10.『血の戦い』
由布縫子がその背から広げた翼は、蝙蝠の翼を模した形。しかし丸いフォルムを含んでいる。
それは彼女の両腕を同じように暗色の布を纏っていた。
「私の翼はぬいぐるみの翼! 糸や布を自在に操ることができる!」
その言葉通りのものが来た。
俺の足首を後ろに引く感触。糸が俺の脚に巻き付いて引っ張っているのだ。
同時、縫子が腕を構えて突っ込んでくる。
「同じ手は食わねえんだよ!」
左の剣で糸を切り払い、右の剣でジャブを受け止める。
ぐっ……。
パンパンに張り詰めた腕から放たれた一撃は見た目以上に重い。身体が宙に浮く。二メートルを飛んで着地し、剣を構え直す。
一呼吸、空白。
サングラスの裏の表示。簡易度数測定は3.32ピルチェをマーク。
……まあまあの≪力≫だな。
「翼人は翼を現すことで、持ち得る≪力≫を全て出し切ることができる。あんたも手を抜いてる場合じゃないわよ」
「ごもっともで」
だったら俺も応えよう。
俺の≪力≫の下に、二対の水の翼が顕現する。
すると、縫子が左手首を見た。そこには腕時計のようなものが巻かれてる。
「……ピルチェ値は4.28。流石ね」
「お前の3.3よりも高いだろう」
「ふン。数字はあくまで数字よ」
「それについては俺も同意見だ」
サングラスを外し、縫子を真正面に見る。
「来いよ、縫子」
「っ……あああ!」
叫び。
自らの存在を知らしめる宣言。自らを鼓舞する意思確認。
縫子は叫び、そして来た。
突っ込んでくる!
視界の外から飛んでくる左フックは彼女の身体以上に大振りだが、視認するよりも速い。直感的に剣を叩き付ける。
「くっ」
――斬れない。刃を滑らせたが布の表面を撫でただけだ。
俺の剣は水を操る≪力≫で固めただけだ。他のものなら何だって切断できるが、翼人相手だと限られる。それでも布くらいならいけると思ったのだが――。
今は血の剣だからか!
血の中に含まれる水分は九割。実に一割が不純物だと言える。だからいつも以上に柔らかく、刃の精度はそれ以上に低い。二本でばらばらに成形しているのが駄目押しだ。
せめてちゃんとした水さえあれば……。
続く右フックにも剣を叩き付ける。やはり相手の方が固い。
「水が欲しいんでしょ? だったら背中のソレ、使えばいいんじゃないの?」
「背中の翼は≪力≫そのものだ。もぎ取ったらそれこそ≪力≫が落ちる」
「そりゃあそうよねっ!」
左。右。左右左右左左右。
連続の打撃に対し、血の剣が僅かに刃毀れするのを≪力≫で感じ取る。
このままじゃあジリ貧。だったら――。
「なっ――!?」
俺は血の剣を収め、縫子の左腕に飛びついた。両脚で腕を挟み、さらにフリーになった手で彼女の腕を掴む。そのまま背中側に身体ごと回転する。
腕が捩じられ関節が極まる――布で多少滑っている感触はあるが、問題はない。
いくら腕力が自慢でも俺の体重全てをかけ、さらに関節を極めたのだ。耐えられるわけがない。
床の上に捻り倒す。
「か」
後頭部を打った縫子が短く声を上げた。床が割れている。
それでも彼女は素早く立ち上がり、腕を構え直す。
だからその前に、俺は両手を合わせ、限界まで血を絞り出し成形する。
一本の剣。
≪力≫を一点に集中。
「おお……!」
彼女の腕を斬る。
刃は、やはり布の腕を滑っただけ……しかし、傷を付けた。
≪力≫を込めて膨らんでいた彼女の腕の内部圧力は、包む布を引き伸ばしている。それは新たに付いた傷へと集まることだろう。
小さな傷は負荷に耐えられなくなる。
破裂する。
短く炸裂するような音と共に、中から綿が飛び出す。
「――っ!?」
驚きの表情。
瞬時に傷口を抑え、縫子は後方に跳躍する。
だがここで逃がす手はない。俺はさらに飛び込み、二の太刀を振る。
「うっ……」
縫子は無事な方の腕でガードする。しかも今度は腕を萎ませたままだ。
布は余り、柔らかくなった表面は容易に刃を流す。
咄嗟に判断していなければもう一度表面が切れていた。縫子は勘が良いようだ。
――だったら、今度は胴を斬るまで!
彼女は今度は、俺が壊した壁の方へ逃げる。そこから外へ逃げようというのだろう。
「そうはさせる――かッ!?」
突然、つんのめった。
足元に水平に張った糸が引っかかっている。逃げる振りをして罠を張ったのだ。
抜け目のないヤツ――!
「♪」
ニヤ、と笑った彼女がこちらに反転。腕を振り被る。
そこにあった傷は、糸で縫われて応急処置がされていた。
俺は前のめりに倒れる体勢で、彼女の拳がこちらを真っ直ぐ捉えている。このままじゃ頭が潰れトマトだ。
拳の軌道を遮るように剣を前に構え、空いた手を添える。
「防御のつもり!?」
「いいや!」
水ってのは如何様にも使えるものだ。例えば霧吹きのように拡散して飛ばすこともできる。それに≪力≫を乗せて撃てば、面で制圧する打撃となろう。
「爆沫血霧<バクマツチギリ>」
血が爆発し、縫子を包む。
無数に散った血液の粒が縫子の身体を殴打する。
爆風に身体が揉まれ、彼女の身体が飛び、外の道路に転がった。二・三度むせ、それからよろよろと立ち上がる。
制服が破れ、素肌とそれを斑に隠す布が日の光の下、露わになる。
「くっ……はぁ、はぁっ」
息も絶え絶えという様子。
効果は得られた。が、こちらだって半リットルは血を飛ばしてる。あまり多用したくない技だ。
「まだやる気か、縫子」
「ふン……!」
縫子は腕で胸を隠してから言う。
「これ以上傷付け合うのは得策じゃないわ」
「お前にとっては、そうだな。お前の目的がケオスを倒すことなら、ここで戦っても≪力≫を目減りさせるだけ」
水に触れればそのまま身体の一部にできる俺と違って、縫子のような物が≪力≫を持つタイプは身体や武器を自然治癒でしか直すことができない。それが物体系の特徴だ。縫子の場合は布や糸で直せるだけマシだろうが、それでも減った分はすぐには補充できまい。
「まあ当然、ケオスを倒すだけの余力は取ってあるけど。あんたに深入りする理由はないわ。そう、あくまでこれは小手調べ」
「ここまでボロボロにされて、物は言い様だな」
「うるさい」
まあ、そうは言われても。
「俺にはお前を逃がす理由はない。お前にはあってもな。今回みたいに適当な理由で襲われちゃ堪らないし、まだまだ聞きたいことが山ほどある」