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父は当てにならなかったから、王太子である兄を頼った。兄はもろもろ手配し、迎えの馬車もよこしてくれた。
3年の間に増えた持ち物は、すべて持って帰っていいとゼーリンが言ったから、遠慮なくお持ち帰りする。引っ越しの荷物はなかなかの量だった。先頭の馬車にカトリーヌとデイジー。護衛騎士たちが騎乗して囲む。その後ろにずらっと荷物を積んだ馬車が連なる。嫁入りの時より長い車列(笑)。
見送りはゼーリンだけだった。みんなバトルに忙しいらしい。
「お元気で」
「あんたもね」
たった一言だけかわして、馬車は走り出した。城の門を出てから、カトリーヌは窓を開けると、首だけ出して振り返った。城が遠ざかっていく。
「バーーーカ!!!」
思いっきり叫んでやった。デイジーも「バーーーカ!!!」と叫んだ。
並走している騎士がぎょっとした。
「ごめんあそばせ」
カトリーヌはにっこりと笑いかけて窓を閉じた。それっきり王都を出るまで開けることはなかった。
そうして来た時と同じルートを逆行して、カトリーヌは無事に実家であるリスタール王国の城へと出戻った。
出戻ったはいいが、父からは「役立たずめ」と罵られた。やっぱりか。兄に頼ったのも気に入らなかったのかもしれない。
まあまあ、と兄がとりなしたところで聞く耳を持たない。頑固じじいめ。あげくに
「みっともないから人前に出るな」
と離宮に押し込められた。
「また、離宮ですねぇ」
デイジーがため息をついた。がカトリーヌはむしろ喜んだくらいだった。もうここで、ひっそりこっそり隠れて生きていこう。なにか手に職をつけるのもいいかもしれない。
家庭教師なんてどうかしら。貴族の子女に礼儀作法を教える。今の時代、ジェントリの子女にも需要があるはず。自分ひとりの食い扶持くらいは稼げるんじゃないかしら。
「とんでもありませんよー。王女殿下なんて恐れ多くて雇えません」
そうかー。そうか? ならいっそ王族を抜けてしまえばいいのでは?
「そこまでして家庭教師がしたいのですか?」
……そうじゃないな? わたしはどうしたいのだろう。
「帰ってきたばかりなんですから、少しのんびりしましょうよ。せっかくあの魔窟から脱出してきたんですから」
「それもそうね」
めんどくさくなったカトリーヌはあっさり思考を放棄した。
自分が思っていたよりカトリーヌは疲弊していたようで、熱を出したり、突然虚無感に包まれて動けなくなったり、身体的にも精神的にも不安定な状態が続くことになった。
それを理由に引きこもり、たまに訪ねてくる友人とおしゃべりをしたり、母や兄嫁がお芝居に連れて行ってくれたり、湖のほとりの保養地で散策をしたり魚釣りをしたり、兄がキツネ狩りに連れて行ってくれたりと、デイジーのいう通りなにもかもを人任せにして、のほほんと暮らしていたのだった。
そうして、甘やかされて暮らすこと1年。いまだに自立の目途は立っていない。
「のんびりしすぎじゃないかしら」
「いいえ! 姫さまはたいへんつらい目にあったのです。もっとごゆっくりしてください」
デイジーは過保護じゃないかしら。
最近のカトリーヌのお気に入りは早朝の散歩である。デイジーもほかの使用人たちもまた起きていない時間、こっそりと離宮を出て庭園に向かう。朝露に濡れた花々が開き始め、小鳥がさえずる。
人の気配がしないこの時間は、引きこもりのカトリーヌにとって至福の時間である。
この日も花を眺めながらのんびりと歩いていた。咲き始めのマグノリアがほのかに香っている。目的もなくブラブラと歩いていた。
と、行く手に見慣れないものが目に入った。庭園には所々にベンチが置いてある。一休みしながら花を愛でるために置いてあるのだが、そのベンチになにかが「でろん」と横たわっている。
「人?」
たしかに足が見える。男の人のようだが。カトリーヌはそろりそろりと近づいていく。それはピクリとも動かない。
「やだ、死人かしら」
頭の方へ回り込んでみる。
あら? あらあら?
仰向けに横たわった人は中々な美丈夫と見えた。背も高そう。ベンチから下におろした足も長い。きちんとセットしてあったはずの短い金髪は、今は乱れておでこにかかっている。
年のころなら30代?
「どなたかしら」
身なりだってちゃんとしているから、お城に忍び込んできたものじゃないと思う。
カトリーヌがじいっとのぞき込んでいると、彼は気配を察知したのか、いきなりパチッと目を開けた。
「わっ」
「わっ」
カトリーヌはびっくりして飛びのいたが、相手もびっくりして飛び起きた。しばし見つめあう2人。
ヤバい。
寝起きでちょっとぼやっとしているけれど、切れ長だ。まごうことなく切れ長だ。しかも青い。いや、切れ長であれば色は問わないのだが。
しかも背が高い。座っていてもわかる。しかも足が長い。しかも肩幅が広い。しかも胸板も厚い。しかも美丈夫!!!
やだ! 理想がいる!
ちょっとくたびれているけれど、わたしの理想がここにいる!!!
むわっと男のフェロモンが駄々洩れる。いや、ちがった。酒臭いんだ。この人二日酔いだ。二日酔いなのにカッコいい。なにそれ。胸の鼓動が高鳴る。ドキドキしすぎて心臓壊れちゃうんじゃない?