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勇者パーティーの元会計ですが、英雄たちのやらかし被害を精算することになりました 〜聖女様、村は救いましたが畑が消えています〜

作者: さんすぺら
掲載日:2026/05/17

一話完結の異世界お仕事コメディです。


世界を救った勇者パーティーの「その後」に残された、ちょっと困った被害を、元会計と元侍女の二人が明るく補償していくお話です。

「こちらが、聖女様に救っていただいた畑です」


農夫は、胸を張るでもなく、肩を落とすでもなく、ただ片手を前に出した。


しかし、その先にあったのは。


――白い。


とにかく、白い空間が広がっていた。


エリオットは道端に立ったまま、手元の赤い線が引かれた書類と、目の前の更地を見比べた。


土の色がなければ作物もない。雑草もない。石ころさえ見当たらない。


朝日を受けた一面の白い空間は、畑というより、神殿の床をそのまま大地に敷いたようだった。


隣で、ミラベルがぱちぱちと瞬きをした。


「……ええと」


いつもなら、最初の挨拶で村人の緊張をほどく彼女が、珍しく一拍遅れた。


エリオットはその書類を開いた。


表紙には、レオーネ王国の印と、太い赤線が引かれている。


――英雄被害申請書。


通称、赤札。


勇者パーティーが世界を救う過程で、ほんの少しだけやりすぎた被害を後から精算するための書類だった。


「確認します」


エリオットは、羽ペンの先を紙面に静かに置いた。


「こちら、申請内容では『畑三区画、作物全損、土壌回復費、収穫予定分の補償』となっています」


「はい」


農夫はうなずいた。


「それで、畑はどちらに?」


「ですから、こちらです」


農夫はもう一度、白い更地を指した。


エリオットも再び更地を見る。


白い。やはり、どこまでも白いだけだ。


「ミラベル」


「はいっ」


「畑が見当たりません」


「エリオットさん、まずは現場の方のお話を最後まで聞きましょうねっ」


元気な声が返ってきた。


ミラベルはいつもの笑顔を取り戻すと、農夫の前に一歩出た。旅用の外套の裾が、白い地面の手前でふわりと揺れる。


「大丈夫です。私たちは、そのために来ました! 順番にお話を聞かせてくださいね。」


農夫は、どこかほっとしたように口を開いた。


「ええ。聖女様が魔瘴を祓ってくださったんです」


「それは、たしかに救国行為に伴う処置ですね」


エリオットは書き込む。


「魔瘴の発生範囲は?」


「この畑の下です。根のように広がっていたとかで」


「根のように、ですか」


エリオットは赤札の備考欄を見た。


そこには細い字で、こう書かれていた。


――魔瘴、土壌深部まで浸透。聖女、浄化範囲を拡大。


その下に、別の筆跡が小さく続いている。


――魔法使い、制止を試みるも間に合わず。


エリオットは、そっと目を閉じた。


(また、間に合わなかったんですね)


