6.『春に遅れてきた少女』
翼人がいつからいるのか、それは定かではない。
翼が生えた人型のモチーフは古今東西広く見られるものだ。そのうちのどれかが実は翼人だった……なんて想像することはできても、信頼に足る資料は残っていない。
わかっていることは、翼人は古くから存在すること。彼らは何の変哲もないただの人間が、ある日突然その≪力≫に目覚める形で自然発生するということだ。
翼人が世界にどれだけいるのかは定かではない。彼らの存在は本人あるいは周囲の意志によって隠されるからだ。
歴史の中で見ても、翼人は魔法使いや異形の存在と同じく、公から隠されてきたものだ。現代でもそれは変わらない。
大きな理由は二つ。
一つは、翼人の存在が世界のバランスを崩してしまうからである。
およそあらゆる兵器、魔法が通じない最強の戦士。たった一人で絶対的な力を持つ存在。そんなものが公に認められれば、世界は混乱に陥るだろう。
もう一つは、翼人がそれを望まなかったからである。
翼人が公になれば、世界の軍事のバランスを担う中核になるだろう。そうなった時、翼人達に人間としての自由が許されるのだろうか。また、人々が自分と同じ人型でありながら超越的な力を持つ者の存在を認めるだろうか。
この二つの理由から、翼人は表向きには全く知られていないのである。
これが現在の大勢の意見である。
そしてSKYという組織もまた、世界から翼人を隠すため、世界の平穏を保つために秘密裏に活動している。
しかしそれでも、翼人の≪力≫を悪用しようという者が現れる。
彼らを取り締まるのもSKYの役目の一つであり、俺、曲直瀬祈里の主な仕事の一つである。
□
大鳥居高校は高大一貫校、有り体に言えばエスカレータ式の学校だ。
俺はそこに通っている。
朝。
昨日は戦闘服を着ていたが、今は学生服に着替え、歩いて登校しているところだ。
しかしいつだってサングラスは欠かせない。
「イノリ、サングラス新しくなった?」
隣を歩く少女、真柄切<マガラ・セツ>が言った。切は同じ高校に通う同級生。髪を丁寧に三つ編みにしている。いつもどこかアンニュイな態度を見せる子だ。
「まあな。ちょっと壊しちまった」
「そうなんだ。アタシ気付かなかったナー」
サングラスは昨日の戦闘でものの見事に蒸発したので、新品に切り替えたのだった。
すると切は俺の周りを回りながら、じろじろと顔を見てくる。
「どうしたんだよ、切」
「なーんか、浮かない顔してるじゃん」
「あー……」
彼女の言う通り、俺はあまり良い気分ではない。
その理由は簡単だ。
昨日、二木についでにと言われたことを思い出す。
「エージェントから連絡だ。お前の通っている高校に転校生を迎えることになったらしい。まだ四月も終わっていないというのに転校というのも珍しい話だな」
「ただの世間話じゃないんだろう? さっさと本題に入れ」
「簡単なことだ。その転校生の少女の身元がはっきりしない。提出された資料も戸籍も表面上は問題がないように見えるが、これまで悪用された個人情報とメタレベルでの関連がある。諜報部が出した答えは、グレー。観察の必要ありというところか」
「で、俺にも気を付けておけって言うのか」
「会議の結果、転校生は曲直瀬、お前のクラスに転入となった」
「……俺の仕事を増やしたかっただけなんじゃないのか?」
「そうした方が手間が少ないだろう? もちろん他の職員にも連絡してあるから、お前が不当な扱いを受けているわけではないからねぇ」
というわけだ。
全く、ここ最近は仕事が多くて困る。
これまでは年に二・三回出動するだけだったのが、人事異動と俺の昇進で雑事が増えた。さらに炎の翼人の調査。それ関係で界隈に不穏な動きが増し全体的に仕事増・人手不足。トドメに何故か翼人の出現頻度も例年より高くなっている……。
溜め息の一つも出るというもの。
「はあ……」
「まあまあ、あんまり落ち込むもんじゃないよー」
切は気があるのかないのかわからない調子で言った。
