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ツバサ・アンタッチャブル  作者: 鏡十一
[3]傷跡のアプリケ
15/25

15.『使命』

「うん」


 ひつじちゃんはゆっくりと頷き、それから私の隣の洗い場に座った。

 見た目からすると小学校の高学年くらいだろうか。小柄で華奢。毛も薄い。透けるような白い肌は張りがあって、傷一つなく輝いているように見える。

 私はつと自分の身体を隠すように腕でもがいて、でもそんなの意味がないからすぐに諦めた。ひつじちゃんと目を合わせづらく、正面、鏡から視線を落とす。


「縫子ちゃん、何か……落ち込んでる?」


 ぎくりとする。子供の視線はどうにも、人の心を見透かしているのではないだろうか。


「ひつじちゃんは、私の身体見ても、怖くないの?」


 全身の傷を隠すため、布を地肌に縫い付けた姿。それはおよそ健常な人間の姿ではない。

 それを見てこの子は何も感じないのだろうか。


「ひつじも戦う人だから。怪我をした人を見ることはたくさんあるよ?」


 ひつじちゃんの声色は変わらない。小学生とは思えないほど落ち着き払っている。話しながら合間合間にシャワーを浴び、頭を洗っていて、小さい子なのに器用だ。

 でも、と彼女は言葉を続ける。


「翼人は傷つかない。傷を受けてもすぐに治るんだよ」

「それは、そうらしいわね。でも、私はこうだから」


 私は違う。

 私の傷は治らない。

 二年前。ケオスに襲われ、両腕を失い全身に傷を受けた。その爛れた肌が醜くて、私は自分の≪力≫で肌に布を縫い付けた。継ぎ接ぎだらけの、ボロの身体でも、傷を見るよりはマシだと思った。

 傷を見れば、自分が失ったことを再確認することになるから。

 それ以来、布は縫い付けたままだ。決して外したことはない。が、その傷はまだこの布の下で息を潜めていることだろう。


「ふあ……ひつじは知ってるよ」

「何を?」

「傷は治るものなんだよ。でも、中には治らない傷がある。それは、心に受けた傷。治らない傷には、心残りがあるんだよ」


 ……心残り。

 そんなもの、いくつでもある。

 炎の翼人ケオスに襲われさえしなければ、私は翼人になることもなかったし、飲まず食わず寝ず、ただ任務を達成するだけの生活を送ってなんていなかったんだから。


「ふあ、そのままでずっといると、寒いよ?」


 考え事をしていて、シャワーも浴びていなかった。こんな子に心配されるなんて、年上として自分が情けない。

 だから心配は無用だと、少し微笑んで見せる。


「寒くないわ。だって翼人だもの」

「……ううん」

「ううん? いや、ううんって言われても」

「寒いよ。だから、湯船に浸かろ」


 あれ、あれ?

 ひつじちゃんに手を引かれるがまま、私は湯船の方へと導かれる。彼女が先に入り、そのまま私も後追う形になった。

 二人並んで座る。

 ……温かい。

 身体の芯から温められる感覚は久しく味わっていなかったものだ。同時、自分の身体がこれまで冷え切っていたことを自覚する。


「……はあ」


 思わず溜め息が漏れた。

 すると、自分の手に感触。


「あ……」

「ほら、あったかくなった」


 ひつじちゃんの小さな手が私の手をふにふにと揉んでいる。それは私本来のものじゃなくただのぬいぐるみだ。でも、感覚のフィードバックはあるので基本的には変わらない。

 ……そんなに冷たかったのかな、私。

 途端、ぐっとひつじちゃんが身を乗り出した。何をするのかと思えば、座っている私の前に身体を移したのだ。

 そして、膝の上に座る。

 水の中のせいか想像以上に軽い重み。くっついた肌を通して、子供特有の芯のある体温の高さを感じる。


「ふあ」


 ひつじちゃんはそれだけ言っただけ。

 ……え、何で座られたんだろう?