ミラベルが、農夫の側へと身を乗り出す。


「そのとき、魔法使い様は何かおっしゃっていましたか?」


「言ってました」


農夫は深くうなずいた。


「『待て、そこまでやったら畑ごといく!』って」


「……かなり具体的に止めていますね」


エリオットは備考欄に線を引いた。


「そのあと、聖女様は?」


「にこっと笑って」


農夫は、白い更地を見た。


「『大丈夫です。根本から清めましょう!』と」


ミラベルの笑顔が、一瞬だけ固まった。


けれど、すぐにぱっと明るさを取り戻した。


「聖女様らしいですねっ」


「ミラベル」


「はいっ」


「それは褒めていますか?」


「ん〜、半分くらいは!」


なるほど、聖女様らしい。


エリオットは胸の内でそう頷き、赤札に視線を戻した。


魔瘴は消えた。害虫も消えた。雑草も消えた。病んだ根も、古い肥料も、土中の栄養も、作物も、畝の形も。


畑を構成していたものまで、まとめて清らかになっていた。


「これは」


エリオットは、ペン先を止めた。


「赤札案件です」


「ダメですよ、エリオットさん!」


エリオットの言葉を聞いたミラベルが、あわてて手を振った。


「まずは聞き取りですってば! 先走って判定しないでくださいよ〜」


「しかし、畑三区画が神殿床化している以上、通常補償の範囲を超える可能性が高いです」


「言い方!」


「神殿床化は客観的な現場描写です」


「被害者の前では、その表現はぜーーったいダメですからねっ」


農夫が、少しだけ吹き出した。


農夫の小さな笑いで、張りつめていた空気が少しだけゆるむ。


エリオットは咳払いをして、書類に視線を落とした。


「失礼しました。現場確認を続けます」


ミラベルは農夫に向き直る。


「言っていいんです。困っていることを、順番に教えてください。怒っていることからでも大丈夫です」


農夫は、白い更地を見たまま、帽子のつばを握った。


「……怒っていいのか、分からなかったんです」


その声は、かつては畑だったであろう真っ白な空間に吸われるように小さかった。



村長は、両手を落ち着きなくこすっていた。


若い地方役人は書類束を胸に抱え、何度も村長と白くなった畑を見比べている。


村の集会所には、農夫の家族と、近くの畑を持つ村人たちが集まっていた。外では鶏が鳴き、窓の向こうでは、白くなった畑がひときわ目立っていた。


「いえ、もちろん困ってはおります」


村長が言った。


「なにしろ、畑が消えましたので……」


「はい」


ミラベルが力強くうなずく。


「畑が消えたら困りますよね」


「ですが、聖女様は村をお救いくださったわけでして」


「はい。そこは間違いありません」


エリオットは帳簿を開いた。


魔瘴被害の報告書には、村の作物が黒ずみ始めていたこと、井戸の水にもわずかな濁りが出ていたことが記されている。あと数日遅ければ、広範囲に広がっていた可能性が高かったらしい。


