24.『最後の日』
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「見せられる資料はそれだけだ、縫子」
俺は朝食後のモーニングコーヒーを飲みながら、縫子に言った。コーヒーは牛乳を入れたカフェオレ。砂糖も入れて甘い。マグカップにたっぷりと飲んで、朝の寝惚けた意識を覚醒させる。
縫子はと言えば、俺の言葉通り、SKYの資料のコピーを読み込んでいる。内容は二種類、昨日寺沢から受け取ったものと、一昨日の林愛梨の事件のものだ。SKYの内部事情をぼかすように検閲してあるが、事件あらましはおおよそ読み取れるだろう。
「ありがとう、祈里さん」
すると切が縫子の後ろから資料を覗き込む。
「……フーン。フンフン。フーン?」
「後ろでうるさいわよ、鬱陶しい」
「えぇー、酷くなーい? ……まあいいや。んで、何かわかったことあるー?」
「今考えてるところだから」
俺も気になるので後ろから覗き込む。
今見ているのは林愛梨の事件のようだ。添付されている写真は彼女の部屋を写したもの。内装や家具がほとんど焦げたり壊れたりしていて、辛うじて元の様子が想像できる程度しか残っていない。
「ナニコレ。机とか床とか棚から何か黒い液体が垂れてる、みたいだけどー」
「蝋って書いてあるわね」
「林愛梨はアロマキャンドルが趣味だって品川が言ってたな。部屋に飾ってあるのが溶けたんだろう」
「そういえばそう……え――?」
それだけ言って、縫子は何かを考え込んでいるようだ。かと思えば、もう一つの資料を見始める。
「キャンドル……?」
「どうしたのさー、ヌイコっちー?」
「……え、えと、何でもない、けど」
「何でもないって顔じゃないが」
「いや……ちょっと、二年前のこと思いだして」
自分が襲われた時のことか。
「あんまり無理するもんじゃないぞ」
「……ええ、そうね」
――縫子は嘘が下手だな。
そうは思うが、聞かないでおく。彼女は喋らないと決めたことは喋らない。
「にしてもさー。ケオスに襲われて生き残ったのが皆、翼人なんだね。翼人だからかな?」
「いやいや、翼人でも殺されたのはいるし、第一この資料の二人だって死んでるんだぞ」
「じゃあ、その中でも運が良かったとか?」
「そういう片付け方もできるだろうが……」
――何かあるような気がするんだよな。
そもそも、切の言っていることは大体間違いだ。
「一年前の事件はケオスに襲われた時は翼人じゃなかった。一昨日の林愛梨はわからないが……。縫子も、翼人になったのは襲われた後だろ」
「ええ、そうよ」
林愛梨が翼人だったという情報は無い。では、翼人じゃなかったと仮定しよう。すると、襲われた後に翼人になっているのが三人の共通点と言える。
後に翼人の≪力≫に目覚めたから死なずにすんだ? いや、そんな偶然が二度も三度もあるとは思えない。人間が翼の≪力≫を得るのは本当に偶然だ。頻度は、仕事上の経験から、03地区で年に一・二人いれば多い方。そんな偶然に選ばれた人間がたまたまケオスに襲われるなんて考えにくい。
むしろ――その逆と考えるのが自然。
しかし、まさかそんなことが――。
「もういいわ。資料見るのはお終い」
縫子が資料を閉じ、立ち上がった。
「何かわかったか?」
「祈里さんこそ、何かわかったんじゃないの?」
「そうだな。俺は今、すごく馬鹿馬鹿しいことを一つ、考えてる」
可能性はある。けれどもそんなことはあり得ない、と判断している。
もしもその原則が崩れるのなら――世界はとんでもないことになるからだ。
しかし、縫子は至って真面目な表情で言う。
「あまり口外するべきじゃないと思うの。このことは私とサンディしか知らないわ」
「そんな、嘘だろ?」
「せめて祈里さんの心のうちに留めておいてくれないかしら。祈里さんは信用できるから」
そんなこと言われても、俄かには信じられない。