 理由はわからない。が、居心地は悪くない、と思う。


「なんだぁー、どうしてるのかと思えばらぶらぶじゃん二人ともー」


 新たな声が、浴室の中に響いた。どこか気の抜けた喋りの主は真柄切だ。


「やあやあ、ヌイコっちー」

「……何しに来たの、真柄さん」

「えぇー、ご挨拶だなぁ。お風呂に入りに来たに決まってんじゃん」


 切はかけ湯をさっと済ませ、そのまま湯船の中、私の隣に座った。


「ああ、アタシのことは切でいいよ?」

「別に呼ばないわよ」

「そんなつっけんどんに言わなくてもいいじゃん。ねえ?」


 同意を求めた先はひつじちゃんだ。ひつじちゃんは私の胸に後頭部を押し付けて、言う。


「……仲良くして?」

「……切」

「はいはーい。切だよー」


 調子狂うわね。


「なんだよもー。そんなむすっとすることないじゃんかー」


 切は言いながら首に抱き着いてくる。


「さ、触らないでよ!」

「アタシにもいちゃいちゃさせてよー」

「暑苦しい!」

「……ひつじも暑苦しい?」

「ええっ、いや、ひつじちゃんは……」

「ナニソレ、おかしくなーい?」


 何よ、べたべたしてきて!

 こんなボロの身体でも全然気にしてないみたい。自分の身体のことで悩んでた私がバカみたいじゃない。

 ……まったく。

 すると、浴室の扉が開く音。


「ああー……縫子の荷物が届いたから部屋に運んどいたぞ。ひつじ、他にすることはあるか?」

「ないよ。もう大丈夫。ありがとう」


 新たに現れた声の主もかけ湯だけして、私達と対面の位置に浸かった。


「そういえば縫子の姿が見えないな……今、どこにいるんだ?」

「目の前にいるじゃん。ていうか、風呂入る時くらいサングラス外しなヨ」

「ああ。開発部が新しく開発したっていう、風呂用サングラスSKY-Mk-X。絶対にレンズが曇らないって言うから付けてきたのに、全開で曇るじゃねえか。前が見えねえ」

「前はがっちりしてて重度のサイバーガジェット感あったけど、随分とマシになったじゃん」

「あれ分厚い眼鏡部にシャンプーとリンス内臓しただけで風呂用って言い張ってただけだからなあ。デザイン寂しいから発光部付けたりさ。当然、レンズ部分は光透過しないから内部投影方式だし」