校舎に吸い込まれる制服の波に紛れ、二人で校舎に入った。
教室に向かう途中で声をかけられる。
「おーい――うんうん、曲直瀬に真柄じゃないか」
「寺沢」
「おいおい、うん、私は先生なんだから先生って付けなさい。まあいいや」
ひょろっとした寺沢は俺と切のクラスの担任だ。教科は物理学。
「曲直瀬。こっちの空き教室から机を一つ、教室まで運んでおいてくれ」
「転校生か」
「うん、その通り。可愛い女の子だよ? どう、嬉しいかい?」
「いや、別に」
「なんだ、つまらない反応だなぁ! 真柄はどうだい?」
「アタシは別に、気が合えば何でもいいかなぁって」
「二人とも反応がアレだ、アレ! うん! せっかくの転校生イベントだってのに!」
いや、そんなにテンション上げることでもないと思うが……一人で盛り上がってるな、寺沢。
「――ところで、転校生が来ることはクラスの皆には内緒だからね? 驚かせたいから!」
「机持ってったらバレるだろ」
「むぅ、それもそうか……うん。じゃあいいや!」
「いいのか」
「それじゃあ頼んだぞー!」
残響を残し、寺沢は職員室の方へ走っていった。
「はしゃいでるネー」
「今年から初担任だからだろうかなぁ」
それから俺は机と椅子を担ぎ、教室へ。
中に入ると他の生徒達が俺達に声をかけてくる。
「おはようグラサン!」
「よおグラサン。何を遊んでるんだ?」
「遊んでねえよ。頼まれて持ってきただけだ」
「転校生か!? どんな奴なんだ!?」
「俺も女子って聞いたくらいで顔も見たことないが――」
「うおおおおおお!!」
男子がやにわに盛り上がる。
「なんだよ」
「だって女の子なんだろ!? 可愛い子だったら嬉しいじゃねえか!」
「あー、そういうもんか……」
俺は可愛くなくても危険人物じゃなかったら嬉しいが。
「グラサンは冷めてるよなー。何だ、真柄がいるからもう十分なのか?」
「逆に尋ねるが、そういう関係に見えるか?」
女子と話していた切が気付き、ピースサインを作って見せた。
適当な笑顔で。
「ブイー」
「……うーん」
微妙な反応が得られた。
しばらく後、ホームルームの時間。ガラと音を立てて扉が開き、寺沢が入って来た。
「席に着け、君達ー」
言われた通りにする。
教壇に立った寺沢は一つ咳払い。
「うんうん。君達は良い奴だな。さて、中には知っている者もいるだろうけど、今日はこのクラスに転校生が来るんだ。さあ、入って来なさい」
さて、どんな奴か。
そこまで注意する必要もない。どこかの組織の差し金だとしても、高校に潜入してくる奴なんてたかが知れている。何故なら高校には基本的に大した用事なんてないからだ。
この高校はSKYの息がかかっているが……だからと言ってSKYの正体に辿り着けるわけがない。部署毎に個別化された組織構造が情報の漏洩を阻止している。だから意味のないことだ。
もっとも、俺みたいな翼人がいるのだけは確かだが……。
考えているうちに、前の扉から制服姿の少女が入ってきた。凛とした足取りに、深い影のある髪をしかし涼しげに揺らしながら。
……あ?
「おお……」
「クールで、可愛いって言うより、美人って感じだ……」
周りがひそひそと話しているが、俺にはどうでもいい。
彼女の顔から視線が逸らせられない。
「黒板に名前を書いてから、自己紹介してください」
「わかりました」
チョークを持つ手が黒い布に覆われているのが見える。よく見れば反対の手もだ。そしてそれは袖の中まで続いている。
……嫌な予感がする。
転校生は名前を書き上げ、俺達の方を振り向いた。
「私の名前は由布縫子<ユフ・ヌイコ>。これからよろしくお願いします」
軽くお辞儀をして、頭を上げる。
少女の表情は嫌味なくにこやかだ――にもかかわらず、俺の脳裏には睨み顔がダブって見える。
「な、なっ……!?」
俺は思わず立ち上がって指差す。
「おま、お前、お前ぇ――ッ!!」
そこにいたのは――昨晩出くわした、あのボロ布の少女だった。
「えっ……あ、あんた、曲直瀬祈里ぃ!?」