第四章 【五】
瑞希さんと別れた後…。
年が開けた後の、バレンタインデー。
朝、下駄箱を開けると、チョコレートらしきものと、メッセージが書かれた紙が入っていた。
思いも寄らぬ出来事だったが…。
『水野正宏くんへ
伝えたいことがあります。
昼休み、屋上で待ってます。
滝本由香』
紙には、そう書かれていた。
『伝えたいこと』とやらには、心当たりがあった。
俺が、瑞希さんと別れたという話は、バスケ部員には、あっという間に広まってしまった。
高木さんにしか、言っていなかったのだが…。
俺も、口止めはしなかったし、隠しておくことでもないと思ったから、特に気にしていなかった。
みんなに、少し気を使われている感じがして、気持ち悪かったが…。
その中で、滝本さんは、みんなと少し違っていた。
それまでは、何だかよそよそしかったが、よく話し掛けて来るようになる。
『遅くなっちゃったから送ってって』と、言われることもあった。
(この人、俺のことが好きなのかも…。)
そう思ったが、俺からどうこうするつもりは、全くなかった。
嫌いなわけでは、勿論ないが、『異性として好きか?』と問われると、甚だ疑問だった。
「『伝えたいこと』って、何ですか?」
こういう場面は、いかなる時でも緊張する。
出来るだけ平静を装い、滝本さんに問い掛けた。
「もう、気付かれてるかも、知れないけど…。水野くん、『彼女』と別れたばかりだから…、こんなこと言うのは、どうかとも思うんだけど…。」
「…。」
(予想通りの展開だな…。)
「私…、水野くんが好き!初めて会った時から、ずっと…。私と付き合って下さい!」
皮肉にも、瑞希さんの直感は、当たっていた。
「…。いいですよ…。」
一瞬、間を置いて、滝本さんの気持ちに応える。
一瞬の間には、ある人の顔が浮かんでいた。
「本当にー!やったー!」
満面の笑みを浮かべた滝本さんだったが…。
俺は、深く考えずに返事をしたことを、少し後悔していた。
(いつまでも、瑞希さんを引きずっていられない。)
(付き合っていれば、そのうち、好きになるだろう。)
(前の恋を忘れるには、新しい恋が一番って言うし。)
そう自分に言い聞かせ、後悔の念を消そうとした。
バスケットの方は、というと…。
「お前、最近、絶好調だな。」
「確かに、調子はいいかも知れないですね。」
相変わらず、高木さんと居残り練習を続けていた。
「ヘタレでチキン野郎のクセに、何か腹立つ!神…じゃなくて…、滝本もこんな奴の何処がいいんだか!」
憎まれ口を叩く高木さん。
「見てる人は、見てるってことですよ!」
「ふん!今日は、このへんで勘弁しといてやるよ!滝本も待ちくたびれただろうし。」
振り返ると、滝本さんは、いつものように、ニコニコしながら俺達を見ていた。
『好事魔多し』とは、よく言ったもので…。
高校二年生になり、恒例の定期戦を控えた、ある日の練習中…。
俺の膝に激痛が走る。
これは、誰かの所為というものではない。
単なるアクシデントだった。
強いて言うなら、俺の油断の所為だった。
練習中、足を滑らした俺は、チームメイトの足を払う格好になってしまう。
そして、倒れこんで来たそのチームメイトの体が、俺の膝の上に落ちて来た。
全治六ヶ月の重症だった。
定期戦は、勿論、アウト。
インターハイの県予選も、絶望だった。
一応、ユニフォームを着て、ベンチには入っていたものの、試合には出られない。
試合終了後、高木さん達が崩れ落ちるのを、ただ見ていることしか出来なかった。
この上なく、歯痒かったが、涙は出て来なかった。
夏休みに入ると、滝本さんは予備校に通い始め、俺はリハビリが始まる。
怪我の回復経過は、順調だった。
学校がある時は、授業中以外は、ほぼ一緒に居たと言っていい俺と滝本さんだったが、夏休みになると、パタリと会わなくなってしまう。
彼女は、毎日、予備校へ。
俺は、リハビリの為に病院へ行ったり、部活に顔を出したりの毎日。
二人で、何処かへ出掛けるどころか、休みの間、一度も会わなかった。
メールぐらいは、していたが…。
彼女のことを、好きになってきたかもと、思い始めてはいたのだが…。
新学期が始まってすぐの、昼休みに、滝本さんと話していると、
「水野くん…、私のこと…本当に好き?」
と、彼女に聞かれた。
「…、好き…ですよ…。」
微妙な間を置いて、返事をしてしまった。
「嘘つかなくても、いいのに…。『前の彼女』のことが…、まだ好きなんでしょ?」
痛いところを突かれたが…、それは、滝本さんの誤解と言っていい。
完全に忘れたわけではないが、忘れかけていたことではある。
「私達、何度かデートをしたこともあったけど、夏休みの間、一度も会わなかったよね?本当に好きなら、そんなこと、有り得ないでしょ?毎日でも会いたいと思うのが、普通でしょ?」
「それは…。夏休みは、お互い、忙しかったし…。」
「その合間を縫ってでも、『会いたい』とは、思ってくれないんだね…。」
「…。」
返す言葉がない。
「これから私達は、会う時間が、もっと少なくなって行くのに…。」
「これからは、なるべく時間を作りますよ…。」
「それに、私達、付き合い始めて半年経つのに、手だって繋いだことないでしょ?」
「それは、ちょっと照れ臭いからで…。」
「『私と付き合ってる』ってことを、見せたくない人がいるんじゃないの?」
「どういう意味ですか!」
「私と手を繋いでいるところを、元カノに見られたくないんじゃないかってこと!」
「何だよ、それ!」
(言っていいことと、悪いことがある!)
(この人は、そんなことも分からないのかよ!)
滝本さんの誤解から始まった痴話喧嘩は、売り言葉に買い言葉で、どんどんエスカレートしていった。
「私、水野くんのこと好きだけど…、もう、無理かも…。」
「別れるってこと…ですか?」
「うん…。」
(俺は、何度、同じ失敗を繰り返せば、気が済むんだろう?)
この日、俺は、滝本さんにフラれてしまった。
辛い出来事に違いなかったが、今回、涙は出て来なかった。
(『人を好きになる』って、どういうことだよ…。)
(『付き合う』って、どういうことだよ…。)
(『恋人』って、どういうことだよ…。)
何もかも分からなくなってしまった俺は、異性を好きになるのが怖くなってしまった。
滝本さんにフラれた日、どうしても体を動かしたくなった俺は、少しだけ、部活の練習に加わる。
しかし、すぐに激痛が走り、続けることが困難になった。
歩けるようにはなっていたが、走れないのだから、無理もない話なのだが…。
元通りに動けるようになるのは、無理のような気がして、俺の気持ちはプツリと切れる。
次の日から、練習に顔を出すことも辞めた。
正式に退部したわけではないが、怪我が完治した後も、一度も練習に出ないまま、部活を引退した。
それ以来、バスケットボールを触ってもいない。
俺は、何度も同じ失敗を繰り返す、どうしようもない奴だ。