7.『二度目の追跡』
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「どうなってんだ?」
休み時間。
校舎の中で人気がないのは屋上だ。本来は進入禁止の場所でもある。
そこで俺は二木と携帯電話で連絡する。
『転校生の由布縫子が、まさか昨晩の侵入者だったとはね』
「事前に気付かなかったのかよ」
『転入書類のコピーがあるが、さっぱりだな。記載されている情報も恐らく嘘八百だろう』
「それでも顔写真くらい付いてるだろう?」
『写ってるのは全くの別人だ。だが、転入試験でも手続きでも気付かなかったところを見るに、何らかの認識改竄が行われていてもおかしくない。お前が直に確認していたら気付いたかもしれんな』
「ああ、また魔法か……」
ここまで出来るとなると、相当上位の魔法使いが絡んでいるのだろう。
全く面倒なことになった。思わず頭を抱えてしまう。
すると二木が言う。
『それで、対象の確保はしていないのか』
「してない。人前で大捕物なんて派手なことなんてできないからな」
それは向こうも同じだ。下手に暴れて翼人の力を欲する者、翼人が目障りな者に目を付けられればいつ何時襲われてもおかしくない。それに翼人の存在を明かすような真似をすれば、その秘密を維持しようとする組織、SKYやAMMに命を狙われる理由ができてしまう。
だからお互い動かない。
「今のうちは妙な動きがないか監視。放課後に一人になったところを捕まえる。これでいいだろう」
『そんなところだな。応援は必要かね?』
「監視を増やしてくれればいいよ。八十三部隊は俺を含めて今いる全員を出す。作戦内容と指揮は任せる」
『いいだろう。健闘を祈るよ』
じゃあな、と告げて俺は電話を切る。
それにしても、と思う。
由布縫子という名前、そしてあの顔……何故だか、初めて見たような気がしなかった。
□
教室に戻ると、人だかりが見えた。
……その中心はやはり、あのボロ布の少女だ。
すると周囲の一人が俺を見つけて言う。
「どこ行ってたんだよグラサン! 由布さんのこと教えろよ、知り合いなんだろ!」
人だかりが一斉に俺を見た。
他の生徒達にしてみれば、転校生と何故か知り合いである。しかも尋常じゃない関係らしい。これが興味の対象にならなくて何だというのだ、という感じだろう。
知り合いと言うか顔見知りなのは確かだ。しかし、昨晩のことを正直に話すわけにもいくまい。
「まあな。昨日たまたま、道を尋ねられた」
「えー? 突然因縁付けられたって由布さんが言ってるヨー?」
おい、切。余計なことを言うな。
「グラサンってチンピラみたいなことしてるんだ……ひそひそ」
「グラサンかけてるしね……ぴそぴそ」
うるさい。
ふと少女の顔を見ると、フンとでも言うかのようにそっぽを向いた。
……何か触れ回ったな。
「違うぞ。アレはコイツが突然逃げ出すから――」
「"コイツ"じゃない」
少女が俺をキッと睨む。
「由布縫子。それが私の名前」
「――由布が逃げ出したからでだな」
「あんたが追いかけるからでしょ?」
「そもそも何で追いかけたんだよグラサン?」
何でってそりゃあ……あの事件現場にいたから。
なんて言えるわけもなく。
「色々事情があってな」
「その後、私に酷いことしようとしたじゃない」
「それは……合ってるな……」
「えー、怖いわあ……」
「グラサンってそんな積極的だったんだ……」
「言っておくけど、お前らが考えてるようなことはなかったからな。……なかったからな!」
どうして俺が危ない人を見る目で見られなくちゃいけないんだ。
俺は溜め息一つ。
「これから一緒のクラスになるんだ。仲良くしなきゃあ、な」
俺は右手を突き出す。
一方、由布は首を捻った。
「何よ、それ?」
「握手だよ握手。仲直りの。お前もまさか俺とケンカしに転校してきたわけじゃないだろう?」
「……それもそうね」
由布は黒い布地に覆われた手で、俺の手を握った。
……何だこの感触。
違和感がある。何かがおかしい。その答えを探っていると。
ぎゅううううううううぅ――!
「よ・ろ・し・くっ!」
「テメェ……!」
万力のような力が! 人前で全力でやる奴があるか!
俺も負けじと力を込める。
「すげえ! コイツら全然仲良くする気ねえ!?」
「ぐう……っ!」
「ぐぬぬぬぬ……っ!」
くそっ、手の骨が砕けそうだ。もしかして何かしらの≪力≫を使ってるんじゃないのか。
一見するとわからないが、由布の右手の平がバンプアップしていることが感触からわかる。
内側にだ。
握った指の輪が外枠を作り、その膨らんだ分が内側の俺の手を圧迫しているのだ。それがさらにどんどん膨らんでくるのだから、俺の手は逃げ場のない圧力に囲まれているというわけだ。
バキ。
音はその内部から響いた。
「く、離せ! 離せ、由布!」
「カンカンカン! WINNER・由布縫子ーォ!」
由布が勝利に腕を挙げているうちに、俺はさっと右手を隠す。
鬱血はすぐに引いた。が、折れた骨は翼人の身体でも治るのに三十分は必要だろう。
手加減なしかよ、負けず嫌いめ。
「グラサン弱ーい」
「いや、逆に由布ちゃんが強いんじゃね?」
「怖いなー由布……」
他の生徒にはただ遊んでるだけと思われたのが幸いか。
「ダイジョーブ、イノリ?」
「ああ、大丈夫だ。ありがとう、切」
□
放課後になった。
俺は由布のことをずっと見張っていたが、何か怪しい動きは一切なかった。普通の生徒と同じ振る舞いで、恐らく見分けが付かないだろう。
「ネーネー、由布さんってば、一緒に帰ろうよー」
「ごめんなさい。今日はちょっと用事があるから……」
切が振られていて、由布は一人で教室を出た。
このまま一人で帰るのなら都合がいい。
これから由布を捕まえる。
街中で白昼堂々捕まえることができるのか?
