悪い奴だぜルシファー… 5
深夜。俺は疲れからぐっすり寝入っている飛鳥と了を起こさぬようこっそりテントを抜け出した。
向かったのはキャンプ場からほど近い河原。
月明りがあるとはいえ深夜に水辺というのは普通なら危険だが生憎と俺は普通ではない。
川辺に腰掛け一息吐いて、
(――――最悪だ!!)
頭を抱えた。
親父が原因ではた迷惑なゲームが始まってしまったこと。それに友人二人が巻き込まれてしまったこと。
これだけでも、もうお腹いっぱいなのに……だ。
『熾天使ミカエルと人間の間に生まれた赦されざる天使』
藤馬は確かにそう言った。
赦されざる天使の意味は分からないがそこはぶっちゃけどうでも良い。
問題は先生がミカエルの娘ということ。
(親戚やんけ!!)
関係性で言えばいとこに当たるのか。
親父の正体が判明してから俺なりにルシファーというものについて調べてみたのだ。
その中でルシファーとミカエルは兄弟であるとの説を知った。
そこで俺は昔の記憶を思い出した。そう言えば小さい頃、親父に弟を強請ったことがあったなと。
記憶の中の親父は弟なんて良いものじゃないぞとやけに生々しいエピソードを話してくれた。
親父の正体を知る前なら母親いないのに弟なんて作れるわけがないから別口で諭そうとしたのかもと思えるが……。
今なら分かる。十中八九ミカエルは親父の弟だ。
(そりゃ親近感覚えるわけだわ! 親戚だしまるっきり境遇同じだもん!!)
兄弟そろって何をやっているのか。
というかスーパーで出会った時、親父先生が何なのか気付いたんじゃねえのか?
(一言俺に言っておけや!)
今すぐ鬼電かけてやりたいが……スマホ、壊れちゃった。
そりゃそうだ。ポケットに入れたまま戦ってたらそりゃ壊れるよ。
とりあえず親父の責任なので奴の小遣いガッツリ毟り取って最新機種買わせる。絶対にな。
分割とかなまっちょろいことはさせない最新機種を一括でだ。
(……先生は気付いてるのか?)
多分、親父のことには気付いていないだろう。
でなければ俺の姿を見てびっくりするのはおかしいしな。
じゃあ俺についてはどうなんだ? ルシファーの力を受け継ぐジュニアだと気付いて……?
混ざり物だから驚いたという線もあるし、正直分からない。
(もし気付いてるなら)
相談、できないだろうか?
諸々ぶっちゃけてどうすれば良いかを一緒にかんが、
「――――こんな夜更けに出歩くのは感心しませんね」
「うぇ?!」
驚き振り返ると先生が立っていた。
ちょ、まだ考えまとまってないのに……。
「え、えーっとこれはその……あの……」
「なんて、意地悪でしたね。ごめんなさい」
小さく頭を下げ先生は俺の隣に腰掛けた。
「大切なお友達が危ないことに巻き込まれただけでもしんどいのに自分に訳の分からない力が宿っている」
……あ、そういう?
