表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【書籍化】無華の花嫁〜蔵に囚われた少女は、黒薔薇の殿下に溺愛される〜  作者: 木風
第六章:藤

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

51/55

第二十三話 婚約の宣誓①

園遊会で初めて袖を通した、淡い藤色の振袖。

その重みを肩に感じながら、私は大きな謁見の扉の前に立っていた。


分厚い木と金具でできた扉は、『ここから先は別の世界だ』というみたいに冷たい。

胸の奥で鳴る心臓の音が、板を突き抜けて向こう側へ漏れてしまいそうで、息を吸うたび喉が乾いた。


この先には、五条様のお父上。

それだけではない。お父上のお兄様——この国の最高権力者である天皇陛下。

他の宮家の方々も、重臣も、きっと揃っている。


ここにいる全員が、私が五条様の隣に立つに足るのか。

その一点を見定めるために集まっている。


……相応しいわけがない。


朝霞家は一応、伯爵家。けれど、五条宮家とは到底釣り合う身分とは言えない。

なにより私は、何の『華』の加護も持たない『無華』。

五条様の『黒薔薇』に、痛みなく触れられる——

ただそれだけの、都合のよい例外にすぎない。


もし、この婚約が反対されたら。

私は、反論できる言葉すら持たない。

『一緒にいたい』なんて、そんな子供みたいな願いを口にしたら、この場では笑われるだけだ。

紫の瞳を理由に、誰かが『穢れ』だと吐き捨てる光景まで、ありありと想像できる。


「すみれ」


耳もとに落ちた声が、驚くほど近い。

五条様の腕が、私の背を支えるようにわずかに寄り添った。


「心配はいらない。お前はこの場にいる誰よりも強い」


強い?私が?


その言葉の意味を掴むより早く、重厚な扉が厳かな音を立てて、ゆっくりと開いた。

内側から流れてきた空気が、外より少し冷えていて、背筋が粟立つ。


——視線が、刺さる。針の筵とはまさにこのことかもしれない。


広い部屋。大きな楕円の卓。

その周囲をぐるりと囲むように、数十人の人々が座している。

絹と香と権威の匂い。空気だけで息が詰まる。

茶器の縁がかすかに触れ合う音さえ、今の私には大太鼓みたいに響いた。


最奥、五条様のお父上の隣にいる方。

あの人が、天皇陛下……。


圧倒的な威圧感に、膝が笑いそうになる。

指先は冷え、振袖の中で汗が滲む。

それでも倒れずに立っていられるのは、五条様の腕に添えた手と、そこから伝わる体温のおかげだった。


腕を引かれ、数歩。

部屋の中心へ進む。


バタン——扉が閉まる音が、やけに大きく響く。

逃げ道が断たれた、と身体が理解してしまう。


「この度は、我が五条家嫡男、暁臣から皆様へご報告があり、お集まりいただきました」


五条様のお父上が口を開く。

一瞬だけ、全員の視線がお父上に集まり、すぐに——私へ戻る。

目が合うたび、瞳の奥まで測られている気がして、まつ毛の裏が熱くなった。


「この度、朝霞家長女、朝霞すみれ嬢との婚約を、正式にご報告いたします」


一瞬の静寂。

次の瞬間、喧騒が波のように押し寄せた。


「朝霞家は伯爵ではないか」

「その娘の眼……『無華』の証に他ならぬ!」

「皇族に『無華』の血を入れるなど、前代未聞!」

「『王華』たる『黒薔薇』を、軽んじすぎではないか!」


投げつけられる言葉すべてが、研ぎ澄まされた刃となり、身体と心を襲い掛かる。

どれも正しい。私自身が一番わかっている。

反論なんてできる余地も、根拠も、私にはない。


視線が、私の片目——紫の光に集中した気がして、袖の影に隠したくなる。

けれど隠せない。逃げられない。

逃げたら、五条様の背中に泥を塗ることになる。

そう思うだけで、息が浅くなる。


けれど……私は、ただ五条様と一緒にいたくて……

それだけなんです……どうか、どうか……

それ以上の贅沢は言わないので……お願いします……


喉は乾き、懇願の声は唇の裏で凍りつく。

ただ、袖の内で指を握りしめることしかできなかった。


「私は、息子の婚約に賛成する」


その一言で、空気がぴたりと変わる。


「皆様、お気づきですかな?暁臣に寄り添う、すみれ嬢の様子を」


私の……様子?

