第三章 【三】
高校一年生の六月。
西高との定期戦が、目前に迫っていた時期。
この頃には、何とか練習に付いて行けるようになった。
定期戦にも、出られそうだった。
「お前、ようやくまともになって来たな。最初、あまりの酷さに、びっくりしたぞ!ホントに水野か?と思うくらいに。」
居残り練習を切り上げようかという時、高木さんに声を掛けられた。
「最初に言いましたよ。『期待ハズレになりますよ』って。」
「それにしても、酷かっただろ?『走れない』、『動けない』で。」
「去年の夏から、ほとんど体を動かしてなかったですから。」
「どうせ、女のケツを追い掛けてたんだろ?」
「だから、そんなことしてません!」
(この人とは、異性の話しかしてないような…。)
「ところで、お前はどっち派だ?」
「何がですか?」
「うちのマネージャー二人では、どっちが好みなのかってことだよ!」
「そんなこと、考えたことないですよ!」
東高バスケ部の女子マネージャーは、二人とも二年生。
美人系と、可愛い系の二人。
美人系の方は、村上優子さん。
彼女は中学時代、バスケをやっていたらしく、背が高く、そして髪が長い。
性格がキツく、俺は苦手なタイプ。
『彼氏』もいるらしく、部活以外では、全く関係ない人だ。
もう一人は、滝本由香さん。
背の高さは、多分、瑞希さんと同じぐらい。
部活の時は、ポニーテールにしていて、ちょこちょことよく動く。
いつも、ニコニコ笑っており、少し天然。
俺的には、こっちが『ストライク』。
『彼氏』は、いないらしいが…。
俺に恋人がいなければ、好きになっちゃったかも知れない。
口が裂けても、そんなことは言えないが…。
「お前の好みからすると、滝本の方だろ?」
(この人、こういうことは鋭いな…。)
「例えそうだとしても、俺には関係ないですよ。」
「お前、女に興味ないのか?でも、中学の時は神崎が好きだったよな、確か。」
瑞希さんの名前が出て来て、少しドキッとした。
「俺は、『彼女』がいるから、関係ないんです。」
「はぁ?マジか?…そしたら俺…、ちょっと余計なことしちゃったかも…。」
何故か焦り出す高木さん。
「『余計なこと』って、何ですか?」
(今度は何をしたんだ、この人は!)
「まぁ、気にするな…。お前が、その『彼女』のことが好きなら問題ない…、と思う…。」
「…?」
この時は、意味が分からなかった。
「お前の『彼女』って、どんな奴?うちの学校の奴?」
「高校は違います。でも、高木さんも知ってる人ですよ。」
「勿体ぶりやがって!誰だよ!」
「神崎瑞希…です。」
「はぁー?いつの間に…。お前、告白しなかったんだろ?」
「中学の時は、しませでしたけど…。でも、そのあと、色々あったんですよ。高木さんの知らないところで。」
一年間、本当に色々あった。
周りに自慢したいことや、とてもじゃないが、人には言えないことも…。
(そういえば、そろそろ一年経つのか…、あの日から…。)
(早いなぁ…。)
次の日、すっかり日課になっていた居残り練習は、この日は一人だけだった。
練習相手もいないし、そろそろ帰ろうかと思っていた時…。
「あれ?水野くん…だけ?」
体育館の入口から声を掛けてきたのは、制服姿の滝本さんだった。
「滝本さんこそ、まだ居たんですか?」
全体練習が終わってから、既に一時間近くが経過している。
だいぶ、日が長くなって来たとはいえ、外はもう暗い。
「優子ちゃんと話してたら、遅くなっちゃって…。体育館の電気がついてたから、誰かいるのかもって…。ボディーガードでも頼もうかって思って…。」
少し顔が赤い滝本さん。
「じゃあ、俺が送って行きますよ。」
「えっ、でも…、水野くん、逆方向だし…。」
「大丈夫ですよ。滝本さん、自転車でしたっけ?」
「ううん…、歩き…。」
「だったら、尚更、一人じゃ危ないですよ!ちょっと待ってて下さい。すぐ着替えてきますから。」
「ありが…とう…。」
一瞬、瑞希さん以外の女の子と、二人で帰るのはまずいかも、と思ったが…。
(これは、浮気にはならないだろ?)
