悪い奴だぜルシファー… 6
「ふぅ」
「あれ、せんせちょっとお疲れ?」
隣で一緒に顔を洗っていた女生徒の一人、田中さんが声をかけてくる。
「ええ、ちょっとだけ」
と笑い返す。
「まー、しょうがないよね。明星くんたちのこともあったし」
昨夜の出来事は当然、そのまま説明できるわけがない。
「明星くんもついてませんよね転んでスマホ壊しちゃうとか」
同じく顔を洗っていた竹さんも話にはいってくる。
「あはは、そうですね」
なので明星くんが廃墟の中で転倒し少し休んでいたということになった。
その証拠というか説を補強するために彼の壊れたスマホも一役買ってくれた。
明星くんがドジをしたということで泥をかぶることになったが当人はまるで気にしていなかった。
悪い悪いと良い具合に空気を柔らかいものにしてくれた……私の弟は本当に立派だ。
それはさておき私が疲れているのは心労をかけさせられたとかそういうものでは当然、ない。
いやまあ桐生くんと如月くんという看過できない問題もあるけどそっちでもない。
別段、それは私一人で背負うものでもないのだ。仲間たちもいるので特に気にしてない。
じゃあ何で素人目にも疲れているように見えるかというと、
(いやぁ……昨日の夜は本当にやばかったですねえ)
ムラムラしてたからだ。
明星くん――――いやもう他人行儀なのも変だし心の中では次郎くんと呼ぼう。
次郎くんと私、深夜、二人だけの語らい。
中身は心底真面目極まるもので私も終始真摯に対応していた。
が、それはそれとしてだ。終わってテントに戻った後で思い返すと……ねえ?
(エロ漫画ならそのまま雪崩れ込んでたパターンですよ)
そう考えるともう興奮が止まらなかった。
私を快く思わない連中からすればやはり大天使の翼を背負わせるべきではないと罵るだろう。
しかし私は私。天使で人間。そしていとことそういう関係になっても法律上はセーフなので何ら問題はない。
というのは置いといてだ。
近くに生徒もいるのだ。流石に一人でおっ始めることはできない。
いや力を使えばどうとでも誤魔化せるがするならせめて自宅の自室で。
それぐらいの教職倫理は私にだってある。
だからひたすらムラムラを堪えていたのだが……気付けば朝になっていた。
その疲れが表れていたのだろう。
「とりあえず皆さんも怪我だけはしないよう気を付けつつ全力で遊んでくださいね?」
≪はーい!!≫
良い返事だ。
この後は野外でレジャーを楽しみ昼食にカレーを作ってそれを食べて解散という流れだ。
私も本来ならそこで帰宅するのだが……ウォッチャーとしての仕事ができてしまった。
(参加した覚えのないプレイヤーの存在もそうですが)
桐生くんと如月くんの存在も大きな問題ではある。
だが爆弾度合いで言えば次郎くんの方がよっぽどだ。
周知させるつもりはないがウォッチャーのトップには報せておかねばなるまい。
排除や利用を企てる人間ではないと分かっているが万が一の時は私が全てを投げうってでもあの子を守る。
(……ただ、どうしたものか)
トップや私にその気がないと言ってもだ。次郎くん本人が問題になる。
彼は昔の私のように力があるのだからと妙な義務感に駆られるようなことはないだろう。
だが大切な友人が危険なことに巻き込まれていることを知ってしまった。
まず間違いなく首を突っ込む。恐らくそう仕向けられているのだろうが……そこは置いておこう。
友のため。その心根は美徳だしお姉ちゃんとしては誇らしすぎて羽根増えるレベルだがそれはそれ。
代理戦争に関われば次郎くんの存在もいずれは認知されるだろう。
人間ならともかく最上位に位置するような悪魔の目に留まれば間違いなく気付く。
(あたまがいたい……)
悶々としたまま時間は流れ親睦会が終わった。
キャンプ場の最寄り駅で解散ということになったのだが、
「明星くん、桐生くん、如月くん。本当に大丈夫ですか?」
組織に連絡を入れたら今日、会えないかということになった。
参加した覚えのないプレイヤーの存在はウォッチャーとしても見過ごせないので当然だろう。
とは言え昨日の今日だ。無理そうなら日を改めることもできると伝えたのだが三人は即承諾。
ちなみに明星くんのことはまだ伝えていない。事が事だけに直接、話すべきだから。
