【悲報】伝説の勇者、中身はただのスケベなサラリーマン。〜魔王を倒すことより、異世界にキャバクラを作ることに情熱を燃やした結果〜01
サラリーマンの朝は早い。
午前6時、スマホの不機嫌なアラームで無理やり意識を引きずり出す。
鏡の前に立てば、そこに映るのはくたびれた中年男だ。
かつてラグビーのスクラムで鳴らした肩幅の広さは健在だが、その下にある腹回りは、長年のビールと接待の結晶として、ベルトの上にどっしりと鎮座している。
「……また、少し育ったか」
風呂上がりにしか見ることのないその贅肉を、俺は無意識にぺしんと叩いた。かつての筋肉は、今や脂肪という名のクッションに深く深く埋もれている。
ぎゅうぎゅうの満員電車に揺られ、会社に着けば、待っているのは理不尽な要求と、自分より一回りも若い上司の嫌味だ。
「申し訳ございません」
「以後、気をつけます」
何度言ったか分からない言葉を吐き出しながら、俺はひたすら頭を下げる。
心の中で唱えるのは、仕事の完璧な処理ではなく、仕事が終わった後の「至福の一時」のことばかりだ。
「坂下さーん、この資料、今日中に終わります?」
「ああ、やっておくよ」
後輩にそう答えながら、俺は胸ポケットにあるタバコの箱を指でなぞった。
ようやく解放されるのは、空がすっかり夜の帳を下ろした頃だ。
駅前の馴染みの店――いつものキャバクラの、派手なネオンが俺を招く。
「シンジさーん! お疲れ様!」
「おう、今日も綺麗だな。……とりあえず、いつもの焼酎。あと、タバコ一本いいか?」
紫煙を肺の奥まで吸い込み、強い酒で喉を焼く。
隣に座る若い女の子の、少しだけ際どいドレスから覗く肌を眺めながら、俺は今日一日の「すり減った自分」をやっと取り戻す。
エロいもの、酒、タバコ。
これさえあれば、明日もまた頭を下げられる。
そんな、代わり映えのしない、それでいて欠かすことのできない毎日を、俺は過ごしていた。
キャバクラからの帰り道、コンビニでストロング缶のロング缶と、これまた「いつもの」銘柄のタバコを一箱買い足す。夜風にあたって少しだけ冷めた酔いが、重い足取りをアパートへと向けさせた。
「ただいま、っと」
返ってくる言葉はない。
三十を過ぎ、気づけば周りは結婚だ子育てだと、人生の次のステージへ進んでいった。だが俺はといえば、嫁もいなけりゃ、予定もない。あるのは使い込まれた灰皿と、コンビニ弁当の空き殻くらいなもんだ。
安っぽいソファに深く沈み込み、買ってきた酒のプルタブを弾く。
グビリ、と喉を鳴らして流し込み、ため息混じりに部屋の隅に追いやられた段ボールを引き寄せた。
中から出てきたのは、一冊の古いアルバムだ。
「……若えな、おい」
そこには、泥にまみれながら楕円形のボールを抱え、獣のような顔で走る男が写っていた。
大学時代の俺だ。
今の緩みきった腹回りからは想像もつかないほど、全身が鋼のような筋肉で覆われている。スクラムで相手を粉砕し、タックルで敵をなぎ倒していた頃の「坂下 慎二」。
写真の中の俺は、仲間たちと肩を組み、最高にエロい笑い方で勝利を祝っていた。
「この頃は、世界が自分中心に回ってると思ってたんだけどなぁ……」
アルバムを閉じ、改めて自分の腹を眺める。
ワイシャツのボタンが弾けそうなこの贅肉の下には、まだあの頃の熱が残っているんだろうか。
タバコに火をつけ、天井に向かって煙を吐き出す。
正直、もう何かに情熱を燃やすなんて真っ平ごめんだ。
会社で適当に頭を下げ、夜は酒とタバコと女の夢を見る。
それで十分だ。それ以上は、もう疲れる。
だが、夜の静寂の中で一人、紫煙を眺めていると、どうしようもない空虚さが胸の奥を通り過ぎていく。
「……あー、どっか遠くに行きてえなぁ」
独り言のように漏らしたその願いが、まさかあんな形で叶うなんて、この時の俺は知る由もなかった。
空になったロング缶をゴミ箱に放り込み、俺はよろりと立ち上がった。
心の中の空虚さを埋めるには、酒だけじゃ足りない。
「……よし、仕上げだ」
俺はPCの電源を入れ、お気に入りの「秘密のフォルダ」をクリックした。
明日の朝も早い。上司の顔も見たくない。だが、この儀式だけは欠かせない。
画面に映し出されるのは、俺の煩悩を凝縮したような、とびきりセクシーな美女の動画だ。
「これだよ、これ……」
タバコを灰皿に置き、俺は全神経を画面に集中させた。
ラグビーで鍛えた動体視力は、今や画面の中の曲線美を追いかけるためだけに駆使されている。
賢者タイムが来る前の、この一瞬の「生きてる実感」。
俺はマウスを握りしめ、まさに最高潮に達しようとした――その時だ。
突如、PCの画面がバチバチと激しく火花を散らした。
「は? おい、マジかよ! 今いいとこなんだよ!」
壊れたか? 寿命か?
焦って画面に顔を近づけた瞬間、青白い光が部屋中を埋め尽くした。
液晶画面がぐにゃりと歪み、まるで巨大な口のように俺を吸い込もうとする。
「ちょっ、待て! せめて、せめて履歴を消させてくれ……ッ!!」
必死にキーボードを叩くが、体はすでに浮き上がっている。
灰皿からこぼれ落ちたタバコの煙が、渦を巻いて俺を包み込んだ。
最後に視界に入ったのは、絶頂の瞬間にフリーズした画面の中の美女と、出しっぱなしのラグビーのアルバム。
(嘘だろ、こんな格好で死ぬのか俺は……!?)
抗う術もなく、俺の意識は深い光の底へと飲み込まれていった。