先生は俺が突如目覚めた(ように見える)力に戸惑っていると思ったのだ。
確かに状況だけをなぞればそういう勘違いをしてしまうのも無理はない。
「ひょっとしたら自分は人間じゃないのかもしれない。そんな考えも頭をよぎってしまう」
いやー……うん、そういうのはないかな。
親父からカミングアウトされた時もそりゃあ驚いたさ。
でも自分が人間じゃないかもなんてことでは一度も悩んでない。
人っぽい形して人の社会で生きてたら人間でええやんって感じだし。
「私にも覚えがあります」
体育座りのような格好で膝に顔を乗せていた先生がちらりと俺を見る。
その仕草にドキっとするが……正直、ときめきは減少している。
デート(という名の買い出し)してた時はそりゃあもうドキをムネムネさせてたさ。
でも今はなあ。気まずさが上回っちゃうよねっていう。あと親戚みたいなもんだし。
「明星くんも聞いていましたよね? 私がどんな存在かって」
「えっと……その熾天使ミカエルと人間の間に生まれたハーフだって」
「はい。君と似たような境遇ですね。私がそれを知ったのは高校の頃でしたか」
小さく息を吐き先生はゆっくりと己の来歴を語り始めた。
まるで漫画か何かの導入のようにある日突然、非日常に巻き込まれ力に覚醒。
最初は翼も出ておらず身体能力や浄化の光を使える程度だった。
「十代の子供特有の向こう見ずと言いますか」
力を持つ者の義務感、のようなものを感じていたと先生は苦笑する。
そうしてある種の独善に突き動かされるがまま事件に首を突っ込んでいく内に更なる力に目覚めていったのだという。
そしてある時、遂に翼が飛び出したのだ。
(ベタ……だけど俺らも人のこと言えた義理じゃないか)
まんま一般人が非日常に巻き込まれる流れ俺らやっちゃってるからね。
まあ俺の場合はその前にすっげえ締まらない感じで知らされてたわけだが。
「純白の翼は息を呑むほどに美しくて」
だからこそ、と先生は懐かしむように遠くを見つめながら続ける。
「――――“人間が持ち得るものではない”ことが分かってしまった」
足元が崩れ落ちていくような感覚だったという。
自分は人間ではない。
これまで横を歩いていた友人たちと違う生き物であるという事実はどうしようもなく心を打ちのめした。
「それだけでもショックなのに辛いことはまだ続きました……明星くん」
「はい」
「迷宮狂いが私を赦されざる天使だと言っていたことを覚えていますか?」
「え、ええ」
というかどうしよう。
親父のことカミングアウトするような空気じゃねえんだけど。
「それは私がかつて対峙した敵に呼ばれ定着してしまった二つ名です。
その敵から私は父のこと母のことそして……私自身の真実を知らされました。
天使と人間のハーフというものは珍しくはありますがそれでも皆無というわけではありません。
人の世との交わりが薄れるにつれ数は減っていきましたが現代でも少数ではありますが存在します」
しかし自分には彼らと決定的な差異があったのだと先生は苦い顔をする。
「例えハーフであろうと天使であるがゆえの機能からは逃れられない」
「……機能?」
「堕天です」
天使が悪心を抱けばその翼は漆黒に染まる。
ある種、天使という存在の聖性を担保している特徴。
それが先生には備わっていないのだ。
「私がどんな悪行を犯してもこの羽根が染まることはない。
それはつまり如何なる悪行も神の意思、その代行であると取られかねないということ。
私は誕生と同時に殺されるはずだった。しかし父ミカエルの懇願により命を救われました」
ただ、と先生は悲し気に目を伏せた。
「その代償に父は獄に繋がれることになりました」
そして今も尚、ミカエルは囚われ続けているのだという。
「ミア、せんせい」
言えねえ! ますます言えねえわ!
だってお前これ、あれだぞ。俺の出生、ざっくり説明するなら生でシたらデキちゃいました★だぞ!?
先生みたいなシリアスな背景皆無だもん!
ごめんねミカエルさん! 兄弟揃って何やってんだとか言っちゃって!
ごめんねミカエルさん! あんな禿と一緒くたにしちゃって!
全然違うね! 全然違うもんね! ナマ言ってさーせんしたァ!
「そんな顔をしないでください。言ったでしょう? これは十代の頃の話だと。
今はもう諸々の葛藤を乗り越えているので大丈夫です。ええ、嘘じゃありませんとも」
慈愛に満ちたその笑みが痛い。
「……今の明星くんにはまだピンと来ないかもしれません。でも、覚えていてください。
どんなに複雑な背景があろうとも結局のところ、自分は自分なんです。
誰から生まれたとかどんな運命を背負っているかなんてことは決して本質じゃないんですよ。
あなたはあなた。ただそこに在るだけでその命は尊く祝福に満ちているんです」
おいおいおい罪悪感のスリップダメージでそろそろゲージがレッドゾーンなんだが?
(というかこれ、どっちだ? 気付いているのか? いないのか?)
えらく重たい境遇をカミングアウトされた時は気づいているのでは? と思った。
だが先生の話を聞くにちょっと分からなくなった。
堕天が天使の機能というのなら俺はどうなんだ?