「問題ありません。親睦会の延長ということで友人の家で泊まってくると言えば怪しまれないでしょう」
「僕のとこは今日、親いないんで」
「うちは禿がいるけどうちの禿はわりと放任なんで」
「……分かりました。では夕方五時に学校近くの公園で」
頷き三人は駅へと入って行く。
私も行きは電車だったがなるべく早く報告に向かいたいのでトイレに入りそこから転移で本部に飛んだ。
「お疲れちゃ~ん。楽しいイベントの最中にまさかまさかだねえ」
執務室に入るとチノパンにハンチング帽の軽薄な印象を受ける初老の男が私を迎えてくれた。
ウォッチャーのトップ、志村さんだ。
「ええ本当に」
まあ悪いことばかりではなかったけれど……それは私的な部分なので触れない。
「で、マジなのかい? イレギュラーなプレイヤーが現れたってのは」
疑っているわけではないがそれでも念のため。
それだけ桐生くんと如月くんの存在はあり得ないことなのだ。
「残念ながら。嘘を吐いている様子もなく記憶を弄ったような痕跡もありませんでした」
「……参ったねえ。ちなみに聞くが魔界に問い合わせをしたとして」
「有力な情報は得られないでしょうね」
監視者と悪魔、人間の代理戦争関係者は決して良好な関係ではない。
無駄な揉め事にリソースを割きたくないからその存在を許容しているだけだ。
あちらからの協力を得ることはできないだろう。
「だよねえ。いや参った……こっちの調査だけが頼り、か」
検査で何かしら判明すれば良いんだけどとぼやく志村さんには悪いが、
「すいませんがもう一つ。イレギュラーなプレイヤーよりも重要な話が」
「……うん、分かってる」
直接話したいことがある、とは既に伝えていたとはいえ気が重いのだろう。
志村さんは深く溜息を吐きながら頷いた。
「正直、イレギュラーより重要って時点でもう厄ネタのにおいしかしないんだよねえ」
「その認識で間違いはありません。ある意味、私よりもよほど」
「逃げたいなあ……でも逃げられないんだよなあ立場上――OK、腹は括ったよ」
どこからでもこいと言われたので頷き、告白する。
「――――ルシファーの息子が見つかりました」
「!?!?!?!?!!!!!」
言葉では表現し切れない凄まじい百面相だ。
そりゃそうなる。誰が志村さんを責められようか。
「は、はは……いやいや、流石に……」
「“私”がその気配を間違うはずがないでしょう?」
「…………だよね」
志村さんは頭を抱えて机に突っ伏してしまった。
「おいおいおいどうすんだよとんだ火種じゃないか……悪魔はこれを知ってるのか?
いやだが知ってるなら担ぎだされてるだろうし知らない?
ならどうでる? ルシファーの息子という存在は彼らにとってどういうものになる?
というかミアちゃん。話の流れからしてその息子というのは……」
私の生徒です、と答えると志村さんがうめき声を漏らした。
「確か、君今は一年生の受け持ちだったよね?」
「はい」
「……高一と言えば十五、六歳」
「彼は十五歳ですね。そして宿った時期で言うなら」
「十月十日分を含めるなら……十七年ぐらい前、になるよねえ……」
そう、ルシファーが玉座を放棄した時期と重なってしまうのだ。
糞忙しい。その言葉に注目したものはあまりいなかった。
ルシファーという魔王は普段から好き勝手あれやこれやしていたからだ。
悪魔たちはまたぞろ趣味の時間を邪魔されキレたのだろうと認識していたらしい。
私たちも人間に友好的な悪魔からそう聞かされて普通に受け入れていた。
だがルシファーの息子というピースが明らかになった今では注視せざるを得ない。
「……どう思う?」
「陰謀論だ、と切り捨てるのは楽観が過ぎるでしょう」
代理戦争は必要に迫られて成立したものである。
我々も悪魔たちですらもそう思っているだろう。
だが次郎くんの存在を考えれば悪魔王が巡らせた謀である可能性は十分にある。
「名のある悪魔たちは認識しているのかな?」
「どうでしょうね。当時の混乱を直接見たわけではありませんが」
上から下まで大騒ぎ。
無論、そう装っているだけという可能性もあるが……その線は薄いと思う。
「理由は?」
「直感です」
そうと思えるような理屈も幾つか立てられはするが結局は勘だ。
「ところでミアくんは何故、その息子くん……えーっと名前は?」