(滝本さんが、困ってるわけだし。)
(もし、知らん顔したら、寝覚めが悪い。)
自分に言い聞かせながら、帰る支度をしていた。
その帰り道。
「一緒にいた村上さんは、どうしたんですか?」
沈黙が怖い俺は、何とか話題を作ろうと、必死だった。
「『彼氏』と帰っちゃった…。『彼氏』の部活が終わるのを、待ってたみたい…。」
「それって、何か酷くないですか?」
「でも…、優子ちゃんに相談があるって言ったのは、私だから…。」
ポツリ、ポツリと呟くように話す滝本さん。
あまり話題がなく、すぐに沈黙の時間が訪れる。
「自転車の後ろ、乗ります?」
「…!ううん…、いい…。」
歩いて十五分程度の道程が、とてつもなく長く感じた。
(滝本さんは、いつもニコニコしているから、もっと喋る人だと思っていたんだけど…。)
(瑞希さんは、いつも喋ってるからなぁ。俺が黙ってても…。)
思わず、瑞希さんと滝本さんを比べてしまった。
「水野くん…、好きな人…いるの?」
「はっ、えっ?」
沈黙を破った滝本さんに、慌ててしまう俺。
「『アイツに彼女はいないと思う』って、高木くんが言ってたから…。でも、水野くん…、モテるでしょ?」
「全然、モテませんよ。告白なんてされたこともないですから。女子目線から見て、俺のどこら辺がダメなんですかねぇ?」
自虐的な言葉を、あえて明るく言ってみたが…。
「私には分からない…。だって、私は…。」
全くウケなかった上に、何かヤバイ感じがした。
彼女が、どんな言葉を続けようとしたかは、分からない。
でも、これ以上、彼女の言葉を、聞いちゃいけない気がした。
「で、でも、実は俺、『彼女』いるからいいんですけど…ね…。」
「えっ…。そう…なんだ…。」
それ以降、彼女は一言も話さなかった。
(まさか、滝本さんって…。イヤイヤ、そんなはずは…。)
(自意識過剰もいいとこだろ!)
滝本さんを家まで送り届けた後の帰り道、ずっとそんなことを考えていた。
無性に、瑞希さんの声が聞きたくなった…。
『もしもし、マサ君?どうかした?』
夜、瑞希さんに電話を掛けてしまう。
どうしても、声が聞きたくて…。
『イヤ、特に用事ってわけじゃなくて…。瑞希さんの声が、聞きたくなったというか…。』
『ホントにー!嬉しい!…?あーっ、もしかして、何かやましいことがあるでしょ?』
『そ、そんなわけないですよ!』
(す、鋭い…。)
『動揺してる感じが怪しいけど…。まぁ、いいや。私、マサ君のこと信じてるし。』
『何もやましいことはないです。だって俺は、瑞希さんが大好きですから。』
『ふふっ、知ってる!』
『…。』
(何か、『好き』って言わされた気がする。)
『部活の調子はどう?』
『今度、試合に出られそうですよ。短い時間かも知れないですけど。』
『凄いじゃん!マサ君、まだ一年生なのに!友達に自慢しよっと!』
『そんな大袈裟な…。ただの定期戦なんですから。部員全員に出番はあるみたいですし。』
『ねぇ、試合の後、時間あるかな?』
『飯を食う時間ぐらいは、あると思いますけど。』
『じゃあ、お弁当、作ってく!それで、出来たら文化祭も一緒に回りたいなぁ。』
『そこまで時間あるか分からないですけど、お弁当は楽しみにしてます!』
瑞希さんの声を聞いたら、頭の中がすっきりした気がした。
瑞希さんの声を聞く度に、やる気レベルが上がる気がした。
俺にとって彼女は、かけがえの無い存在だと実感した夜だった。