聖女の浄化は必要だった。


そこまでは疑いようがないだろう。


問題は、その先だった。


「今回の論点は、浄化そのものではありません」


エリオットは、赤札を机に置いた。


「浄化範囲の設定と、その結果として畑そのものが使用不能になった点です」


若い役人が、困った顔で手を上げた。


「ですが、勇者様たちが魔王を倒してくださらなければ、そもそもこの村も残っていなかったわけで」


「その通りです!」


ミラベルが即座に答えた。


ミラベルの声が、集会所にぱっと広がった。


その明るさは、ただ元気なだけではない。村の人たちが、本音を口にしてもいいと思えるように、という彼女なりの気遣いなのだろう。


「勇者様たちが世界を救ってくださったことは、本当です。聖女様がこの村を救ったことも、本当です」


村人たちの肩が、少しだけ下がった。


その様子を見ながら、ミラベルは続ける。


「でも、畑が消えたことも本当です。困っていることを言うのは、聖女様を責めることとは違いますよ?」


農夫の妻が、膝の上で手を握った。


「……今年の種も、借りたばかりでした」


その声に、村長が顔を上げた。


農夫の妻は、言葉がこぼれたことに驚いたように口元を押さえる。ミラベルはすぐに、ぱっと笑った。


「はい、ありがとうございます! それ、とても大事ですっ」


「大事、ですか」


「はい! 種代、収穫予定分、土壌回復までの期間。そのあたりは補償に関わります。言っていいんです」


言っていいんです。


ミラベルの口癖が、集会所の中にしずかに響く。


エリオットは項目を書き足した。


種代。収穫予定分。土壌回復費。代替畑借受費。生活維持のための仮払い。


数字にすると、不明瞭だったものがゆっくりと形になっていく。


怒りも、困りごとも、帳簿に載せられる形になる。


「エリオットさん」


ミラベルが振り向いた。


「仮払い、通せますか?」


「条件付きなら可能です」


「条件は?」


「畑が三か月以上使用不能であること。代替耕作地の確保に費用が必要であること。今回の被害が救国行為に伴う通常被害ではなく、特別審査対象に該当すること」


「つまり?」


エリオットは、赤札に軽く指を置いた。


「赤札案件です」


ミラベルはにっこり笑った。


「はい。今度は言って大丈夫ですっ」


役人が、慌てて書類をめくる。


「し、しかし、特別審査対象となると、勇者パーティーの報奨金から差し引かれる可能性が……」


「ありますね」


「よろしいのですか? その、勇者様たちの功績に傷がつくような」


エリオットは、ペンを置いた。


――勇者様たちの功績に傷がつく。


そこかしこで聞く言葉だ。


城門の前でも聞いた。宿屋でも聞いた。橋のたもとでも、荷馬車の御者からも聞いた。


勇者様だから。


世界を救ったから。


その言葉を前にすると、誰もが強く出られなくなる。


感謝も敬意も本物だ。


けれど、その陰でなんらかの被害をうけた人の明日は、どうしても小さく扱われてしまう傾向がある。


「功績には傷はつきません」


エリオットは言った。


「世界を救ったことと、畑三区画分を補償することは、別の帳簿です」


「別の、帳簿」


村長が繰り返した。


「はい」


エリオットは、赤札を開いた。


「勇者パーティーの功績は、みなさんの記憶にしっかりと残っています。王国史にも、しっかりと記録されています。今回の被害は、英雄被害補償制度で処理されます。どちらかを、なかったことにする必要はありません」


