転校生はどんな人
......暑い。
私は終わりの見えない坂道を歩きながらそう独りごちる。
真夏の眩しい陽の光をアスファルトが照り返す。
ああ、遠くに見える巨大な入道雲が、綿あめみたいで美味しそうだ、なんて。
朝食を済ましたばかりなのに、そんなことを考えてしまう。
ふと、家を出る前に見た天気予報を思い出す。
「今日は例年よりも気温が高く、猛暑日となるでしょう」
近頃は毎年聞くこの台詞、これだから地球温暖化ってやつは。まだ朝だっていうのに、さらに暑くなると思うと、自然と溜息が出る。
「葵、おはよー」
そんな私の思いをかき消すかのように、声が聞こえた。
振り返ると、親友の乃亜が手を振ってる。
「おはよぉ〜」
私は力無く返事を返す。
「どうしたの?今日はやけに元気が無いわね。もしかして、暑さにやられちゃった?」
乃亜が私の側に来ると話しかけてくる。
この暑い日に腰まで長い黒髪をたなびかせながら汗ひとつかいていない彼女の名前は、草薙乃亜。
身長は私より5センチ高いぐらい、なのに体重は私よりも軽そうだ。お人形さんみたいに可愛い彼女は、ラブレターも何度ももらったことがあるそうだ。毎回、丁重に断ってるらしいけどね。
そして、さっきも言った通り、私の親友でもある。小、中学校とも一緒だった私たちは、無事に同じ高校に入学することが出来た。ごくごく平均的な頭脳しかない私が彼女と同じ高校に進学出来たのも、彼女がつきっきりで勉強を教えてくれたおかげだ。
「そうなの」
「やっぱりね。葵のことだから、そんなことだろうと思った」
「乃亜は嫌にならない?まだ夏は始まったばかり。これから気温はどんどん上がっていくんだよ?」
すると、乃亜は笑って言った。
「そんなのいちいち気にしていたら、きりが無いわ。それに、溜息ばっかりついていると幸せが逃げていくって言うじゃない」
なるほど、我が親友様は心まで高潔な様だ。
納得した私は乃亜と一緒に学校へと足を進める。
私の名前は霧島葵。
白明学園に通う高校一年生だ。
身長は155センチと、平均より少し低いぐらい。(体重は最重要機密なのだよ)
好きなことは、読書と寝ること。勉強は中の下ぐらいの成績。
え?モテるのかって?
残念ながら私の下駄箱に入っている物は上履きと、持って帰るには重い辞書ぐらいだ。
間違っても、手紙やプレゼントなんて入っていたりやしない(フン、見る目の無い男どもめ)。
だから、平凡な女子高生として日々を過ごしている。
私が通う白明学園は、中高一貫校で、すぐ近くに中等部の校舎もある。高等部の校舎は、4階建てのものが2塔あって渡り廊下で繋がっている。
学校に着いた私たちは上履きに履き替え、渡り廊下を通って教室へと向かう。
廊下にはいたるところに絵画が飾ってある。以前、先輩に聞いた話によると、絵はこの学校が建てられた頃からあるらしい。
道中で作業服姿の人たちとすれ違う。数ヶ月前にこの辺で起こった、大規模停電の復旧作業に来ているのだろう。
教室に着いた私たちは、教室内が騒がしいことに気づいた。
私は、近くにいた鯨井くんに訊く。
「みんながソワソワしてるけど、何かあったの?」
「ああ草薙さん、おはよう。なんでもこのクラスに転校生が来るらしいんだ」
転校生!!
私は彼の言葉に驚く。
まだ、入学してから3ヶ月程しか経っていないのに転校生とは!
一体どんな人なんだろう......