「明星次郎くんですね」
「明星とはまた……で、次郎くんの存在を認知したんだい?」
「巻き込まれたんです。イレギュラーなプレイヤー二人を狙った迷宮狂いの襲撃に」
「それは」
昨夜の状況、そして三人の関係性を分かる限りで説明する。
「これ偶然で片付ける方が無茶でしょ」
「ですよね」
イレギュラーなプレイヤー二人とルシファーの息子が親友。
そして三人揃って代理戦争に巻き込まれるなんてあまりにも出来過ぎだ。
作為的な何かがないと言う方が無理筋だろう。
「……対峙したのが迷宮狂いだったってのもまた意味深というか」
「都合が良い、ですか?」
「うん。奴は白か黒かで言えば黒だが」
「同時に快楽主義者でもありますからね」
興が乗れば勝利よりも自身の興味を優先する。
遊びのないダークサイドのプレイヤーであれば三人はさっさと殺されていた。
だが遊びのある迷宮狂いだからこそ良い塩梅で力に目覚めつつも生き残れた。
「ついでに言うなら私が居合わせたのも出来過ぎですよ」
ミカエルの娘。赦されざる天使。
そんな私がギリギリで間に合う距離にいたこと……いや三人の受け持ちになったのがもう怪しい。
「次郎くんは特異な存在ではあります」
見た目だけでも天使、堕天使、悪魔、人間のハイブリッドであるのは分かる。
だが色んな種族の混ぜ物を造り出すような輩は裏の世界ではそう珍しくもない。
天使の性質と堕天使の性質がどちらかに偏らず両立しているのは確かに稀有だ。
だが普通は知らないだけでそういう技術を確立させた誰かがいると勝手に理屈をつける。
自然にあんな存在が成立すると考える方がおかしいのだ。
「ですが見ただけでルシファーの継嗣と気付けるのは限られています」
それこそ私のようにルシファーという存在に近しい者か、最上位に位置するような力ある者ぐらいだろう。
裏の人間ほどルシファーの息子であるという可能性は除外してしまう。
魔王の種、或いは魔王の胎に種を仕込めてそれを成立させられる人間なんて居るとは思えないから。
極まった上位存在が人間と子を成そうとするなら母胎にも相応のものが求められる。
一つだけ母胎側に求められる性能を無視する手段はあるが、
(……心の底から相手を愛するなんて父ならともかくルシファーには不可能だ)
子を作るのは薄汚れた陰謀のため。母胎に愛などないだろう。
父ミカエルは本気で母を愛していたから私が産まれたわけだがルシファーには無理だ。
愛を知らぬ慈しみを知らぬ傲慢の明星。それが魔王ルシファーなのだから。
「薄気味悪いねえ」
「ええ」
「……ちなみに彼を戦いから遠ざけるのは」
「私個人の心情で意見するなら賛成です。しかし客観的な立場で意見するなら反対です」
明らかに流れを作られている。
それを阻もうとすれば更にややこしい事態に発展するのは目に見えている。
魔王ルシファーの姦計を防ぎ切れる人間など一体どこにいるというのか。
「だよ、ねえ」
「ルシファーが何を考えているのか……」
「人の身で推し量るには相手が悪すぎるね」
或いは深謀遠慮などはないのかもしれない。
単に面白そうだからと遊び半分で鬼謀を巡らせただけという可能性もある。
どこまでも薄っぺらなようにも見えるしどこまでも続く深淵のようにも思える。
人の物差しで測れば手痛いしっぺ返しを食らうだろう。
「本人に意思確認をしてその上で裏に関わらない選択肢を選ぶなら一先ずは静観」
「関わるなら要観察。イレギュラー二人と合わせてミアちゃんに任せても良いかい?」
「元よりそのつもりです。桐生くん如月くんは私の大切な生徒ですし次郎くんは可愛い可愛い弟ですから」
「うん、頼……弟?」
「大体そんな感じでしょう」
「う、うーん? 関係性はいとこだし境遇も似てるからそう言えなくもないけど何か邪念が……」
勘が良いですね。ミステリーなら消されるレベルで。
「ま、まあ良いさ。ちなみに次郎くんには当面、伝えないってことで良いんだよね?」
「はい。分からないと言ったばかりですしね」
今の精神状態でルシファーの息子なんて情報を受け止め切れるわけがない。
いずれは話さねばならないだろうが少なくとも今ではない。
「OK。伝える時期に関しても君に一任しよう。よろしく頼むよ」
「微力を尽くします」