3.『ボロ布の少女』
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「――で、お前はなんであそこにいたんだ?」
倉庫の前にはSKYの擬装トレーラーが並んでいる。
事後調査で忙しなく隊員達が動く中、俺達は倉庫から少し離れた所にいた。
捕まえた少女にコートを羽織らせた後、適当なロープで椅子に縛り付けた。これで捕えられたままでいるなんてただの人間くらいなものだが、何もないよりはマシだろう。加えて、俺と自動小銃を携えた二人の隊員が彼女を包囲している。
この状況で、ボロ布の少女は一向に口を開こうとしない。
「……ったく」
「苦戦しているのかね、曲直瀬」
言葉と共に俺の隣に男がぬっと立った。皺が顔に少し刻まれた初老の男性だ。
「冷やかしは後にしてくれ、二木」
男の名は二木。03地区の警備を統括する第一機動部隊隊長。そして彼が本作戦の指揮を執っている男である。ちなみに03地区とはSKYが用いる呼称で、全世界各地に置かれたSKYの拠点の一つである。
二木はいつものように、ねちっこく嫌味な風に笑う。
「こんな少女に手をこまねいているのかね? お前なりの優しさの発露かな、それは?」
「そうじゃなくてだな――」
「自白剤を用意。打って一分もすれば素直になれる。やれ」
別な隊員が彼女の傍らに立ち、手に握る注射銃を首筋に押し当てる。
「……あの、針が刺さりません」
二木が眉を顰めた。
ああ、そうだ。重量ブロックをぶつけられても本人は全く無事なのだ。注射針が刺さらなくてもおかしいことなど何もない。
「経口投与薬にしますか?」
「どうせ効き目なんか出やしないだろうさ」
「もしや、こいつは翼人なのか。曲直瀬?」
「恐らく。だから、どんな薬物も劇物も効果がない」
外部からの力でなく内部からの侵攻も受けない。それが翼人のアンタッチャブルだ。
「翼人なら何故早く言わない」
「言おうとしただろ。あと誰も翼を見てないから言い切れない。攻撃した時の手応えからすると間違いないだろうが」
「客観性に乏しいか。≪力≫の度数は」
「最大1.21ピルチェ。平常値でした」
横に付く隊員が答えた。
翼人が≪力≫を使うと周囲の空間のピルチェ度数が上昇する。回数を問わず、強ければ強い程高い値が出る。その値が上がってないということは、≪力≫を使ってないということだ。
すると二木はその隊員の腰に付けていた検査機からプローブを引き抜き、俺の頬に押し当てた。
「度数は?」
「1.87ピルチェです。ギリギリ平常値」
「気が立ってるから高いんだ。もっと抑えたらどうかね」
「うるせえ」
俺は二木の手からプローブを奪い取り、彼に押し当てる。
「……1.26ピルチェです」
「普通だね」
「つまらんな」
プローブが戻される。
「ふむ。倉庫から出てきた時は透明になっていたと聞いたが、翼の能力はそれではないのか?」
「俺にも見えてなかったからよくわからんが、透明になってたのは多分こいつが身に着けていた服の方のおかげだ」
「お前に見えてなかったのなら、それこそ翼人の能力ではないのかね? 普通の術は翼人にはかからないのだろう」
「ただの光学迷彩なら目に届く光を誤魔化しているんだし、翼人だろうが何だろうが惑わされるさ。ああちなみに、服とか仮面とかは調査班にもう回してあるぞ」
「結果は?」
「まだ――ああいや、今来たようだ」
調査班の腕章を付けた隊員が俺たちの元へやって来た。彼女が手にしたトレイの上には、黒い破片が散らばっている。
「破片ですが……詳しく調査する前に燃えてしまいました。全て」
そうか。全部燃えたか。
「……は?」
「ぼおっと、一瞬のことでした」
「成程。証拠隠滅の機能でも付いていたんだろうかね」
そこまでするなんて手が込んでいる。これで手掛かりが一つ減ってしまった。
だが、これまでの情報だけでもわかることがある。
「こいつはバックに大きな組織が付いている可能性があるな」
翼人は絶対的な力を持つ。どんな兵器だろうと翼人の命を奪うことはできない。
だがその力を過信している者は三流だ。翼人は万能ではなく、実際はできることが限られている。念力は使えないし、瞬間移動だってできない。翼人は人よりも少し可能が多いだけに過ぎないのだ。
さらに言えば、翼人同士ではそのアンタッチャブルの性質は通じない。翼人同士の戦いになった時には、単純に≪力≫が強い者が勝ち、弱い者は手も足も出ない。その優勝劣敗の原理を黙って受け入れるのは賢い選択とは言えない。
真に強い翼人とは、自分の限界を知り、自分以外の物の力を有効に使っていくものだ。世の中は可能が多い者ほど勝ちやすい。