続けて鯨井くんに質問しようとすると、扉が開いて先生が入ってきた。
「えー、ホームルームを始める前に、みんなに紹介したい人がいます。新しくこの学校に入ってきた転校生です。さあ入って。」
後半は扉の外に向かって、先生が言った。
扉が開く。
クラス全員の視線が集まる。入ってきたのは、一人の男子生徒。
身長は少し小柄な感じ。私より少し高いぐらい。男子にしては長めの髪の毛は肩までかかるぐらいの長さで綺麗に整っている。第一印象はザ・好青年という感じだ。
「はじめまして。戌井優希といいます。これからよろしくお願いします」
キランと光る眩しい歯に、女子達から黄色い歓声が上がる。反対に男子達の目は鋭い。
彼はそんな周りの様子を気にすること無く、用意された席に座った。
授業中、みんなの意識は上の空だったと思う。誰も彼も優希くんのことが気になって仕方ないのか、チラチラと視線が集まっていた。
休み時間になった瞬間、優希くんの周りに人が集まる。その光景はまるで、ジャングルで餌に群がるピラニアのようだ。
私はピラニアたちを少し離れた所から観察する。
あんな奴のどこが良いんだろう。キザっぽくて少し苦手。
そのことを乃亜に言うと驚いた顔をされた。
「そう?すごくかっこいいじゃない」
そうか、乃亜はああいう人がタイプなのか。
そうとわかれば、親友の為に一肌脱いでやろうじゃないか。
私は意気揚々とピラニアの群れをかき分け、優希くんの席に近づく———が、
勢いが足りなかったのかパチンコ玉のように弾き出される私。机を巻き込んで派手に倒れる。
「葵、大丈夫?頭とか打ってない?」
乃亜が心配してくれる。
「らいじょーぶ、らいじょーぶ。心配してくれて、ありがと」
私は差し伸べられた乃亜の手を掴み、立ち上がる。
しかし困った。これでは彼に近づくことすらできない。
その時、優希くんが席を立った。どうやらお手洗いに行くようだ。
これはチャンス!
私は周りに気づかれないようにこっそりと動き、教室の後ろの扉から廊下へと出る。
10メートル程先に歩いている優希くんを発見。見つからないように後をつける。別に見つかってもいいんだけど、ついつい隠れてしまう。
すると彼は、トイレの前を通り過ぎてそのまま歩いて行く。
あれ?お手洗いじゃなかったのかな。
疑問に思いながらも尾行を続けると、突然、廊下の真ん中で立ち止まる優希くん。
私も慌てて物陰に隠れる。
「この絵......」
彼は小さく何かを呟き、壁に掛けられた絵画を見ている。
今の言葉、どういう意味だろう?
不思議に思って顔を出した時に、バランスを崩してしまった。
ビタンっ!顔面から床に突っ伏す私。
......痛い。
顔を上げると、優希くんがこちらをじっと見ている。
「———確か君は同じクラスに居た?」
このままでは彼に変な誤解を与えてしまいそうだと思い、私は必死に弁解する。
「あ、いや、これは違うの。別につけてた訳じゃないの。えっと、そう!あなた、転校してきたばかりで学校のことわからないでしょ?だから教えてあげようと思って」
咄嗟に思いついたにしては我ながらナイスな言い訳だ。自分で自分を褒めてあげたい。
「それはありがとう。でも実は昨日のうちにこの学校のことを教えてもらったから大丈夫なんだ」
彼はそう言ってニコッと微笑む。
あれ?なんだろう。
今の優希くんの笑顔、少し変な感じがしたような。
「じゃあ僕は教室に戻るね。君も早く戻らないと、授業が始まるよ」
そう言って、彼は教室の方へ戻っていった。
1人残された私は考える。
優希くんは一体どうしてここに来たんだろう。
......怪しい。
私は周りを見渡す。紙が貼られたコルクボード、無造作に置かれた机、壁に掛けられた絵画がなどが目に入る。少し迷った後、私は絵画の前へと移動した。
「優希くん、この絵を見てたよね」
私はその絵に不審な所が無いか観察する。森の中にある湖の風景が描かれている絵だ。
この学校の廊下には絵画がいたるところに飾ってある。学校が建設された当初からの方針で、何でも生徒たちに芸術品に見て触れて学んでほしいからとかそんな理由だったと思う。
最初のころは廊下に飾ってある絵画を新鮮に感じていたけども、この学校に入学して3ヶ月が経ち、完全に興味が薄れてしまった。今では廊下のシミを見るのと同じくらいの感想しか抱けない私の残念な感性よ。
こうして改めてじっくり見るのは初めてかもしれない。
「うーん、普通の絵…よね?」
生徒のいたずら防止用にガラスケースに入っている以外は、至って普通の絵画だ。もっとも私は断然花より団子派なので、絵画の良し悪しなんてわからないのだが。
チャイムが鳴ったため、私は後ろ髪を引かれつつも教室へと戻った。