確認するように、五条様を見上げる。

五条様は迷いのない眼差しで、まっすぐ正面を見据え、勝利を確信したような表情で、正面を見つめる。


「まさか……素手……!?何の痛みもなく触れられるのか!?」

「その通り。私と陛下の持つ青薔薇をもってしても、触れることを躊躇う『黒薔薇』の『異能』。ここにお集まりの方々なら、それがどれほど危険な代物か、ご存じでしょう」


先日見せていただいた、五条様の『異能』。

触れるものを、音もなく塵芥へと変える力。


「暁臣が『蟲華』に堕ちた場合、青薔薇の私だけではない。陛下ですら、太刀打ちできないでしょう」


ざわめきは、動揺から恐怖へ変わっていく。

視線が、五条様と私の間を往復する。

測りかねるものを見る目。計算する目。逃げ腰の目。


「この場で、暁臣の『黒薔薇』を制御できる人間は、すみれ嬢のみ。暁臣、他に何か言いたいことはあるか?」

「そうですね」


五条様が、淡々と——けれど挑発するように口角をわずかに上げた。


「我が『黒薔薇』を試そうと、令嬢を差し出せるのでしたら、いつでもお相手しましょう」


……え?

背筋が冷えるより先に、胸がきゅっと縮んだ。

こんな場で、そんな——。


「ご、ご五条様……他のご令嬢がいらしたら……お、お相手、されるのですか……?」


静まり返る部屋の深い沈黙……。

しまった……!思わず心で収めるはずの不安の声が、口から出てしまった……。


国の未来を決める席で、私は何を——。

なんて浅ましいことを言ってしまったんだろう。

穴があったら、今すぐ入りたい。いえ、この場から消えてしまいたい。

耳が熱くて、頬が燃える。振袖の袖が、私の震えを隠してくれない。


「ぶははははははっ!!」


静寂を破るように、一番奥の席から大きな笑い声が響いた。

気が付けば、私が掴む五条様の腕がプルプルと震えている。

目線を上げてみると……笑いをこらえている……


「暁臣!随分と面白い娘を見つけたではないか!」

「陛下……!」


笑ったのは、天皇陛下だった。

五条様とどこか似た、深く慈悲深い眼差しが、私に向けられる。


「『黒薔薇』の制御は、この国の最重要事項だ。それが可能であるなら、婚約に反対するまでもあるまい」


陛下は軽く頷き、場を裁くように言った。


「慶事だ。みな、祝うがいい」


その言葉に促されるように、ぱらぱら、と拍手が起こる。

やがて大きく、整い、——そしてどこか形式的になる。

先ほどまで鋭かった視線が、今度は『仕方ない』と割り切るような冷えに変わっていくのも、わかってしまった。


完全に祝われていないことは、痛いほどわかっている。

私のような人間が、この場に立つこと自体、本来あり得ない。


それでも。

五条様とお父上と、そしてこの場で最も高貴なお方が——

『無華』の私に、確かに目を向けてくださっている。


その事実が、胸の奥に小さな灯をともした。

怖いのに、嬉しい。

こんな感情は、蔵の中では一度も持ったことがなかった。


瞳を閉じ、深々と頭を下げる。

震えは止まらない。

けれど、五条様の腕の温もりだけは、変わらなかった。

ブックマーク、★★★★★、リアクション

よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