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ツバサ・アンタッチャブル  作者: 鏡十一
[3]傷跡のアプリケ
16/25

16.『傷跡のアプリケ』

  □


 曲直瀬祈里は、馬乗りになっている由布縫子の顔を見上げている。


「やだ、なんで、私……っ」


 目尻から溢れた涙を布の腕で拭い、けれども後から追い付いてくるそれも、さらに拭う。戸惑い、何度も繰り返し、しかし止まらない。

 ……なあ、もういいじゃないか、縫子。

 AMMから下された命令は、うちの情報を流すとか俺を殺すとか、きっとそんなものだったんだろう。そんなの最初から分かり切ってるさ。俺も馬鹿じゃない。

 でもさ。その命令通りにするのが、泣くほど嫌だったんだろう? 縫子は真面目だからちゃんと命令をこなそうとして、でも良心はそれを許さなかったんだろう?

 ただ一緒に飯を食って風呂に入って……それだけのことでも、お前にとっては得難いものだったんだろう? 昔の自分にはあったもので、でも今はもう無いものだと、思い出でしかないものだと、諦めていたんだろう? AMMのエージェントとして食事も取らずまともな寝床もなく、学校にだって通わず。そんな生活が本当は嫌だったんだろう?

 だったら、もういいじゃないか。


「なあ、縫子。お前がもしも、助けてほしいって言ってくれるなら、俺はお前をいつだって助けるよ」

「わかんないっ、わかんないわよっ!」


 縫子は腕で涙を拭い、目元を隠す。口は歪み引き攣っていてるのが見える。


「なんで私に優しくするの? 私は敵なんだよ!?」

「そんなの、もういいじゃないか」

「私の身体は傷だらけで! お父さんもお母さんも、うちも、何も残ってなくて! これまで色んな人を傷付けて! 私にはもうこの道でしか生きてくしかないって! そう思ってたのに……!」

「もう、いいんだ」

「私に優しくしないでよ……!!」


 がば、と俺の胸に顔を押し当ててくる。俺の服をもがくように引っ掻き、声を押し殺して泣く。


「いいじゃないか、縫子」

「良くないよ……良くないわよ……」


 縫子は熱く、けれども自分をできるだけ殺して泣いた。

 俺は何も言わない。彼女はまだ、自分の中の感情を理解できていないだろうから。

 黙って縫子の重みを受け止めるだけで、今は十分だろう……。


「――」


 それから十五分くらいしただろうか。縫子は俺の上から隣に転がり降りた。

 二人並んで寝ている。まだ顔を見られたくないのか、彼女も俯せになっている。俺も顔を見ないように仰向けだ。


「祈里……さん」

「ああ、曲直瀬祈里はここにいるぞ」


 答えれば、彼女のぬいぐるみの手が俺の腕を弱弱しく掴んだ。


「ん……このこと、見なかったことにして」

「おう」

「ちょっとおかしくなってただけだから」


 強情な奴だ。あるいは、まだAMMに心残りがあるのか。

 それでも、俺の命を奪ってやろうという鬼気迫る気配はもうない。だったら進展はあったことだろう。


「だが、俺の言ったことは覚えておいてくれ」

「……何よ」

「お前が助けてほしいって言ったら、必ず助けてやるよ。だけど、言わなきゃわからねえからな。だから困った時は必ず助けを求めるんだ」

「……一応、覚えておくわ」


 縫子が身体を俺の方に向けた。

 チラと縫子に目を遣る。気恥ずかしそうに、俺の顔から視線を逸らしていた。


「さて、寝るか。お前は寝ないのか」

「……翼人は眠らなくてもいいから」

「寝た方が頭がスッキリするぞ」

「久し振り過ぎて、どうやって寝たらいいのか忘れちゃった」

「そんなの簡単さ。瞼を閉じればいいんだよ」


 なんてことはない。食事をきちんと取り、風呂にも入って体温が上がった。自覚はなくても、精神は心地良い程度の疲労を得ている。その気がなくたって、すぐに眠ってしまうだろうさ。

