第十一話 はじめての庭散歩②
あまりにも自然に、五条様に右手を取られる。
この前触れられたのと同じ、大きく、確かな熱を持つ手。
その温度に引かれるように、大きなガラス戸の前に立つ。
厚いガラスに、外の景色がぼんやりと映っていた。
戸が開いた瞬間、冷たい空気が頬を刺し、肩をすくめる。
部屋の窓から庭園が少し見えていたけれど。
目の前に広がっていたのは——
想像していた『庭』とは、全くの別世界。
……広い。
どこまでが五条様のお屋敷の敷地なのか、見当もつかない。
石畳のアプローチがずっと続き、その先には、綺麗に刈り込まれた木々や背の高い木立。
冬枯れした枝のあいだから、ところどころに常緑の濃い緑が覗いている。
少し離れたところには池まである。
水面の一部には薄く氷が張り、その縁に丸く剪定された低い木が並んでいた。
石灯籠。小さな橋。
庭の中に、別の世界がいくつも折り重なっているように見える。
こんなに、空って広かったんだ……。
朝霞の家から見上げていた空は、いつも息苦しく、あんなに狭く感じていたのに。
ここから見上げる空は、どこまでも続いていて、白い雲がゆっくりと、自由に流れている。
自分の息が、白くほどけていくのが見えた。
それだけで、胸の奥がじん、と熱くなる。
足もとで枯れ葉がかさりと鳴った。
自分の歩みが、この静かな景色を少しずつ乱しているような気がして、申しわけなくなる。
それでも、五条様の手は離れず、歩幅を合わせてくれる。
「寒くないか?」
「だ、大丈夫です……」
声が上ずり、慌てて頷いた。
大丈夫かどうかなんて、わからない。
寒さより、この場所に立っていることの方が、ずっと怖い。
こんな場所に、私がいていいはずがない。
こんな広い玄関も、こんな綺麗な庭も、見てしまったら、もう二度とあの冷たい蔵には戻れない気がしてくる。
戻りたくは……ない、けれど。
自分にふさわしい場所は、あそこだとわかっている。
いつか戻らなければならない。
その恐怖と、いま指先に触れている温もりを、心の中で天秤にかける。
かじかんだ指先に、羽織の端が食い込んだ。
「そろそろ冷えてきただろう。部屋に戻ろう」
その言葉に、繋がれた手がふっと離れる。
襟もとを直されると、五条様が着ていた、まだ温かいコートが、強引に私の肩へ掛けられた。
「だ、だめです……!五条様がお風邪を引いたら……」
「気にするな」
短い言葉の裏に、譲らない意志に、私は抗えず、ただ温かさに包まれる。
手から離れていく体温が惜しくて、視線を逸らせない。
「もう少し暖かくなると、色々な花が咲き始める」
「そう、なんですね」
『無華』の私が、咲く花を愛でることすらも不遜で滑稽だと思っていたのに。
けれど、この庭園に春が来て、色と香りが満ちるなら——見てみたい。
そんなふうに素直に思ってしまった自分に、驚く。
同時に、その思いが許されないもののようで、怖い。
玄関から自室に戻ると、五条様のコートを抱きしめるようにして、ベッドに座り込む。
温かさがまだ残っていて、その温度が名残惜しい。
女中さんが温かいお茶を置き、小さく頭を下げて退出していくと、部屋の静けさが、急に濃くなった気がした。
「無理はしていないか?」
「……大丈夫です」
五条様はそばに座ると、私の額に手を当てた。
体温を確かめるその仕草が、あまりにも自然で、私の方が戸惑ってしまう。
私のためだけに。
私の体調を気遣い、散歩に誘い、手を取って歩いてくれた。
私がまた「ごめんなさい」と言おうとするのを察したのか、五条様は優しく、先に言葉を重ねる。
「約束通り、春には、この庭を二人で歩こう」
「二人で……」
「ああ」
春という言葉が、胸の奥に落ちて、温かい音を立てた。
そんな日が本当に来るのだろうか。
信じたら、壊れるのが怖いのに。
頷くことしかできない。
五条様のコートの温かさと、春の約束だけが、この部屋に残り、私を二度と蔵へ帰したくないと囁きかけているようだった。
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