「ふあ、そういえば内臓カメラ、前よりレンズが目立たなくなったね。今は普通のサングラスみたい」

「もしかして曇らないってカメラレンズの方かよ! 投影映像に切り替えると……おお、マジで曇ってないな。……どうした縫子。そんなに眉立てて」


 ……どうしたも何も。


「なに平然と一緒に風呂入ってるんだあっ!!!」


 曲直瀬祈里の顔面を思い切りよく殴り抜いた。


「なんだ、もう何度も見られてるんだから今更恥ずかしがることないじゃん」

「そういう問題じゃないわよっ!」


  □


 そして、私は私のために用意された部屋の中にいる。

 今は一人だ。

 他の三人も各々の部屋に入っていった。物音も聞こえない。きっともう眠ってしまったのだろう。

 私は一人だ。

 これまでがそうであったように。それが当然のように。

 私には使命があるのだから。


「……」


 私がのこのこ捕まったのは、SKYの内部を潜入調査するためだ。そうすることでSKYの動きを知ることができるとサンディが私に命じたのだ。

 結果は期待以上だった。だってSKYの翼人部隊の宿舎に招かれたのだから。敵対しているにもかかわらず、まるでそんなことがないように歓迎されて、すっかり懐の中だ。

 あまりにも呆気なさすぎて笑ってしまう。

 帰ってきた荷物の中には、仕事の時に付ける仮面が入っていた。これ自体は魔法道具でなく単なる仮面だというのはSKYの連中にもわかったのだろう。

 私はそれを身に着ける。

 そして、静かに窓の外に出た。

 バルコニー伝いに部屋を移動する。目指すのは曲直瀬祈里の部屋。

 中は灯りが付いていない。カーテンの隙間からベッドを見る。曲直瀬祈里が仰向けに寝ているのが見える。

 私は窓の隙間から糸を通し、鍵を開けた。音を立てないように部屋の中に入る。

 ……イージーだわ。


 曲直瀬祈里は眠っている。流石に寝る時くらいはサングラスを外していて、両の瞼が閉じているのが見える。

 彼に跨るとベッドが軋む音がした。が、彼は起きる様子はない。

 彼の緩やかな呼吸を感じると、そこに生きているというのをまじまじと覚える。

 それに、温かい。妙に心が落ち着いて、離れがたい温度。そういえば、人のぬくもりというものを久しく感じていなかったことを思い出す。

 だって、サンディは私に触れてくれなかったから。

 だから今はどうしてもこのぬくもりが愛しく思えてしまう。

 ……駄目よ、縫子。自覚しなさい。

 サンディが言っていた。曲直瀬祈里……"銀の弾丸"はこれまでAMMに仇なしてきた。彼を暗殺できれば、AMMから多大なる称賛を得ることができるだろうと。今後AMM内での地位も約束されるだろうと。

 ……サンディのためにもなるだろうから。

 だから私はやろうと思う。

 炎の翼人を倒すのに協力を求めたのは、理屈は嘘じゃないが、あれはただの口実だ。ケオスを倒すのに、曲直瀬祈里でなければならないというわけではない。討伐自体はAMMが本腰を入れれば難しくないはずだ。だってAMMにも翼人はかなりの数がいるらしいし、翼人を倒した実績を持つ"天蓋の魔導士達"もいる。ただ奴の居場所がわからないから手をこまねいているだけ。

 彼の首に両手を添える。

 翼人は窒息では死なない。だが、首を捩じ切れば死ぬ。私の握力ならそれくらい容易いことだ。

 私ならやれる。

 ……そうしたらサンディも私を認めてくれるだろうから。

 力を込め――。


「……っ」


 しかし、躊躇う。

 今日のこと。彼らにもてなされたことが脳裏にチラつく。曲直瀬祈里がこちらに伸ばしてきた手が、ひつじちゃんの笑顔が、切の気の抜けた喋りが過ってしまう。

 ……私に、曲直瀬祈里を喪わせることができるの? 彼の存在を奪うことが私に許されているの?

 そして、私は何のためにこんなことをしているの……。


「……お前は寝る時に仮面を付けて寝るのか?」

「っ!?」


 見れば、彼の眼が私を見つめていた。


「……やっぱり眠ってなかったのね。私が来るってわかってたんだ」

「いや、お前が来たから起きただけだ」

「嘘吐き」

「嘘じゃないさ。お前はやらないと思ってたからな」


 ……どうして。どうしてあんたはそう言うの。私の何を信じて寝込みを襲わないなんて言っているの? 私が何か信用を得るようなことをした?

 無償の信頼なんて、馬鹿馬鹿しい!


「――ああ、確認せず風呂に入ったのはすまなかった。今度から気を付ける」

「そういうことじゃないわよ! 茶化さないで!」


 胸を殴ると小さく呻いた。

 ……なんか、何もかも私が悪いみたいじゃない。


「嫌い。嫌い。あんたのそういうことが大嫌い!」

「わかってるよ」


 彼の手が、私の顔に伸びる。

 触れたのは被っている仮面だ。引き剥がされる。


「仮面を被るのは顔を見せないためじゃなく、見られたくないためか……」

「何よ――」

「泣くなよ、縫子」

「な、泣いてなんか……っ!」


 言った後、目尻から熱いものが零れて、頬を伝い落ちた。

 気付かなかった。

 ……なんで。


「なんで私、泣いてるの……?」

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