マクシミリアン・ビンチョス
お疲れさまです。いつも読んでくださって、ありがとうございます!
「ほんとーにっごめん!」
マイクが、黒檀のローテーブルを前にのめりそうな程頭を下げる。
レイクツリー家に先ぶれもなく、駆け込んできた男をバルが、自分の主を守るべく前にでた。
「ビンチョス伯爵令息、主が困っております。どうぞおかけください」
「エアリルが怒るのも無理はないかもしれないけど、コリンヌは悪気があった訳じゃないんだ。市井の意識が抜けきらないらしくて…」
メイドが会話の邪魔にならないように、ティーカップを置いた。
「ビンチョス様、どうぞ、おかけください」
二度言われたマイクは、バルの冷えた口調に気が付いたらしい。大人しくソファーに腰掛ける。
「僕は怒ってないから」
「でもさ、姉上は関係ありますか?って聞いた時に、確かに関係ないよなって、僕も思ったから」
「そう。それがわかってるなら良いよ。リュミ姉様は今、マリアベル様のお見舞いに行かれているけど、たぶんお受けすると思うしね」
「そっか…」
「好きなの?彼女のこと」
「あ、それはない」
本当にあっさりと言葉にするから、こっちが吃驚してしまう。あれだけ、庇っていたのに?
「なんか、違和感があるんだよ」
「非常識だからだよ」
「はは、言えてる。エアリルをいきなりの名前呼び」
「あれじゃ敵も増える」
「だよね」
マイクの勘はあたる。と言うよりも、それが彼の加護だから納得した。
ケリュケイオウス神様の加護『諜報』と『洞察』だからこそ。
「違和感…」
マイクは逡巡するように、瞳を閉じると小さく頷いた。
「うん。放って置いたらまずい気がする。爵位の常識や市井の育ちだからとか、そんな問題ではない、近くにいればわかるかなって、そうなると先ずは信頼されないとね。味方になるのが一番かなってさ」
これが、マイクのいや、『諜報』の加護を持つビンチョス伯爵家だった。
ビンチョス伯爵家は昇爵も降爵もしない。ちょうど中間で高位貴族にも下位にも顔を出せるように。
目立たないけど、常識を弁えている社交力で付き合いは浅く、顔は広く、禍根は残さず実に巧い。
王家に重宝されている諜報力は市井の噂から、近隣国の王家のスキャンダルまで、一族があちらこちらと散っているのは伊達ではなかった。
「あ、可愛いとは思ってるけどねー」
取ってつけたように、へらりと笑って、出された紅茶をゴクリと飲む。
「お茶会のお土産を何にするか決めた?」
「いや、いくつか候補を上げているところだと思う」
「王城では、パティシエに焼き菓子からプチケーキまでかなり力いれさせているよ。甘いものは避けた方がいい。口をつけないわけにはいかないしね、花も温室から八重薔薇。庭の白いライラックを剪定していたから、花瓶も満杯。晴れていたらガゼボを使うかも」
「…ありがとう」
どうやら、王家も姉様たちの好みを把握しているらしい。
花か茶菓子かお茶の葉か、その辺が茶会に招かれた時の土産としての定番だった。茶会の席で自領の特産品を持っていき、上手く売り込むのも手だ。
売り込みにいってこいと、言われている気がする。
「この紅茶上手いから、また飲みたい」
「自領の物だけど、気に入ったのなら帰りに包ませよう。バル、厨房で用意をしてもらってきて。これ、リュミ姉様も好きなんだ」
「へぇ…香りも清涼感もいいね」
「マイク、夕食は?」
「嬉しいけど今日は帰って家族と」
今日だけでも色々な思惑が動いた。とくにコリンヌ・マイオニーの件は報告に値するのだろう。
「僕、学食に行ってみたいんだけど」
「ふは、了解。来週行こうぜエアル」
マイクには幼少期のころに、最初から手の内を明かすつもりで、エアルと呼ぶことを望んだ。
アイシュア様にビンチョス家のことを聞いたからだけではなく、マイクが気に入ったからだ。
自身の体のこと、公爵家の家格、矜持を尊ぶあまりに、歪みそうだった家族を姉様が必死に繋ぎ止めたこと。僕にくれた献身もすべて。
かわりにマイクは自分の加護のことを教えてくれた。
「話してくれて、すげー嬉しいけど、公爵家嫡男を皆の前で、愛称呼びはなぁ…目立ちそう。あ、エアリルも気が付いていると思うけどさ、家の方針で僕は目立てないんだ。僕がもっと動けるようになったら大丈夫だから、少し待っててほしい」
女の子に言うセリフだよ。やめてくれ。
「僕のことはマイクでいいから、エアルとは友達でいたいからさ、人のいないところならいいよな」
「僕は人前でもマイクって呼ぶよ」
「うん。親父に言っておく」
それからは人払いのしてある場においては、マイクは僕をエアルと呼ぶ。それ以外で呼ぶのは…。
お茶を飲み終えて、ソファーから腰を上げたマイクが、厨房から戻ってきたバルを見て、ニンマリとすると手を出した。
「バルザーク、今日もらったラブレターちょうだい」
「は?」
「あー気が付いてなかったかー机の中みてない?」
「本日は教室に寄っておりませんので…」
「ん。なら、それはこっちで片付けとく」
自己完結をしたのか、ふむふむと頷く。
「マイク?」
「エアルには机とロッカーを見る許可をもらっているけど、バルザークからも貰えない?」
「しかしロッカーには鍵が…」
困惑したバルを留めると、僕は頷く。
「いいよ。僕が許す」
「大した毒でもないけどね、触って目をこすったりしたらヤバイから」
「…!」
「ああ…バルは優秀だし、腕が経つけど自分のことには無頓着なんだ」
「エアルの傍付きなんて皆狙っているんだから、自分も気を付けないと駄目だよ。エアルに迷惑がかかるからね」
「は、う、承りました」
マイクは何かを伝えたい時にも愛称呼びをする。
「ありがとう」
「どーいたしまして。じゃな、エアル」
ひらりと、手を振ると慌ただしく邸を出ていく。
「バル、わかっているね」
そっと口元に人差し指を当てる。
疑問は抱いたのだろう。それでもバルは飲み込んで、頷いた。
やっとビンチョスも動かせました。
ここから、もうちょっと動きます。




