2.『透明な目撃者』
俺は"誰か"を追いかける。
目には見えない。しかし足音はその"誰か"が二本足で走っていることを俺に教えている。
さらに俺は≪力≫で知覚することができる。空気を割り、乱れが風を生む存在を知ることができる。
だから追跡できる。
倉庫の通路を走っている。奴は途中にいる他の隊員を時には避け、時には体当たりで押し退ける。
互いの距離はおよそ十メートル……埋まりそうで埋まらない距離だ。俺の≪力≫の知覚が遮蔽物無し・好気象で最大五十メートル。だが今の場合だとせいぜい二十メートルが限度というところ。
外は木々の生い茂る山の中。そこに逃げ込まれたら知覚することは難しい。チャンスは外の出るまでの短い時間。起こせるアクションは一・二回が限度だろう。
十分だ。思わず口端が上がる。
「どこの誰だか知らないが――!」
俺は傍に落ちている重量ブロックを片手で拾いあげる。翼人の性質からすると手で掴めるなら質量なんてものはあってないようなものだ。
構える。
"誰か"との距離は真っ直ぐ。
「――無事に帰すわけにはいかないなッ!」
ぶん投げる!
重量ブロックは直線で宙を飛び、"誰か"のいる場所で砕けた。
命中だ。
当たったのは、脚。
頭や胴なら当たり所が悪ければ死んでしまう。するとどうしてここにいたのか聞き出せない。それはプロフェッショナルじゃない。しかし脚なら最悪歩けなくなるだけだ。それでいてちゃんと足止めできる。
狙い通り、奴の身体はバランスを崩し――。
「……止まらない!?」
"誰か"の存在は走り続けている。
何故無事なんだ。無敵か。ロボットか。いや、それでも重量ブロックが当たって少しも壊れないなんて考えられない。すると何らかの力で強化されているか、あるいは。
――まさか、同じ翼人か?
わざわざ静岡くんだり、しかも富士以西なんて03地区の管轄外までやって来て、ただの魔法使いグループをとっ捕まえただけで終わりなんて無駄骨かと思ったが、翼人が絡んでいるなら話は別だ。
"あの事件"の鍵を握っている可能性は高い。
尚更逃がすわけにはいかないな。
これまでのルートからすると、奴は倉庫の南側の出口から抜け出すつもりのようだ。
通信機、は壊したままか。俺は走りながら途中にいる仲間に声をかける。
「作戦本部に連絡! 南出口から二十メートル付近に放水してくれ!」
「はっ、了解」
理由は説明しなくても動いてくれる。短い時間でも咄嗟に動いてくれる。それがこの組織、SKY。そうしなければ目的は達成できないのだからこその当然だ。
およそ七秒後。
"誰か"が出口を飛び出す。
時間は長くない。しかし大丈夫、と俺は思う。
奴が出口の外に出た。
二秒。
遅れて俺が続く。
「放水開始!」
間に合ってくれた。
夜の下、ライトで照らされる中、放水車から水が放たれる。宙を舞い、光を反射する放水の間に、"誰か"の透明な影が何もない空間としてくっきりと浮かび上がった。
そして俺も手を伸ばし、その飛沫に触れる。俺の翼は水の翼。俺の≪力≫は水の≪力≫。水の中にいるということは俺の手の中にいるのと同じことだ。
力を解き放つために翼を展開。
作り出すのは水の奔流。
奴の身体を絡め取り巻き込むように流れを作る。ただの流れも速さを持てば力を為し、質量の増加は破壊力を意味する。
行き違いになる流れの水圧はその肉体を揉み、引き千切らんとする。
放たれた水を汲水し、奴中心に捩じり込む。
結果として生まれるのは巨大な水球。
「――流牢捕瀑<リュウロウホバク>」
ただの人間なら十秒もあればパーツがバラバラになるだろう。つまり手を抜いている。それに、感触としてわかるのは奴の身体がそれ以上の抵抗力を発揮しているということ……やはりただの人間ではないということ。
まあ、詳しいことは後で聞き出せばいい。
装備や着ている服は呆気なく細切れになったようだ。屈折でよく見えないが、水球の中に人間の姿が見える。恐らく透明になる能力が解除されたのだろう。
三十秒も回し続ければ弱ってくるのが手に取るようにわかるわけで……俺は水球を解く。制御を失った水は重力に従って地面に落ち、流れていった。
地面の上に残ったのは、何か黒い布。それに鈍い金色の仮面か。恐らく透明になっていた奴が身に着けていたものだろう。
そして、俺のことを覗き見していた"誰か"のありのままの姿がそこにある。
それは。
「女……の、子ぉ?」
高校生……くらいか、女の子が現れた。
「……ゲホ、ゲホッ」
力なく倒れ、ぐったりとした様子で、飲み込んだ水を吐き出すために咳き込んだ。
服は剥ぎ取った。しかし意外に思ったのは、全裸ではなかったということ。その裸体に所々何かが貼り付いて素肌を隠している。割合では三割ほど。胴に集中しているのと、特に両腕は上腕から先が全て覆い隠されている。
一体何がくっついているのか。近付いてみてわかった。
暗色の布。
それも、糸で地肌に直接縫い付けてあるのだ。
継ぎ布だらけ――ボロ布の少女。
「何なんだ、コイツ」
わからない。どうしてこんな姿をしているのか。そもそもどうして姿を隠して倉庫の中にいたのか。さっぱりだ。
問いたい気持ちは山々だが、とりあえず。
「誰か、コートを取ってきてやってくれ。裸のままでいさせるわけにもいかないだろう」