ガーディ家の朝
お休みなので、一本いきます。
推し活職人の朝は早い。
日も明けきらないうちから、侍女に起こされることもなく目覚め、動きやすい服に着替え、顔を洗い、これから汗を流すから、保湿のクリームと薄めのリップだけを塗り髪を括る。
計ったようにジェシカのノックの音がする。
「おはようございます。相変わらずお早いですね」
「おはようジェシカ!今日はお兄様が邸での自主鍛錬ですもの。当然ですわ」
アイシュアお兄様が、殿下たちの護衛騎士に抜擢されてから一年が経った。
それまでは王国第二騎士団副団長としての王城近内の警備と、書類仕事だったので、お兄様は早朝自主錬は自邸で行っていたが、殿下たちに付き添い、学園に通う日も増えると、それも難しくなってしまった。
つまりは、会う機会が減ってしまっていた。
「学園で会えると思っていたけど、淑女科は棟が違うから、すれ違うこともなかったんですもの、お兄様が枯渇してるの」
「枯渇しません」
手早く寝具周りを片付けながら、ジェシカがタオルを差し出す。
「今日から本格的な授業が始まります。お怪我などにはお気をつけ下さいね」
「はーい!」
「お返事は短くお願いします」
愛用のフルーレを腰に下げると、ジェシカに手を振る。
「はい。行ってきます!」
お嬢様が嵐のように去った後に、これから着る制服を用意し、ブラシをかける。靴はフットマンに預けてあるから、後で届けさせましょう。アイシュア様と朝食はご一緒になさるでしょうし、シャワーと着替えはその後でも間に合う。
この後の予定を考えながらも、鏡台に薄化粧を施すための化粧品を並べていく。リボンはグリーンかしら、お誕生日にアイシュア様から頂いた、お気に入りの髪留めを使うかもしれない。
五歳の時に熱で倒れてから、お嬢様は劇的にお変わりになられた。それまでの傍若無人、我儘放題だったお嬢様は鳴りを潜め、いささか問題発言はあるが、お兄様大好き少女へと変貌を遂げた。
「あれだけの美貌をお持ちなのですから、もう少し周りに目を向けていただければ、良いご縁談にも恵まれるでしょうに」
婚約者でもできれば、少しは落ち着いて、淑女たる振る舞いと、邸にいる者たちへの距離感も取れるようになるに違いない。
公式の場でのマナーには全く問題はないが、普段のお嬢様は下の者にも気安く、思いやり深い。
それはそれで、人としては美徳ではあるけれど、いつか嫁ぐ時に苦労をしてしまうかもしれない。
「それは駄目だわ」
思いにふけっていた自分を呼び戻したのは、庭から聞こえた声であった。
「お兄様、おはようございます!素振りをご一緒してもよろしいですか?」
また、あんなに大きな声で。
「おはよう、マリー。学園に行く準備はいいのか?」
「はい、ちゃんと計算をして起きましたから」
「ならば良いが、百回だぞいけるか?」
良くないです。アイシュア様。
「もちろんです!相変わらず、お兄様の剣は大きいですね。重くありませんの?」
「自領で使っている物にくらべれば軽いくらいだが…昔から使っているマリーのフルーレもかなり草臥れてきているな」
「じつは最近、少し軽く感じますの」
「ふむ…そろそろショートソードに変えても」
「駄目です!これ以上腕が太くなったら、どうなさるんですか!」
思わずバルコニーに出ると叫んでいた。
下から見上げるお二方がポカンとなさっているが、私は控えていたメイドにブラシを預け、下に降りる。
「アイシュア様はお嬢様を甘やかしすぎです。公女たるマリアベル様に素振り百回は必要ありません」
「す、すまん。マリー、半分にしよう」
「問題はそこではありません!」
「ジェシカ、お兄様を叱らないで」
アイシュア様の前に立ちふさがるお嬢様を、ぺいっと引きはがした。
「やはり、学園に向かわれる前にお肌を整えましょう、時間はたっぷりあります。全身磨きましょう」
「ええぇ、パーティでもないのに~」
「学園は出会いの場でもあるのですよ、おざなりにはできません」
「「出会わなくていい!」」
声をそろえたご兄妹を目で制し、お嬢様の手を引き、部屋に戻るとメイドたちに指揮をとる。
「皆、わかっているわね。完璧に仕上げるわよ」
お嬢様付のメイドたちは皆、お嬢様が大好きだ。
否はなかった。
「妻が失礼をいたしました」
残された俺に、侍従件、第二王国騎士団員であるヘンリーから声がかかった。
「いや、ジェシカがマリーを思ってのことだとわかっている。俺も浅慮だった」
「ありがとうございます。妻はマリアベル様のこととなると周りが見えなくなるんです」
「仕える者からそう思ってもらえるならば、マリーは幸せだな」
「残念でしたね。せっかくご用意をしていたのに」
ヘンリーの手元にはリボンを付けたショートソードが握られている。進級祝いとして用意したものだ。
「たしかに淑女に送るものではないな」
照れくさくなって、頭をかいた。
「別の物を考えよう…馬具とかどうだ。あ、領地で使う弓も喜びそうだ。親父を巻き込んで馬でも…」
「…ご一緒に考えてもよろしいでしょうか?」
「ああ、ヘンリーはセンスが良いからな。誕生日の時には世話になった」
「恐縮です」
「さて、時間もない。今日は鍛錬を終わらせよう」
「はい。お供します」
なんで止めなかったの?と眉を吊り上げる妻の顔が浮かぶ。
でも、アイシュア様はマリアベル様をなによりも慮っていて、本当に喜ぶものを贈りたいだけなのだ。
少し肩を落とした、アイシュア様にお声をかける。
「御身を守るためにも、自衛は必要です。ご用意をしたショートソードのグリップ部分に滑り止めとして、精緻な花の意匠をこらしては?鞘もうんと凝りましょう、この際」
「なるほど、無骨なままでなければ良いか」
良くはないけど、妻怒るけど、自分だって主バカなのだ。主の喜ぶ顔を見たいのは一緒である。
「瞳の色によく似た、鉱石も探しておきます。鞘ならば良いでしょう」
マリアベル様の瞳の色と思われた主は、口角を上げると笑って頷いた。
あなたの色ですよ、アイシュア様。その方がマリアベル様は喜びます。
○○の職人の朝は早い…使ってみたいフレーズでありました(笑)
今回暴れたのはジェシカでした。あれ?コリンヌ?
入学→進級へ直しました。マリアベルは入学済です。
暴虐武人→傍若無人です。なんて間違いをと思いましたが、赤髪兄妹ゆえに、目がスルーしたのか…(笑)すいません、反省します。




