愛と女と疑惑のピース
あくる朝。勇者が我が耳を疑う事態が起きた。
「な、なんですって?今、なんて言いました?」
「だから、もうしばらくこの町に滞在するって」
顔色ひとつ変えることなく、Aはそう言い切った。
「自分の村に、帰るのでは……?」
「それがさ、事情が変わっちまってさ」
「事情?」
「ああ。エリィがな、俺ともっと一緒に居たいって言うんだよ」
「!?」
「だから、しばらくここに居ることにした。俺がいなくてもあの村人の仕事はいくらでも代わりはいるし、何も急いで帰る必要はないからな」
Aはにへら、とだらしない笑みを浮かべた。
「ちょ、ちょっと待ってください。……エリィさんってあの、メイさんの、お姉さんの、ですか…?」
「そうだよ。いやあ、昨夜な、一緒に話してたら、なんかいい雰囲気になっちゃって」
Aはデレデレと、昨夜のエリィとのことを勇者に話した。
「なるほど……。そういうことですか」
「へへ、まあな。ところでお前はどうするんだ?もう出発するのか?」
「……うーん」
勇者はしばし考えたあと、首を横に振った。
「Aさんが残るなら、僕ももう少し残ることにします。メイさんの足の怪我も心配ですし、ここの名物とやらも見てみたいので」
「おお、そうか」
「とりあえず今日は町を見て回ろうと思います。……夕飯はどうします?一緒にどうですか」
「ああ。いいぜ。んじゃ、また宿で会おう。俺はエリィの家に行く」
スキップしながら去っていくAの背中を、勇者は複雑な顔で見ていた。
「メイ、足はどうなの?」
姿見の前で服を着替えながらエリィが尋ねた。
傍らのベッドには足に包帯を巻いたメイが腰掛けている。
「骨は折れてないって。大分腫れもひいてきた。痛みはまだちょっとあるけど」
「ふうん……ねえ、それ、わざとやったの?それとも本当に偶然?」
「お姉ちゃん……!」
「ふふっ」
エリィは鏡台の前に座り、化粧を始めた。
「冗談よ。よくやったわ。さすがの勇者も、怪我をした子供を置き去りにはできないものねえ」
薄化粧を施し、とかした長い髪を片方に束ねる。
服は薄い生地の寝間着一枚で、胸元のボタンをひとつ外し、緩めておく。
「この町に入ってしまえばもうこっちのもの。あとは私に任せて、あんたはゆっくり養生なさい」
「……お姉、ちゃん……」
メイはその小さな手をぎゅっと握りしめ、縋るように姉を見た。
「あ、あのね……」
「…………」
「お二人とも、すごく、いい人なの……。見ず知らずの私のために、ご飯をくれたり、背負ってくれたり……。あの人たちは、一生懸命……!」
「メイ」
エリィが語気を強めに名を呼んだ。
途端に口を閉じ俯くメイ。
エリィは彼女に、諭すように話し始めた。
「いい?メイ。これはね、私達がいきていくためには必要なことなのよ。お金が無ければ、みんな死んじゃうの。そうなったら、メイも悲しいでしょう?」
「……うん……」
「ただ騙すわけじゃないのよ。楽しませて、その報酬をもらうだけ。あの人たちを動かしている人は、たくさんお金を持っているんだから。私達がいくらか貰ったって、痛くも痒くもないのよ。だから何にも悪いことなんかしてないの。わかるわね?」
メイはこくり、と頷いた。
「いい子ね」
エリィは満足そうにメイの頭を撫で、優しく笑った。
「さあ、もうそろそろ来る時間よ。あんたも早く、準備なさい」
「……はい」
「今晩、仕掛けるわ。手順はわかってるわね?」
「……、はい。お姉ちゃん……」
「エリィ。おはよう!」
かちゃ、と扉が開き、Aが入ってくる。
エリィはベッドから体を起こすと、Aを見て、嬉しそうに微笑んだ。
