫で――それらを身体の一部として扱っているのだろう。
となると。
「このぬいぐるみ、身体から糸が伸びてるな」
この糸でぬいぐるみを動かす命令を伝達させていたのだろう。
「差し詰め、操り人形の糸ってところか」
手繰り寄せると突っ張った。これが由布縫子本人に繋がっているに違いない。
ぐっと引っ張る。かなり力を入れてるのに、引くどころかこちらが引き寄せられそうなほどに強い力だ。
力には自信があるみたいだったが、もちろん俺は力自慢などするつもりはない。
相手が引いてくれるなら利用するまでだ。
「よっ」
力を抜く。
すると自然と俺の身体が浮き、引き寄せられる。
校舎の側面、糸は窓の隙間を通り抜ける。俺は血で作った剣を構え、壁と窓枠を切断する。
後は体当たりで突き抜けた。
破片をまき散らしながら教室の中に降り立つ。尻もちをついている縫子が、俺を見上げていた。
「曲直瀬、祈里……!」
「ああ。曲直瀬祈里はここにいるぞ」