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【書籍化】無華の花嫁〜蔵に囚われた少女は、黒薔薇の殿下に溺愛される〜  作者: 木風
第四章:若葉

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第十五話 初めてのお買い物②

喫茶店の扉を開けると、外の賑やかさが嘘のように遠のいた。

磨かれた木の床。やわらかな灯り。

どこか甘い匂いと、焙じたような香りが薄く混じっている。


席に通されると、店内には食『器』の触れ合う乾いた音だけが控えめに響いた。


私は背筋を伸ばし、膝の上で指を重ねた。

何をしていいか分からないとき、身体はいつも固くなることしか覚えていない。


「……ここは、初めてか」

「……はい」


五条様がメニューを一度だけ目で追い、迷いなく店主へ告げる。


「紅茶を。……それから、ショートケーキを一つ」

「かしこまりました」


しょーと……けーき。

聞いたことのある響きと、よく分からない響きが混ざって、頭の中で転がった。


紅茶――それは、奥様方が楽しげに語る“贅沢”の代名詞。

蔵の隙間から、遠くに聞いたことがあるだけの世界。


ほどなくして、白い皿と、細い縁飾りのあるカップが運ばれてきた。

透明な琥珀色の液体。

湯気が細く立ちのぼり、香りがふわりと鼻先に届く。


甘いのか、苦いのかすら分からないのに――その香りだけで、胸の奥がそわそわした。


五条様は先にカップを持ち上げ、何でもないように口をつけた。

その仕草が洗練されていて、絵の中の人みたいで、私はつい目を離せなくなる。


……真似を、してしまう。


両手でカップを包み、そっと口元へ運ぶ。

熱い。けれど、怖い。

怖いのは温度じゃない。失敗して、五条様をがっかりさせることだ。


ほんの少しだけ唇をつけ、口の中へ流し込んだ瞬間――


「……っ」


舌の奥が、きゅう、と縮む。

苦いのとは違う。渋い。喉の奥まで、細い布で撫でられるみたいな感触。

思わず目が潤みそうになって、慌てて飲み下した。


「どうした」

「い、いえ……」


情けない。情けないほど。


五条様は責めるでも笑うでもなく、ただ静かに私を見た。

その視線に耐えきれず、私はカップの縁を見つめたまま、小さく告げる。


「……その……少し、渋いです」


言ってしまった。

言ったことが怖くて、胸が縮む。


けれど、五条様は「そうか」とだけ言って、私の前に小さな器を寄せた。

白い角砂糖と、薄く輪切りにされたレモン。


「これを使え」

「……え?」


指先が迷いなくレモンへ向かう。

けれど、次の瞬間、その手はぴたり、と止まった。

五条様は、ほんの一拍だけ息を置き、結局レモンには触れずに言葉で示す。


「砂糖を一つ。レモンは最後でいい。……最初から、そのままで飲む必要はない」


その言い方が、紅茶だけの話に聞こえなかった。

――合わせなくていい。

無理に、同じでなくていい。

胸の奥に、ひやりと熱いものが広がる。


「……はい」


角砂糖を一つ、そっと落とす。

白い塊が琥珀色の底へ沈み、ゆっくり溶けていく。

その様子が不思議で、じっと見つめてしまう。


レモンを浮かべるのは、怖かった。

触れたことのない香り、触れたことのない世界。

でも――五条様が『最後でいい』と言ったのは、私の心の準備まで計ってくれたみたいで。


もう一度、カップを口元へ。


今度は、渋さが少し丸くなっていた。

香りはそのままに、角が取れて、舌の上をすべる。

喉の奥が、さっきより痛くない。


「……飲めます」

「そうか」


五条様の声は短いのに、胸の奥がほどける。


「……それに、いい香りがします」

「紅茶は香りを楽しむものだ」


言葉の端が、どこか柔らかい。

私はもう一口、確かめるように飲む。

さっき刺さった渋みが、砂糖の甘さに縁取られて、舌の上でほどけていった。


「……飲めます」

「そうか」

「はい……。美味しいです」


こんなお砂糖を入れるだけで飲みやすくなる、魔法みたいな飲み物があるなんて……蔵の生活では想像もできなかった。


「最初から、こっちにしておけばよかったな」

「い、いえ……!」


ぶんぶんと首を振った。


「……その……五条様と同じものをいただけて、嬉しかったので……

飲めなかったのは、私が……」

「またそれか」


やれやれと言わんばかりの目で見られる。

けれど、その眼差しは冷たくない。逃げ場のない優しさ、とでも言えばいいのか。


「いいか。俺の前では、飲めないものは飲めないと言っていい。

無理に合わせる必要はない」


言葉が胸の奥に、まっすぐ落ちてくる。

『俺の前では』——その一節だけが、妙に熱を帯びて聞こえ、小さく頷く。


「……はい」


『ここはもう蔵じゃない』と、わかっている。

わかっているはずなのに。

遠くない、いつか手放す日がくる——

その影が、ふいにテーブルの端に落ちる気がした。


ふと顔を上げると、五条様は黙ってこちらを見守っていた。

目が合うと、叱るでも急かすでもなく、小さく微笑まれる。

——それだけで私は、もう一口、飲む勇気をもらった。


カップの中の紅茶が、半分ほどになったころ。


「お待たせいたしました」


店主が皿を置く。


「……甘いものは、嫌いか」

「い、いえ……嫌いでは……」

「なら、何か持ってこさせよう」


嫌いも何も……甘いものを食べたのは、先日のお正月に頂いた、あんこと黄な粉をまぶしたお餅くらい。

それ以外の甘いものは、口にした記憶すらない。

『嫌い』か『好き』かを考える以前に、そもそも選ぶことがなかった。


「い、いえ……その……」


白いクリームに……黄色の……何が挟まっているんだろう?

その上に鮮やかな赤い苺が一粒。

銀のフォークが、澄んだ音を立てた。


……眩しい。


これが、さっき仰っていたしょーと……けーき?

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よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ

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