 けれども、彼女は瞼を閉じようとしない。


「……本当は、怖いの。夜に眠るのが……だって、二年前のあの時も、夜だったから」


 二年前のあの時……ケオスに襲われたその時も、夜だったのか。だから、一人夜も眠らず警戒していた。

 でも、今は違う。この宿舎ならそれなりに安全だし、一人じゃない。


「いざって時は、俺が守ってやるよ」

「ふン、月並みなこと言うのね。バカみたい。ほんと……」


 ぽつりぽつりと吐く言葉は嫌味がない。むしろ、おかしくて笑ってるようで、言ってから自然と微笑んだ。


「……にへへ」


 瞼が落ちてすぐに小さく寝息を立て始めた。

 ……好きなだけ眠るといい。


「おやすみ、縫子」


  □


 翌朝。

 俺は目を覚ます。

 あの後は特に寝首を掻かれるということもなかったようだ。ちゃんと首は繋がっている。まあ、冗談だが。

 縫子は隣、安らかな顔で眠っている。

 遠くから朝食を用意する音が聞こえる。きっとひつじがやってくれているのだろう。毎朝のことだ。

 時計を見れば七時の十分前。そろそろ起きて行ってもいい時間だろう


「起きろ、縫子」

「ん……ぅ……」

「いつまでも寝てるんじゃないぞ。今日も学校行くんだろ」

「すぅー……すぅー……」


 寝起き悪いなコイツ。二年間寝てなかったのかもしれんが、いつまで寝かせておくつもりはないぞ。

 ……仕方あるまい。

 俺は再び横になる。そして頬を引っ張る。


「うにー」

「うぅ……うっ……」


 柔らかい。あと面白い顔だ。

 当の彼女は寝苦しそうに眉を顰め始める。


「ぐ……ぅう……」

「いい加減起きろよ。寝過ぎは身体によくないぞぅ」


 すると、目をぱちくり。

 ようやく起きたか――と思った瞬間、顔面に布の拳がめり込んでいた。


「ぶ」

「……なんであんたが一緒に寝てるの!?」

「えっ、そこからか?」


 縫子を宥め昨晩のことを思い出してもらい、それから俺達は食卓へ向かう。

 すでに朝食の準備は整っていた。先に切が席に着いている。彼女はまだパジャマ姿のままで、髪もボサボサで、瞼もほとんど閉じている。まあ俺も縫子も着替えてないのは同じだが。対照的にひつじはすっかり身支度を済ませている。エプロンを外し、余った椅子の背もたれにかけた。

 四人が席に着き、手を合わせる。


「いただきます」


 メニューはご飯と味噌汁、塩鮭。卵焼きにウィンナー。漬物。あと昨日の残り物のから揚げ。手早く用意されたものでも、これだけ用意してくれるのはとても有難いと、まずは味噌汁に口を付けながら思う。

 ふと目を遣ると、食卓の隣に置かれた小さなテレビが今日の天気予報を告げていた。


『今日は午後から雨が降る見込みです。お出かけの際は傘を持って――』


 この春の時期はさめざめと雨が降るもんだなあ。

 すると、縫子が言う。


「……私、雨は嫌い。祈里さんはそうじゃないだろうけど」

「かもな」

「ひつじも、あんまり好きじゃない。髪の毛がごわごわする」


 ひつじはくせっ毛が湿気で増悪するからなぁ。

 切は素直な髪質で面倒はなさそうだが。


「アタシも荷物が増えるからキライだなぁ」


 なんて薄ぼんやりと言っている。


「……ふあ。ひつじの髪、後で梳いて、祈里君……」

「ああ、いいぞ」

「じゃあ、アタシの髪の毛も久しぶりに結ってヨー。三つ編みの腕前が落ちてないか見てあげるヨ!」

「何でだよ」

「ええ、ひどくない? なんでアタシはダメなのさ、ヨヨヨ……」

「わーったよ……」

「……」


 視線を感じて顔を上げると、縫子と目が会った。


「ふあ……縫子ちゃんも、髪、梳く?」

「えっ、何で私が!?」

「そういう目をしてるからじゃないのー?」

「私がどういう目をしてたっていうのよっ!?」

「どうってさあ……今まさにそういう……そういう目をした!」

「だから何よ!?」

「……んで、縫子。お前もやるのか?」


 しどろもどろになっていた縫子はぴたりと動きを止め。


「わ、私はいいわよ……」

「おう、そうか」


 じゃあ二人だけ。ああ、ただでさえ朝は時間がないというのにな。

 ……まだ縫子に見られているのが気になるが。


「ふン。……祈里さん。そういえば、これは気付いているかしら?」


 何をだ。


「あいつは……ケオスは雨の日に現れる」


 ケオス――炎の翼人。縫子はそう言った。

 彼女はケオスの情報を喋った。ヤツが雨の日に犯行を行うと。

 しかし。


「確かにこれまでの犯行記録では雨の日がそれなりにあったな。だが晴れの日もあった。それに雨が続いても何のアクションもない日があった。決して雨の日に行動するとは限らん」

「そりゃ、相手は腐っても翼人よ。知性がある相手だもの。単純な法則になんて当てはめようとするのが馬鹿馬鹿しいわ」

「じゃあ何だっていうんだ」

「あいつに襲われた時、言っていたのよ。『雨の日は嫌いだ、だから燃やす』んだと」


 彼女は真剣な眼差しを俺に向ける。


「私の時も、雨が降っていたわ。だから雨は嫌い」


 由布縫子はケオス事件の今分かっている限り唯一の生存者だ。

 その彼女が言う言葉は、紙で回ってきた資料以上に真実味を持っていた。

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