できる。
その技術をSKYは"隔離空間"と呼んでいる。
空間には余剰が存在する。その余剰は次元や位相の違いから発生するものだ。通常空間とその余剰は干渉せず人類には知覚できないが、確かに同じ場所に存在する。簡単に言えば空間の中で未使用の容量がある、ということだろうか。その容量はほぼ無限にあると計算上では言われている。
一般の社会ではまだその領域は窺い知れる可能性しか示唆されていないものだが、魔法使いの歴史の中では五百年の歴史のがあり確立された技術である。
SKYの用いる隔離空間は、ある空間に位相をずらしてそれ自身をコピーすることで、同じ場所ながら他の人間に干渉されない場所を作り出す。そうすることで一般の人間に知られることなく活動することができるのだ。
今回の作戦では、陽性隔離空間を使って由布縫子だけを引き込む。そのためのマーカーも制服にくっつけておいた。協力者の魔法使いが出てきても良いように戦力を残し、俺と俺をサポートする部隊は隔離空間の中で由布を追い詰める。
そのために最初にするべきことは由布の後をつけ、こちらが隔離空間を安全に作動させられる場所に来るまで待つことだ。隔離空間の操作設備はトラック一台に収まっており、移動して追うことができる。
今は学校の中、教員や用務員に扮した隊員達が由布の後を追っている。俺はいつでも動けるように正面広場で待機だ。
耳に付けた通信機から監視の隊員の声が入る。
『こちらデルタ-2――対象を見失いました。二番道路を東に向かっていたところです』
先に動かれたか。そりゃあそうだろう。俺が由布なら学校から出れば何かあると警戒するし、確実に学校から出る最善の手段を取る。
俺はサングラスの弦に触れる。するとそのレンズに十字の方角の図が投影され、さらに一つの点が描かれる。
透過型ヘッドマウントディスプレイ。そしてこの点が対象の居場所。
「由布のマーカーはまだ生きてる。ただ目に見えなくなっただけだ」
しかし、透明スーツに着替える暇なんて無かったはずだ。諜報部からの情報によるとAMMの透明スーツは身体にぴったりとくっつく全身タイツのようなもので、一瞬で姿を隠せるものではないらしい。
と、なると姿を隠したのは協力者の力か?
「魔法使いが近くにいるのかもしれないな。警戒してくれ」
外部と連絡を取るにも、携帯電話の通信記録を拾ってもそれらしいものは見つからなかったようだが――相手に悟られない連絡手段なんて魔法使いじゃなくSKYのエージェントでも一つや二つ持っているものだ。出し抜かれても不思議じゃない。
とにかく。
ここで由布を逃がすわけにはいかない。今逃がしたら次のチャンスはないからだ。
「ここは俺が行く」
俺はマーカーの方向へ走り出す。俺なら目には見えなくても感知することはできるから問題ないし、最初から俺が最前線に立つつもりだ。作戦に支障はない。
『いや待て、曲直瀬』
「二木か!?」
『我々が由布縫子の顔を知っているように、お前の顔も割れている。今は動かない方が――』
声が、途切れた。
サングラスのマーカーが消失する。『Lost Connection』の表示は、通信自体が途切れたことを意味している。メインサーバからマーカーの位置が送られていたのが届かなくなったのだ。
通信機だって使えなくなった。
周囲の音が静かだ。見回しても誰もいない。
この状況を俺はよく知っている。
「俺が隔離空間に囚われちまったのか……」
隔離空間は元を辿れば魔法使いの技術だ。我々だけじゃない、AMMにだって使うことができる。
すると、二十メートルほど離れた場所に人影が現れる。
外套に身を包んでいる。顔には仮面だ。それは昨晩見たあの少女が付けていた仮面と同じ。
人影は声を発する。
「ようこそ私たちの結界へ、曲直瀬祈里。いや――"銀の弾丸"さん」
顔は見えない。
だが俺はその声を知っている。
「由布縫子……!」
ふふ、と仮面の少女は小さく笑う。
「これはあんたにとって最悪の状況なの。わかる?」
「……どういう意味だ」
「説明しないとわからない? あんたの翼は水を操作する物質系。その特長は適応する物質を≪力≫が許す限り自在に操ることができるけれど、自分で物質を生み出すことはできない。昨日放水車があったのだってそう。水が無ければ何もできないってことよ」
由布は、ば、と腕を開いて示す。
「水道も隔離空間の中じゃ供給は断たれてる。あんたのお仲間がこの空間に介入できるまでどれだけかかるかしら?」
俺の能力が制限されるのは確かだ。
だが、と俺は思う。
「最悪の状況? むしろ好都合だ」
「なんだって?」
「これまで逃げ続けたお前がようやく向き合ってくれるんだ。願ってもないことだ。そいで、俺はこの好機を逃すつもりはない」
そう、これはチャンスだ。
「昨日と今朝の借り、全部含めて――ここでお前を叩き潰す。そしてお前が知ってることを洗いざらい吐いてもらおう」
相手は眉を顰める。
俺はにやりと笑って見せる。
「覚悟しろよ、由布縫子」