第四章 【序】
『じゃあ、今から迎えに行くね。』
『お願いします。』
『マー君、ホントごめんね。電話に気付かなくて。』
『もう、いいですよ。じゃあ、待ってますから。』
ようやく、身重の妻に電話が繋がった。
電話に出なかった理由は、寝ていたかららしい。
最近、夕方になると眠くなると言っていたし、寝起きの声だったから、疑う必要もないだろう。
(まったく、脅かしやがって!)
少し腹が立ち、横で空を見上げている、俺を脅かした張本人を睨む。
そのOL風の女性が、俺の視線に気付いた。
「電話…、奥さん?」
俺の睨みは効かなかったようで、悪びれもせず問い掛けてくる。
「そうです。寝てただけらしいですよ。」
「ふーん…。何で奥さんに敬語で話すの?尻に敷かれてるの?」
(この人は、空気が読めないタイプなのか?)
「尻に敷かれてるのは、否定出来ませんけど…。話し方は、一緒に働いていた頃からの名残が、まだあって…。」
「ふふっ、尻に敷かれてるんだ!」
バカにしたような笑いに、益々、腹が立ってくる。
「奥さんの方が年上だから、仕方ない面もあるんですよ!」
「ちょっとからかっただけなのに、ムキになることないじゃん!」
(俺に喧嘩を売ってるのか、この人は!)
(その喧嘩、買ってやろうじゃないか!)
「お姉さんは、結婚してないんですか?、迎えもいないみたいですけど。」
考え付く限りの中で、一番の武器を出す。
「私ぐらいの年齢の女性に、そういうことは聞くなって教わらなかった?」
「うっ…。」
渾身の一撃は、いとも簡単に、弾き返されてしまった。
「結婚は…してないよ…。」
「えっ…。」
彼女は、少し間を開けてから、先程の俺の質問に、答えを返してきた。
急に素直になられ、妙に焦ってしまう。
そんな俺にお構い無く、彼女は話を続ける。
「昔…、高校時代に、凄く好きな人がいて…。その人と、付き合ってたんだけど…。」
ポツリ、ポツリと呟くように話し出す彼女。
「…。」
(急に、何なんだよ。俺に、聞いて欲しいのか?)
「ずっと一緒にいられると、思っていたんだけど…。お互いの中で、ちょっとずつ何かが変わっていって…。」
「…。」
(俺は、何か反応した方がいいのか?)
「ある時、私の軽率な行動で、全てが壊れちゃったの…。彼の信頼を裏切っちゃって…。」
「ふーん…。」
一応、相づちを打ってみたが、彼女はそれを望んではいないようだ。
「それから、男の人を好きになるのが、怖くなっちゃって…。それ以来…、『彼氏』すらいない…。」
「その人…、今はどうしてるか、知ってるんですか?」
「別れてから…、街で女の人と、楽しそうに歩いているのを見たことがあったけど…。今は、結婚して幸せになってるんじゃないかなぁ…。」
「まだ、その人のこと…、好きなんですか?」
「さぁ?…よく分かんない…。」
ちょっとした、反撃のつもりだったが…。
聞いちゃいけないことを、聞いてしまった気がした。
「何か…、すいませんでした…。」
「何でキミが謝るの?」
「何となく…。」
「ふふっ…。」
先程のバカにしたような笑いではなく、淋しそうな笑いだった。
人は、ちょっとしたきっかけで、相手のことが好きになる。
そして、築き上げた関係は、些細なことが原因で、簡単に壊れてしまう。
人を好きになるのは簡単だが、壊れてしまった関係は、簡単には修復出来ない…。