大体、この結論に至ったのも仮定を一つ挟んでいる。縫子の発言があって初めて脳裏に浮かんできたようなものだ。確信には程遠い。
しかし、本当にそうだというのなら。
「いや、少なくともはっきり言わせてくれ。SKY全てとは言わない。ここにいる俺達――第八十三部隊だけでも信用してほしい」
「……ええ、いいわ」
「んー、何だっていうのさ、二人とも?」
「いいから。ひつじもちょっと来てくれ」
ちょうど皿洗いを終えたひつじがこちらにやって来て、四人揃う。
「確認だけど、盗聴器は?」
「ああ? 普通に住んでるのに付いてるわけねえだろ」
「私がいるのに不用心じゃないかしら……」
「ふあ……そういうのも含めて、縫子ちゃんもひつじ達と同じ、なんだよ?」
「……そう。ありがとう、ひつじちゃん、皆」
そして、意を決して言う。
「炎の翼人、ケオスには――人間を翼人の≪力≫に目覚めさせる能力を持ってる」
それが縫子が気が付いた事実。
「……それってすごいことなの、イノリっち?」
「もしも人工的に作り出すことができるなら、そうだな。翼人を増やして兵士団を作れば、世界の覇権を握ることも容易いだろう」
翼人ってのは自然に、偶然になってしまうもの。それが原則だ。だから数が揃えられないし、各組織は牽制し合っている。
「歴史的には人工的な翼人の作成は何度も試みられている。SKYやAMMが組織される以前からな。それだけ翼人の≪力≫は魅力的だ」
「ふあ……それが実現していないのは、誰もそれができないから、だね」
その通り。
しかし、もしもそれが覆るというのなら。
「その力を、きっと世界の誰もが欲しがるだろうな」
「……私がケオスを追うのはそれが理由。まあ、これまでは可能性の一つってだけだったけど……これだけ情報があれば、かなり信じられるわね」
だから、内密にしておくべきなのだ。世界に知られる前にケオスを始末しなければ、その力を求めて世界が混乱に飲み込まれるだろう。
「お願い。皆、このことは内緒にしておいて」
「当然だ。SKYの目的は世界の調和を保つこと。翼人を増やして世界に覇を唱えようなんて考えちゃいない」
「大きな組織であればあるほど、どこにも野心がないなんて信じられないわ」
「ヌイコっちってば、ちょっと酷くない?」
「……ま、否定はしないでおこう」
言っても縫子は聞かないだろうし、やはりその言の通りで決して無いとは言えないものだ。
「わかった。ひつじ達は内緒にしておくよ、縫子ちゃん」
「そうだねー。アタシも。イノリは?」
……一応、わかったことを二木に報告する義務があるんだがな。
「能力が何であれ、ケオスを野放しにしておくつもりもなければ、他の組織に渡すつもりももちろんない。だから、黙っておいても支障はないだろう」
「なんか理屈っぽいよー、イノリっち。単純に協力するって言えばいいじゃんー」
「……ああ、その通りだよ」
俺は縫子に向き直る。
「俺達のことは心配するな、縫子」
「……ありがとう、皆……」
話が落ち着いたところで、ふと、テレビの音声が耳に入る。
――連休初日の今日は日中は晴れ。しかし、夜には天気が大きく変わり、大雨が降る予報となっています。
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夕方。午後六時より少し前。縫子はアレクサンダーと会って話をするつもりだと言った。
「隠したところで昨日みたいに尾行してくるでしょうから」
その言葉から、彼女の義理のようなものを感じた。
そして、縫子はすぐに宿舎を出た。俺は最低限の人員を要請し、第八十三部隊の三人で後を付けることにした。
……縫子は今からアレクサンダーと会って何を話すつもりなのか。
思うに、彼女は俺達に行っていない何かに気が付いている。そして何かを画策している。
「ありがとう――それじゃ」
出ていく時に小声で言ったその言葉が、やけに部屋に響いて聞こえた。