ミラベルが、うんうんとうなずく。


「そうです! 聖女様は村を救いました。そして、畑はきちんと補償します。両方ですよっ」


「両方……」


農夫の妻が、小さく言った。


ミラベルは、そちらへ顔を向ける。


「はい、両方ですっ」


エリオットは、書類の端をそろえた。


村人たちは、まだ戸惑っていた。村長も役人も、すぐには頷けないというような顔をしていた。


しかし、少なくとも、先ほどよりは、ここにいる人たちの表情が変わっていた。


困っていると言ってもいい。


助けてほしいと言ってもいい。


そう、思い始めているようだった。


真っ白になってしまった畑を前に、何を言えばいいのか、どうすればいいのか分からなかった人たちが、少しずつ困りごとを口にし始めている。


それでいい。


赤札は、怒りを押し込めるための紙ではない。


困っているという声を、届く形に変えるための紙だ。



「それにしても」


聞き取りが一段落したあと、ミラベルは集会所の窓辺に立っていた。


白い更地は、夕方の光を受けて幻想的な明るさを帯びていた。そこだけ、周囲から切り離された空間のようだった。


エリオットは机の上で、赤札と帳簿を並べていた。


「聖女様、今回も思いきりやりましたね〜」


「今回も、という表現が正確すぎて困ります」


「エリオットさん、それ、本人の前ではぜったいにいっちゃダメですよ?」


「本人の前では言いませんよ」


「なら大丈夫ですっ」


エリオットは、反論しかけてやめた。


ミラベルは聖女様の元侍女だ。あの方の善性も、少しばかり行きすぎるところも、誰よりよく知っている。


軽く笑って受け止められるのは、聖女様の人柄をよく知っているからだろう。


エリオットは、過去の処理済み案件の束を取り出した。赤札の写しが数枚、帳簿の間に挟まっている。


今回の判断に必要なのは、類似案件との比較だった。


ミラベルが、机の向こうからのぞき込む。


「それ、城門の件ですか?」


「はい。城門縦割り事件です」


「物騒な事件みたいに言わないでくださいよ〜」


「報告書には『東門縦方向開放事案』とあります」


「それ、よけいにひどくないですか?」


エリオットは一枚目を開いた。


勇者が開門を待つ時間を惜しみ、城門を縦に斬って通った件。


門番は無事。魔王軍の追撃も防げた。結果として、救国行為に関係はある。


ただし、開門要請から実際の開門予定まで、残り時間は二十秒だった。


「二十秒」


ミラベルが遠い目をした。


「待てませんでしたか」


「勇者様は、待つより開ける方が早いと判断されたようです」


「開け方の問題ですよっ」


エリオットは次の写しをめくった。


「こちらは宿屋星空事件」


「その名前、宿屋の新しい売り文句みたいですね〜」


「実際、再建後は『星の見える宿』として営業されています」


「うわぁ……たくましすぎますねっ」


ミラベルは感心していいのか呆れていいのか分からない顔で、ぱちぱちと瞬きをした。


内容はこうだ。


宿屋の屋根裏に魔物の気配があると騒ぎになった。魔法使いは、気配の正体が猫であることに気づき、勇者を止めた。


しかし勇者は、魔法使いの制止を振り切り、屋根ごと吹き飛ばしてしまった。


とうぜん、魔物はいなかった。


幸いなことに、猫は無事だったそうだ。


宿泊客は満天の星空を見ることになり、一部の客は喜んでいたのだとか。


「魔法使い様、ちゃんと止めていますね」


ミラベルが言った。


「はい。備考欄にもあります」


エリオットは該当箇所を指した。


――魔法使い、猫であると三度主張。


その下に、別の字でこうある。


――勇者、確認を優先。


ミラベルは額に手を当てた。


「確認の定義がむずかしすぎますっ」


「勇者様にとって、屋根は開閉可能な構造物なのかもしれません」


「屋根は開ける場所じゃありません〜」


三枚目は、石窯両断事件だった。


剣士が魔物を一刀で仕留めた。剣筋は見事。村人の被害もなかった。


ただし、斬撃の余波でパン屋の石窯が真っ二つになった。


「剣士様も、剣だけは本当に綺麗なんですよね」


ミラベルは、どこか懐かしそうに言った。


「綺麗すぎて、余波が直線的に残ります」


「石窯にまで残さなくていいんですけどねっ」


エリオットは、過去案件を閉じた。


今回の畑消失は、これらとよく似ている。


目的は正しい。村が救われたのも確かではある。毎度のことではあるが、誰かを助けようとした結果の困りごとなのだ。


エリオットは、赤札の端を指でそろえた。


(今回も、魔法使い様の制止があったうえで、ですからね……)


