本当の気持ち
Aは静かにエリィの家の扉を叩いた。
「エリィ…いるか?」
「はい…」
「ごめん、ちょっと早いけど、いいかな」
「ええ。さあ、どうぞお入りになって」
エリィは中へ招き入れた。
「どうしたんですの?」
「うん。待ちきれなくてさ」
「Aさんたら…」
エリィがAに抱きついた。
「私も、待ち遠しくて…。ずっと待ってたんですの…」
石鹸の匂いがふわ、と香る。
思わずAの体の芯が熱くなる。
「寝室に行きましょ。そこで…」
が。
「…ごめん。やっぱり、こういうのはまだ、早いと思う…」
Aは、エリィの肩を掴んで、身体を引き離した。
「え、Aさん…?」
「物事には、順序ってものがあるだろ?もっと大切に、ゆっくりすすめても、いいんじゃないか」
「…な!?ど、どうして…」
エリィは動揺していた。
こんな状況は初めてだ。
なぜこの男はせっかく差し出された馳走に食いつかない。
今まで騙してきた男はみんな、自分を辺境の小さな町の田舎女だと見下し、そして、油断した。
だからこそ容易く落とせた。それなのに…
「Aさん。そんなこと言って…私のこと、嫌いになったの?」
「いいや。君が大切だからこそさ。今、本当に覚悟が決まった。まずは俺、ここで仕事を見つけなきゃ。それから家を建ててこの街にきちんと生活の基盤を作る。それが、終わったら改めて君にプロポーズをするよ」
目の前のこの男は、至って真面目な顔で自分の描く未来予想図を語っている。
エリィはどうにかAをその気にさせようと頭を働かせた。
「…そんな夢みたいなこと、できるはずがないわ。だってあなたには、使命があるでしょう?魔王を倒さなければ。」
「魔王…?」
「それに、勇者さまとこんな小さな町の女が結婚できるだなんておこがましい事、思っていません。ただ、最後にあなたとの、思い出が欲しいの…」
エリィの渾身の上目遣い。
しかし、Aは怪訝な顔を浮かべている。
「…?いや、俺、勇者じゃないけど…」
「!?なんですって?」
エリィの顔色がサッと変わった。
「勇者じゃ、ない…?」
「ああ。俺は普通の村人の生まれだよ。勇者の道案内のために無理矢理連れてこられただけで…」
「そんな……」
エリィが呆然と呟く。
「じゃあ…あんたはただの人ってことじゃない…」
「あ、ああ…。でも俺、一生懸命働くよ。畑を耕して、作物を育てて…」
「…そんなの、なんの価値もありゃしないわよ」
エリィは服を正すと、クローゼットの方へ目配せをした。
「……あんたたち。出てきてよ」
すると、屈強な男が二人、クローゼットの中から出てきた。
最初から隠れていたのだろう。よく見れば、それは昨日酒場で話した町人のうちの誰かだった。
「こいつは金にならないわ。遠慮なくやっちゃって。その後でもう一人の方を狙い直すわ」
聞いたこともないような冷徹な声。
先刻までのエリィとはまるで違う。
「そうだ…ボコって身動きできなくした後に、人買いにでも売っちゃえば、いくらかにはなるかしらね」
「…!」
男が迫る。
Aに戦闘能力はない。絶対絶命のピンチだ。
その時。
「ちょおっと待ったあああー!!」
叫び声とともに、勇者が扉を蹴破って部屋になだれ込んできた。
「ゆ、勇者…!」
勇者は向かってくる男たちを容易く投げ飛ばすと、Aの手を引っ掴んで家から飛び出した。
「Aさん!早く逃げましょう!ここの町人全員がグルなんです!」
「全員?」
「ええ…あの女は美人局です。旅する勇者を狙って、その後、嘘の証言で王国から慰謝料という名の口止め料をせしめているのです」
「…!」
「この詐欺行為には、きっと町全体が加担しているのでしょう。まずはここから脱出しないと…!」
家々に、一斉に明かりが灯りだした。
二人を捕まえるためだろう。既に囲い込まれている。
「まずい…動き始めた!」
「どうする…」
「勇者さま!Aさん!」
「!」
川の向こうから子供の声がした。
見ると、木陰に隠れたメイが二人に手招きしている。
「メイさん!」
「川を渡ってください!森からなら、見つからずに町を出られます!」
「…」
「早く!」
後ろには追手が迫っている。
勇者は、川に足を踏み入れた。
三人は無事街を出ることができた。
「はあ、はあ…よかった。なんとか、街を出られた…」
「…」
「Aさん、大丈夫ですか?歩けますか?」
「…」
Aはショックが過ぎたせいか、魂が抜けたような顔をしている。
「勇者さま。ここから北に向かうとサナユキの村があります。もしかしたら、まだ追ってくるかもしれません。まずはそこまで逃げてください」
「わかりました。メイさん、ありがとう」
「いえ…。ごめんなさい。私、あなた方を騙しました。あんなに親切にしてもらったのに…酷いことを…」
「メイさん…」
「私、これしか、生きる術をしらなくて…」
「うん」
「でも、お二人と旅をして、楽しくて…。少しだけ、自信が持てました。私、もう少し大きくなったら、この村を出ます」
「そうだね」
「こんなこと、もうしない。ちゃんと、まっとうに生きていきます」
そう告げるメイの目には、確かな光があった。
勇者はメイの肩に手を置き、くっと力を込めた。
「君なら、大丈夫。絶対に、幸せになれるよ!」
こうして二人はメイと別れ、北のサナユキの村へと向かった。