白翼と黒翼を備えているのもバグみたいなものなのではなかろうか。
これはもう本能というか直感的なものだが、
(……多分、俺が悪事をやらかしても白い方の翼が染まることはない)
そういう意味で俺と先生はなるほど“似ている”だろう。
ただ黒翼が既に存在する分、先生とは少し違うが。
とりあえず先生が俺の正体に気付いてるのかハッキリさせねば精神衛生上よろしくない。
「……先生」
「はい」
「先生は、俺を似てるって言いましたよね。俺もその、何かの混血なんですか?」
汗が滲む。
「というか俺は何なんですか? 白い羽根は先生のと似てたから天使と言えなくもないです。
けどもう片方は白いのと同じ形だけど色が違う。黒だ。これは堕天使ってやつなんですか?
じゃあ腕は? やったら刺々しい化け物みたいな腕は天使? 堕天使?」
正直、吐きそう。
当然、先ほど先生が言ったアイデンティティの問題ではない。
どこまで知っているのか何を知っているのか。それを慎重に探らなければいけないという緊張感ゆえだ。
「まず答えられる方から。混血かどうかというならはいその通りです。
天使と堕天使、そして悪魔の力が君には宿っているようですね。血の濃さからして恐らくはハーフかと」
修羅場潜ってるだけあってまるで表情に出ない。
「じゃあ親父かお袋が」
「いえお父さんは違うでしょう。スーパーでお会いしましたが純粋な人間でした」
禿ぇ! いや分かってたけどこうして言葉にされるとね。
あの禿マジでムカつく。何自分だけ安全圏にいるんだよ舐めてんのか。
「明星くんのお母さんは」
「……はい。俺が小さい頃に」
「でしたら確かめる術はありませんがもしかしたらお母さんが、そうなのかもしれません」
「人間じゃない、と?」
「はい。ただ私にも明星くんの血に混ざる人ならざる者の正体が誰なのかなどは」
んあぁああああああああああああああああああああああああああああああああ!
もどかしい! どっちだ? どっちだこれェ!? ストレスで禿そう! 親父になっちゃうぅうう!!
「……仮に、仮にですよ」
呼吸が乱れる。それでも更に深く斬り込む。
だってここでハッキリさせないとマジでこの先、辛いから。
「お袋も人間だった場合、俺と親父は……」
「……」
このシチュで教え子にここまで言わせたんだ!
もうちょっとこう、ポーカーフェイスを崩してもええんちゃうか!?
いやもう胸が痛くてしょうがないんだよ! 相手の良心に訴えかけるような真似するのマジで辛ェ!!
「その可能性も、あるでしょう」
これでも崩れない! 読めない! 年季が違う! クソァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!
俺にギャンブル漫画の主人公並みに人間観察力があればぁ……お、おのれぇえええええええええ!!!
みっともない悪役みたいなことを心の中で叫んでいると、
「え、あ」
甘い香りが鼻を擽り柔らかな感触が俺を包み込んだ。
抱き締め、られてる?
「もし、そうだとして」
「せん、せい?」
「そのせいで明星くんがどうしようもない孤独を突きつけられたとしても」
表情が見えない。先生、あんた今どんな顔してんだ?
声は聞こえるが声色には優しさが滲むだけで全然……全然わかんないよォ!!
「あなたは一人じゃありません。他の誰があなたを否定したって」
ハーフゆえの葛藤を乗り越えた先達としての言葉なのか。
深い関係性で結ばれた間柄であるがゆえなのか。
しかし答えは直ぐ、判明した。
「――――私がいます。ずっと、ずっと傍にいます」
だって私はお姉ちゃんだから。
極限の集中状態ゆえ小さな、本当に小さなその呟きを拾い上げてしまった。
お姉ちゃん、お姉ちゃん……ああ、そうと言えなくもない。そうと言えなくもない間柄だ俺たちは。
直接ではないがいとこで、尚且つ似たような背景があるというのであれば俺を弟のように思っても不思議ではなかろう。
つまり、
(言えねえわ! 答え分かったけど言えねえわ!)
俺のアホみたいな生い立ち話すの!? 心の底から俺を慮り寄り添おうとしてくれるこんな善人に!?
ここまで言わせた上でそんなの……無理無理無理! 絶対無理ィ!!
(は、は、禿ェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!!!!!)
俺は腹の底から親父への怨嗟を叫んだ。