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「……だいじょうぶですか?」

 動揺したカトリーヌが絞り出したのはこの一言だった。

「え、ええ。だいじょうぶです」

 彼は答えると、両手でごしごしと顔をこすり、乱れた髪をかき上げた。

「ああ、こんなところで寝てしまったのか」


 ため息交じり。なんだか気だるげで艶っぽい。ちょっと退廃的。禁断の香りがする。しばらくぼーっとしていたと思ったら、突然はっとしたようにきりっと表情を引き締めるとすくっと立ち上がった。あっ、ほらやっぱり背が高い。見上げるほど!

「申し訳ない。昨夜は少々深酒をしてしまって、酔い覚ましにここへ来たのですが、そのまま寝てしまったようです。ああ、怪しいものではありません。アイリス大帝国の特使を務めておりますアーデン公爵ヴィンセントです」

 そう言うと彼は優雅にお辞儀をした。二日酔いでも優雅。さすが大帝国の公爵。


「まあ、アーデン公でしたの」

 帝国の特使が滞在中であるのは知っていた。歓迎の晩さん会や夜会なんかも開かれているのも知っていた。ただ引きこもりのカトリーヌが出なかっただけだ。

「わたくしはリスタール王国の第3王女カトリーヌでございます」

 カトリーヌはどぎまぎしながらも名乗りを済ませた。

「カトリーヌ殿下でしたか。ご無礼をお許しください」

 あくまでも優雅。たとえシャツがシワシワだったとしても。たしか皇帝陛下の弟だったはず。


「お加減がよろしくないとお聞きしましたが?」

 そういえば、そういうことにしていたのだったなとカトリーヌは思い当たる。

「ええ、はい。よろしくはないですね。なにぶん出戻りですから」

 ヴィンセントはくすっと笑った。

「おめでとうございますと申し上げた方がいいのかな」

「ほほほ」

 笑ってごまかす。

「あそこの王室はひどいですからね」

 あら、なんかバレてる。

「離脱できたのはめでたいことですよ」

「ありがとうございます。じつはホッとしておりました」

 ヴィンセントは「ははは」と高らかに笑った。


 カトリーヌはなんだか安心してしまった。この度の離婚について、身内は庇ってくれるけれど、それ以外の人たちの胸の内は知らない。知らないふりをしてきた。知りたくないから社交にも出なかった。

 父ははっきりと「役立たず」と言ったし、もしかしたらみんなもそう思っているのかもしれない。

 それをこの人は肯定してくれたのだ。

 よかった。わかってくれて。


「さて、お目汚しをしました。次は身なりを整えてお目にかかります。近いうちに。では」

 ヴィンセントはカトリーヌの目をじいっと見つめると、さっそうと去っていった。

 さわやかだ。二日酔いでよれよれなのにさわやかだった。うむむ、これが地位も財力もある男の余裕というものか。あれにくらべたら、アーくんなどおむつをした鼻たれ小僧である。男の「お」の字もない。()()()()()だ。

「ふふっ」

 カトリーヌは思わず笑った。少し心が軽くなった。


 その日の昼前にはヴィンセントから1本の大輪の白バラとカードが届いた。薄い水色に金の繊細な縁取りのついたカードには濃いブルーのインクで

「あなたとの出会いに感謝します」

 と書かれていた。「わあ」カトリーヌは見惚れてしまった。

「おしゃれですねぇ」

 デイジーがバラを一輪挿しに生けながらニマニマとした。たしかにおしゃれだ。気が効いているというかセンスがいい。いきなりバラの花束をドカンとよこされてもドン引きだもの。


 バラに結ばれた幅の広いリボンだってしゃれている。白いサテンとレースの2本づかい。うまくバラを引き立てている。リボンの位置だって、一輪挿しに生けるのにじゃまにならない位置である。なにからなにまで心憎い。カトリーヌはぽわんとバラを見つめた。

 理想の切れ長が理想のバラを贈ってきた。いや、理想が贈ってきたバラだから理想なのか?


「姫さま」

 デイジーに呼ばれてカトリーヌははっと我に返った。

「1本の白バラの花言葉、ごぞんじですか?」

 カトリーヌは首を横に振った。デイジーはやけに神妙な顔をしているが。

「ひ・と・め・ぼ・れ。うふっ」

 彼女は人さし指を立てて、一文字一文字なぞるように動かすと、最後にこてんと首をかしげた。

「じゃあわたし、アーデン公の情報収集してきますねっ」

 デイジーはそう言うと、スキップをしながら部屋を出て行った。


 は? はあああっ?

 ひ、ひ、ひとめぼれ? うそうそうそ。なんかほかの花言葉もあるのよ。努力とか気合とか! 鵜吞みにしちゃダメッ。


 なーんてそわそわしていたら、「夕方におじゃまする」とヴィンセントから先ぶれがあった。

「なにしに来るんだろ」

 おろおろしながらカトリーヌが聞く。

「お話に決まってるじゃありませんか。でも」

 デイジーはきりっと眉を吊り上げた。

「鵜呑みにしちゃダメです」

 ダメなの? やっぱりほかの意味があるんだ。努力とか気合とか。カトリーヌはそう思ったけれど、どうやら違うらしい。

「あの人、とんだプレイボーイですよ。独身ですが、行く先々に恋人がいるらしいです。大陸中に。新大陸にも」

「え、え、ええー!?」

 行く先々に恋人とは? いったい何人?

「ええーと。大帝国に、ネヴェリに……」

 デイジーが指折り数える。5まで数えた時に、カトリーヌは耐えられなくなった。


「もういい。リスタールにもいるのかしら」

「それは聞いていません。もしかしたら姫さまをリスタールの恋人にする気なのかもしれませんよ」

 それはやだなー。それじゃあまるで、側妃愛妾をたくさん抱えたアーくんといっしょだ。あー、でも顔を合わせるとこはないのか。ならいいか……。いやいや、よくないよくない。

 なんだか思考がとっ散らかっている。


「姫さま」

 デイジーは眉を吊り上げたままだ。

「ドンファンに浮かれて流されちゃダメですよっ!」

「ド、ドンファン……。そ、そうね。そうだわ。たとえ理想の切れ長だとしても、軽々と姫抱っこをしてくれそうでも、わたしひとりを愛してくれる人じゃなくちゃ!」

「そうですよ! 次の国に行ったら別の人を姫抱っこするんですよ! そんな人ダメです! アーくんに比べたら手ごわそうですけど、しっかり蹴散らしましょう! 気合ですっ」

 やっぱりアレの花言葉は気合なんだな。朝からほわほわと浮かれていたカトリーヌの気持ちは、急速にしぼんでいった。


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