「判断としては、特別審査対象で問題ありません」


エリオットは言った。


「通常の救国被害ではなく、度を超えた破天荒行動による被害。王国がいったん立て替え、後日、勇者パーティーの報奨金から差し引きます」


「聖女様、報奨金がまた減りますね」


「また、という言葉に重みがありますね……」


「でも、きっと気にしませんよ?」


ミラベルは窓の外を見たまま、明るく言った。


「聖女様はきっと、村が救われたならよかったです、って笑います」


それは、エリオットにも容易に想像できた。


聖女は、清らかに笑うだろう。


勇者は、村が無事なら細かいことはいいだろうと笑うかもしれない。


剣士は、次はもっと細く斬ると豪語しているに違いない。


そして、魔法使いだけが、いつものように頭を抱えているはずだ。


その姿まで浮かんで、エリオットは小さく笑った。


「あの方たちは、世界を救いました」


「はい」


「ただし、人々には生活があります。そのためには、補償も必要です」


「はい」


「だから、その両方を記録に残します」


ミラベルは、ぱっと振り向いた。


「それ、いいですねっ」


「何がですか」


「今の言い方です。被害者の前でも使えますっ」


「では、採用しましょう」


エリオットは、赤札の中段に判定を書き込んだ。


――特別補償対象。勇者パーティー報奨金差引予定。


机の上の赤札が、少しだけ違って見えた。


最初は、厄介な案件の印だった。


今は、村人の困りごとを王都へ運ぶための小さな旗印だ。



翌朝、村の集会所には昨日より多くの人が集まっていた。


白い更地の向こうでは、若い役人が測量縄を持って走り回っている。村長は村人たちから聞き取った内容を、慣れない手つきで一覧にまとめていた。


ミラベルは、農夫の妻から受け取った種の購入記録を見て、大きくうなずく。


「ありがとうございます! これがあると、種代の確認ができますっ」


「こんな紙でも、役に立つんですか」


「もちろんですよ! 数字と日付は強い味方ですからっ」


エリオットは隣でうなずいた。


「その通りです」


「エリオットさんが言うと、紙が武器みたいですねっ」


「場合によっては、剣より強いです」


「被害者の前では頼もしいので、大丈夫ですっ」


エリオットは小さく肩をすくめ、補償項目へ視線を戻した。


エリオットは補償項目を読み上げる。


「畑三区画分の土壌回復費、収穫予定分、種代、代替耕作地の借受費、生活維持のための仮払い。以上を、英雄被害補償制度の特別補償として申請します」


若い役人が、緊張した顔で印章箱を開けた。


「王都への送付前に、村側の確認印をいただきます」


村長が、しばらく印章を見つめた。


その横で、農夫は帽子を握っている。妻は、昨日より少し背筋を伸ばしていた。


「……押して、いいのでしょうな」


村長の声は、誰に向けたものでもなかった。


勇者パーティーの名は重い。


その重さが、村人にも、村長にも、役人にも、ためらいを生んでいた。


エリオットは、赤札を村長の前に置いた。


「押していただくための書類です」


ミラベルが、すかさず笑顔で続ける。


「言っていいんです。困りました、助けてくださいって。勇者様たちが世界を救ってくださったことと、皆さんが畑の補償を受けることは、ちゃんと両立します」


村長は、農夫を見た。


農夫は、白くなった畑を見た。


それから、ゆっくりうなずいた。


印章が押される。


赤札の下段に、村の印が入った。


その音は、とても小さかった。


集会所の中にいた何人かが、同時に息を吐いたのがわかった。


補償金だけでは、畑は戻らない。


更地は、すぐに使えるようになるわけではないだろう。作物が実るまでには、時間も手間もかかる。


それでも、彼らの生活は、ここから再び始まるのだ。


「王都への仮払い申請は、本日中に飛脚便へ乗せます」


エリオットは書類を閉じた。


「代替耕作地の借受費については、先に仮払い対象にできます。土壌回復費は、王都の土壌技師の見積もり確認後に正式決定です」


「そんなに早く……」


農夫の妻が、少しだけ肩の力を抜いて言った。


「はいっ」


ミラベルが、両手を胸の前で合わせた。


「早くしないと、次の種まきに間に合いませんからねっ」


農夫は、何度か口を開けては閉じた。


やがて、小さく頭を下げる。


「聖女様には、感謝しています」


「はい」


ミラベルの声は、さっきより少しだけ柔らかかった。


「村は、本当に救われました」


「はい」


「でも、畑のことを言ってもいいんだと、昨日初めて思いました」


エリオットは、赤札の角をそろえた。


赤札は、ただの紙だ。


けれど、そこに村の声が乗っただけで、少し重さが増したように感じられた。


「言っていただけてよかったです」


エリオットは言った。


「数字が残っているなら、補償できます」


ミラベルが横から、ぱっと顔を出す。


「そして、数字にならない困りごとも、まずは言っていいんですよっ」


