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無華の花嫁〜蔵に囚われた少女は、黒薔薇の殿下に溺愛される〜  作者: 木風
第一章:山茶花

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第四話 救いの代償②

……なんだ、あの娘は。


この寒空の下、濡れた薄い衣で井戸の縁にしゃがみ込み、今にも折れそうな体で——

それでも必死に立ち上がって、影のように走り去っていく。

足もとの雪を蹴る音すら弱々しく、けれど『逃げなければ』という切迫だけが、彼女の背を押していた。


雪のように白い肌。

霜焼けか、あるいは熱のせいか、頬には痛々しい赤みが差している。

その虚ろで儚い姿は、伯爵家の豪奢な設えとあまりにも対照的だった。

それは、この屋敷の中で、彼女だけが『別の季節』を生きているみたいに冷たい。


なにより——


吸い込まれるような、揺れる虹彩を纏う瞳。

雪明かりを映し込んだ、美しい紫陽花のような、神秘的な瞳だった。


見上げてきたその瞳に、一瞬どころか呼吸すら忘れるほどの衝撃を受けた。

喉が鳴り、胸の奥がと締めつけられる。

あまりの衝撃と、抑えきれない本能的な衝動に、無意識に手を伸ばす。

——触れたい。確かめたい。冷えているなら温めたい。

そんな衝動は、本来、彼の人生に存在しないはずだったのに。


伸ばした手は虚しく宙を掠め、雪の中を逃げていく華奢な背中を、ただ茫然と見送るしかなかった。


「……まさか、俺が。自分から触れたいと思う相手がいるとは」


『黒薔薇』の『華』は強すぎるがゆえに、他者との距離を測ることに慣れすぎている。

迂闊に近づけば相手の『華』を焼き払いかねない。

——だから、常に人と自分を隔てて生きてきた。

手袋は鎧であり、礼節は壁であり、冷静さは生存の術だった。


それなのに。

先ほどは気が付けば身体が勝手に、彼女の冷たくなった頬へ触れようとしていたのだ。

理性が動きだす前に、指先が動いた。

——恐ろしくて、同時に、どうしようもなく切実だった。


片目だけ色の違う瞳。

あれは、この国で忌み嫌われる『無華』の印だったか。


噂に聞いたことはあっても、実際にその瞳を見るのは初めてだった。

忌み嫌われ、家の隅に隠されるはずの『無華』が——

まさか、あれほど美しく、人の心を掴んで離さない瞳だったとは。


会食の席へ戻っても、脳裏から彼女の蒼白な横顔と、必死に逃げる姿が離れない。

杯を上げても、言葉を返しても、意識の底で彼女の息遣いだけが残響のようにこだまする。


当然だが、この場で、あの娘の話題が出ることは一度もない。


それも道理だ。

『無華』とは一万人に一人ほどしか生まれず、短命に終わることも少なくないと言われる。

『華』の強さがすべてとされる『華族』の家で、『無華』の存在など最初から『いないもの』として処理されるべき、邪魔でしかない。

——だから語られない。語った瞬間に、恥が露見するから。


……それでも、あの決定的な空白は何だ。


伯爵夫妻と意味のない世辞を交わしながらも、意識の半分は窓の外、井戸の方向に向けられたままだった。

雪は先ほどより大粒になり、窓越しにもその冷たさと重さが伝わってくる。


あの娘は、本当に大丈夫だろうか。


熱に浮かされていたあの様子を思い出すだけで、胸の奥が自分のものではないように軋んだ。

それは焦りに似ていて、痛みにも似ていて、——どれでもない。

ただ、放っておけないという、理屈の通らない感覚。


「朝霞殿。帰る前に少し、庭を歩いても構わないだろうか」

「え、この雪の中を、でございますか!?い、今すぐ傘をご用意いたしますので——」

「不要だ」


傘を探す時間すら惜しい。

有無を言わさず席を立ち、まっすぐ、先ほどの井戸のある方角へ向かう。


そこに、まだ彼女の微かな気配が残っているような気がしてならなかった。


井戸へ辿り着いても、当然彼女の姿はもうない。

母屋の脇を抜けるように走り去った——向こう側にある裏手の道。

冷たい足跡は、雪にすぐ覆われてしまっている。


自然と、その細い道の方へ目をやる。

すると脚が、意思とは無関係に動き出していた。

——追いかけるな、と理性が言う。

——追いかけろ、と本能が言う。


そして、本能のほうが、ほんの少しだけ強かった。

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よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ

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