俺がSKYという組織に所属しているのがそれが理由の一つである。
少女の場合、透明になるスーツを使うことで、自分の翼の≪力≫を隠して潜入することができた。相手に自分の手の内を明かすことなく、またこれ以上ない強力な潜入者になった。
そしてその常識を超えたバックアップを受けられる組織はやはり表の組織ではないはず。
証拠隠滅はされても、どこがやったのかくらいすぐに想像付いた。それは二木も同じようで、彼は言う。
「周囲から見えなくなる魔法のアイテム。そしてそれが敵の手に渡った時はすぐに破却する。そういうことをする組織は一つ知っているね。魔法と神秘の学会――AMMだ」
魔法と神秘の学会、その英名の頭文字を取ってAMM。魔法使いの同盟が中核を成す世界規模の秘密組織。人々を異能の敵対存在から守るという思想はSKYに似ているが、人類文明を管理を標榜し、さらに魔法使いの矜持や利害が絡んでくるせいで複雑な事情が生まれ、多くの場合は我々と反目し合っている。
だが、普段は衝突はしない……むやみやたらにぶつかってもお互い摩耗するだけでメリットがないことがわかっているからだ。
「珍しいことだね、曲直瀬」
「こういう風にAMMの翼人を拾うなんて滅多にないことだな。やっぱり"あの事件"をAMMも追っているのか……」
「かもしれない、ねぇ。他にも、一切気付かれることなく隔離空間の中に侵入できた理由も気になるが……後は曲直瀬に任せる」
「あいよ」
軽く手を振って二木を見送ってから、未だ口を開かない少女に向き直る。
……ったく。こういうのはあまり好きじゃないんだが。
俺は傍の隊員からサイドアーム――拳銃を拝借。
銃口を少女の眉間に宛がう。
「さて、そろそろ喋ってくんねえと、ちょっと痛い方法を使うしかないんだがなあ。我慢できるかなあ、ボロ布のお嬢ちゃん?」
少女は身体を少し緊張させただけだ。高校生くらいに見えるのに怯えもしない。
それどころか彼女はむっとした様子で、俺を睨む。
「ふン、馬鹿にしないでくれる」
ツンとした声。それが彼女の第一声だった。
「ようやく喋ってくれる気になったか?」
「日本はいつから銃の携帯が合法になったのかしら」
「俺が聞きたいのは、なんでお前があそこにいたかってことだ。わかるか?」
「私は知ってるよ、あんたのこと――"銀の弾丸"さん」
あぁ? 急に何を言い出すんだ?
「"玻璃天<ハリテン>"、"燃素"、"ダイモニオン"、"弋<イグルミ>"と並ぶビッグ・ファイブ。AMM指定のクラスA要注意存在"銀の弾丸"……その正体は水の翼を持つ翼人の男。まさかあんたがそうだとはね」
「あーはいはい。そう呼ばれてるのね、俺は。鉄砲玉だなんて皮肉が効いてる」
「魔法を使う者達から魔を破る道具の名前が与えられているのよ。光栄に思ってもらいたいわ。それに、困難を取り払う切り札とも言われているってこと」
「俺はそう呼ばれるのは好きじゃないな」
「何でよ」
「銀の弾丸なんてものは存在しないからだ。今度言ったらぼてくりまわすぞ」
むすっとした表情で改めて睨まれる。
全く、この世界で有名になっても何の良いこともないのに。困ったものだ。
「だからよ。俺のことはいいから、テメエのこと話せ。まだ名前も聞けてないんだぞ」
「嫌よ。嫌に決まってる。そんなこともわからないの、曲直瀬祈里さん?」
さっき名乗った名前……。俺のことをずっと見ていたんだな。
面白くない事態だ。何がって、翼人同士でいて、俺だけ翼の性質がバレている。
翼人にはそれぞれ一つ、独自の特質を持つ。それがそのまま翼の形として現れ、また使える能力を意味する。俺の場合は水。しかし、この透明だった少女はわからない。翼も能力も見ていないのだから。
性質は翼人の長所であり短所。戦いなら弱点を突くのが常道だ。それが俺だけ弱点を教えているようなものだから、こちらが不利と言える状況にある。
「これ以上うだうだやるつもりはない」
俺は近くにあったペットボトルの水を少女にぶっかけた。
≪力≫で水を操って、縛り上げる。
「くっ」
「このまま締め上げる。大人しく綺麗さっぱり吐いてくれれば、こっちだって危害を加えるつもりはない」
「……そう」
表情に出さないように努めているが、少し顔がこわばっている。メンタルも見た目相応の少女ほどにしかないのだろう。だったらやりやすい。
すると彼女は、どこか遠い目をした。俺ではなくもっと別のものを見ているかのような。
「私だって、危害を加えるつもりはないわ」
「どういう意味だ」
「私なんかより構うべき相手がいるんじゃないの?」
爆発音。
俺は咄嗟に振り返る。
背に停めてあったトレーラーが爆発、激しく燃え上がっていた。