「おはようございます。ごめんなさい。今日は少し体調が悪くて……」
エリィは恥じらうように襟元を手繰り寄せ、上目遣いでAを見た。
「こんなはしたない格好で……どうかお赦しくださいね」
「だ、大丈夫。俺は気にしない、から……」
Aはチラ、と彼女の胸元を見て、すぐに目を逸らした。すっかりエリィの色香に当てられてしまっているようだ。
「昨夜は旅の後で、さぞかしお疲れでしたでしょう?ゆっくりお休みになれましたか?」
「あ、ああ。久しぶりにまともな布団で寝れたよ。エリィこそ大丈夫なのか?具合良くないなら俺、出直そうか?」
「いいえ。というか……」
「?」
「あなたが居てくれたほうが、私、体の調子がいいみたい」
「!」
頬を赤らめ、エリィが微笑む。Aは彼女の隣に腰を下ろし、その長い髪を優しく撫でた。
「そういうことなら。俺はいつまででも、ここに居るよ」
「嬉しい……」
エリィは気持ちよさそうに目を閉じると、Aの肩に頭を乗せ、体を預けた。
「実は……体調を崩したのは、ただの寝不足のせいなんです」
「寝不足?」
「はい。昨夜、なかなか寝付けなくて……。だって、目を瞑ると、いつまでもAさんの顔が浮かんでくるんだもの。私、嬉しくて、胸がいっぱいになってしまって……」
「エリィ……」
Aはエリィの体を抱きしめた。
「エリィ。俺、君のことが、本当に好きだ。すごく、凄く……」
「Aさん……」
「俺、ずっと君の側にいたい。君は、それを許してくれるか?」
「ふふっ……」
エリィはAの胸に顔を埋め、そっと、彼の右手を取った。
「Aさん……。私、あなたに、差し上げたいものがありますの」
「?なんだい?」
Aの手に、エリィがするりと指を絡める。その感触に、Aは背中が粟立つのを感じた。
「あなたに、私の全てを、捧げたいの」
「……!え、エリィ……!」
「どうか、私をあなたの物に、していただけませんか。あなたになら、私……」
エリィはAの耳元に口を寄せ、囁いた。
「今晩、この部屋で……。もちろん、メイは何処かへ行かせます。だから、この家には私とあなた、二人きり、です」
「ふ……ふたり、きり……」
Aはごくりと喉を鳴らした。
高鳴る鼓動。じーんと痺れたように熱くなる頭。
二人の視線が、絡まり合う。
「……今晩、だな?」
「はい。あなたの覚悟ができたら、私をもらいに来てくださいまし。私の方は……もう、覚悟はできております、から……」
「!……わ、わかった」
それから、いくつかの愛の言葉を交わし合って、Aは彼女の家を後にした。
覚束ない足取りで、ふわふわと夢見心地のまま、宿へと戻っていった。
勇者は一人、首を傾げながら町をぶらついていた。
「うーん……何か、気になるなあ……」
エリィのこと。この町の人々のこと。
勇者はなにか、心に引っかかるものを感じていた。
勇者一族の家に生まれ育ってきた彼の元には、昔から様々な人間が集まってきた。
ただの興味本位というもの、英雄という笠が欲しいもの、財産目当てというもの……。
世界を救った者には王からそれなりの権力と財が齎される。
命を懸けるのだからそれは妥当な対価であるのだが、同時に、良くない輩を引き寄せる、恰好の餌でもあるのだ。
生まれた時からそのような環境に置かれていた勇者だからこそ、この違和感に気づいたのである。
観光とは建前で、勇者はさり気なく街の人々の言動からその本性を探っていたのだ。
そして、彼がエリィとメイの家に差し掛かった時。
あの二人の会話の断片を、耳にした。
「騙す」
「楽しませて、その報酬をもらう」
「お金を持っている」
「今晩、仕掛ける」
彼女たちが何かを企んでいることは明白だった。