農夫の妻が、そこで少し笑った。


「元気な方ですね」


「はい! 元気はタダですからねっ」


「補償は?」


エリオットが尋ねる。


ミラベルは、勢いよく人差し指を立てた。


「正式な手続きで進めますっ」


集会所に、今度ははっきりと笑い声が広がった。


エリオットは、赤札の表紙に処理済みの仮印を押した。


これで終わったわけではない。まだ王都の審査は残っている。


それでも、この村の声は、もう赤札の上に乗っている。


赤札はもう、ただ厄介なだけの書類ではなくなっていた。



村を出る頃には、畑だった場所の端に何本かの杭が立っていた。


土壌技師が来るまでの仮囲いだ。子どもが近づかないよう、村人たちが縄を張っている。


ミラベルは、村の入口で何度も手を振った。


「仮払いの返事が来たら、また連絡しますねー!」


「本当に来るのかい?」


農夫の妻が笑いながら聞く。


「来ます! 私たち、勇者パーティーの後始末係ですからっ」


「ミラベル」


エリオットは、荷馬車の横で言った。


「正式には英雄被害補償官です」


「でも、村の皆さんにはその方が伝わっていましたよ?」


ミラベルは、いたずらっぽく笑った。


「俗称です」


「伝わる呼び方も、ときには大事ですっ」


ミラベルは、にこにこと笑った。


エリオットは反論しようとして、やめた。


たしかに、伝わることも大事だろう。


補償官という言葉では届かなかった場所に、勇者パーティーの後始末係という言葉が届くこともある。


帳簿だけでは、現場は動かない。


言葉だけでも、手続きには乗らない。


だから、二人で旅をしているのだ。


荷馬車に乗り込む前、エリオットはもう一度だけ村を振り返った。


畑だった場所が、遠くに見える。


確かに畑は消えてしまった。


けれど、その周りで人が動き始めている。


杭を打つ者。縄を張る者。別の畑の持ち主と話す者。役人に書類を見せる者。


この村では、次の暮らしの準備が始まっている。


エリオットは、処理済みの仮印を押した赤札を帳簿に挟む。


そのときだった。


馬車道の向こうに、何かが飛んでくるのが見えた。


小さな翼。王都の紋章がついた革筒。


飛んできたのは、王国郵便局の小型配送グリフォンだった。グリフォンにしては気性が穏やかで、短距離便に使われる種族だ。


グリフォンは馬車の脇へ降り立つと、嘴でエリオットの鞄をこつこつとつついた。


「痛いです」


「急ぎ便ですかね〜?」


ミラベルが、目を輝かせる。


「開けますか?」


「開けたくないですね」


「でも開けますよね!」


「……職務ですから、仕方ありません」


エリオットは小さく息をつき、グリフォンの首元に結ばれた革筒を外した。


中から出てきたのは、赤い封。


ミラベルが、わあ、と明るい声を上げた。


「次の赤札ですっ」


「喜ぶものではありませんよ」


「でも、困っている人が待っているんですよね?」


「それは、その通りです」


封を開く。


一行目を読んで、手が止まった。


ミラベルが横からのぞき込む。


「次は何ですか?」


「……港町です」


「港町!」


「勇者様が、魔王軍の残党を追って船を借りたそうです」


「なるほど、救国行為ですね!」


「船は返却済みだそうですが」


「んん?」


ミラベルの笑顔が、そこで少しだけ不安そうに揺れた。


「ただし、帆がありません」


「帆」


「勇者様が、急加速のために聖剣で風を起こしたところ、帆だけが先に目的地へ到着したそうです」


ミラベルが、なんとも言えない表情で固まった。


それから、両手を腰に当てる。


「エリオットさん」


「はい」


「それは」


「赤札案件ですね」


「ですよねっ」


となりでは、グリフォンがまるで同意するかのように鳴いた。


エリオットは、処理済みの赤札を帳簿にしまい、新しい赤札を鞄の一番上に置いた。


一件終わって、また一件。


世界を救った英雄たちの旅のあとには、今日も王国のどこかで、誰かの困りごとが残っている。


けれど、そのあとを追う者もいる。


数字にして、言葉にして、届く形に整える者がいる。


ミラベルが御者台へ、ひょいと上がった。


「行きましょう、エリオットさん! 帆が先に着いた港町へっ」


「目的地の表現が不穏ですよ」


「大丈夫です! 困っている人は、きっと待っていますよっ」


エリオットは、新しい赤札を軽く叩いた。


ミラベルの言う通りだった。


「では、行きましょうか」


ゆっくりと、馬車が動き出す。


村が、少しずつ後ろへ流れていく。


どうやら赤札は、もうしばらく二人をゆっくりさせてくれなさそうだ。

お読みいただきありがとうございます。


英雄たちの活躍の裏側で、誰かの暮らしに残ってしまった困りごとを、明るく精算していく短編として書きました。

楽しんでいただけたら嬉しいです。

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