第一話 一番古い記憶③
私のことを気味悪がり、父親ですら寄り付かなくなった広くて寒々しい屋敷の中で、母親だけが、生きる術を持たない幼い私にとっての、わずかな縋るべき光だった。
優しく抱きしめてもらった記憶はない。
特別に甘やかされたこともない。
それでも、母の気配があるだけで、私は息ができた。
——たったそれだけで、救われていた。
「あぁぁぁ——ん、あ——ん!おかあさ——ん!」
喉が裂けるほど泣いても、母はもう動かなかった。
目を開けることも、私を見て眉をひそめることすらなくなり、そして、あっという間に煙となり、灰となってしまった。
それが、皆が忌み嫌う『無華』である自分のせいだということは、幼いながらにも痛いほどわかっていた。
——私がいなければ。私が、普通に『華』を授かっていれば。
思考の端で答えを繰り返しながら、それでも、たった一人の親を失って泣かずにいられる子供なんているわけもない。
ただただ、極稀に撫でてくれた曖昧な記憶だけを頼りに、小さな位牌に向かって泣き続けていた。
木の匂い、線香の煙、冷えた畳。
そこだけが、私の世界の全部だった。
大きな仏壇が置かれた冷たく薄暗い部屋で、泣き疲れて眠り、起きてはまた位牌に向かって泣く。
孤独な日々の繰り返し。
泣く以外の生き方を、知らなかった。
「ぉかあさん……」
声は掠れ、流しすぎた涙は枯れ果てても、私は母親という唯一の拠り所を求め続けるばかり。
呼べば戻ってくる気がして。
呼ばなければ、本当に消えてしまう気がして。
そんなぼろぼろの子供の前に——それまで数えるほどしか会うこともなかった父親が、屋敷へ戻ってきた。
亡き母と変わらないくらいの年齢の、派手な装いの女性。
そして、まだ歩き始めたばかりの幼い子供を連れて。
冬が終わりを告げ、春になろうかという頃だった。
「新しい妻だ」
父は私に一度も目を向けず、使用人に向けて言い放った。
その背中に、私は縋る場所を探すように見つめた。
愚かだとわかっていても。
父親の『妻』ということは、私の『母親』ということ?
一緒にいる子は私の『妹』?
実の『母親』からもらえなかった愛情を、もしかしたら、ほんの少しだけでも『新しい母親』からもらえるかもしれない。
そんな、絶望の底で生まれたか細い期待から。
決して部屋から出るなという厳命を破り、ある日、私は『新しい母』の部屋を訪れてみた。
そこには、幼い妹に優しく微笑みかける『新しい母』の姿があった。
聖母のように穏やかで、陽だまりみたいな笑み。
その一瞬だけ、世界が暖かい場所に見えた。
ほんの少しでもいい……。
その温かい微笑みが自分にも向けてもらえるような気がして、震えるようなか細い声で話しかけてみた。
「おかあさま」
初めて『新しい母』の視界に入れたかと思った次の瞬間。
部屋の障子が外れるほどの凄まじい勢いで、私は部屋の外まで吹き飛ばされた。
背中が柱にぶつかり、肺の空気が一気に抜ける。息が、できない。
何が起きたのかわからないまま、激しく痛む胸を押さえながら、よろよろと起き上がる。
視界がぐらりと揺れ、涙が勝手に滲んだ。
目の前には——先ほどまで聖母のような笑みを浮かべていた『新しい母』が、顔を赤黒く歪ませ、鬼のような形相で私を見下ろしていた。
立て続けに、左右の頬へ。
乾いたものを叩きつけるような衝撃が、次々に襲いかかる。
音が遅れて聞こえ、痛みが遅れて燃え上がる。世界が白く弾けた。
あまりの形相と暴力に、言葉を失ってしまう。
謝らねばと思っても、震えすぎて上手く言葉が出てこない。
目に溜まる涙は、すぐに大粒の雨となって溢れ出て、畳に落ちた。
それでも、継母からの罵倒は止まらない。
「お前の!誰が『無華』の母親か!!!!!」
「……!やめ……やめてっ!ごめ……ごめんなさいっ……!」
「その醜い眼で見上げてくるなっ!!!!」
止むことのない頬への痛みは、私がぐったりとして、もう二度と動かなくなるのではないかと思うほどに続いた。
それでも私は、ただ謝った。
赦されるはずもないのに、赦しを乞う癖だけが、体に染みついていた。
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