悪い奴だぜルシファー… 4
人生を変えた大きな出来事は?
そう問われたら私は先ず小学四年生の頃に訪れた運命の出会いを揚げるだろう。
故国、というより欧州にはいられず色々と“緩い”日本に渡って数年。
母子家庭で働き手は母一人ということで私の家はあまり裕福ではなかった。
それでも私は恵まれている。母は優しかったし素晴らしい隣人にも恵まれた。
親友のカナちゃんやそのお母さんは私のことを何かと気にかけてくれた。
『ミアちゃんは漫画が好きだったわよね? 捨てるのも勿体ないし貰ってくれないかしら』
カナちゃんのお兄さんが社会人になり家を出たことで色々荷物を処分することになった。
その中にはもう読まなくなった漫画も含まれていてただ捨てるのも勿体ないからとおば様は貰ってくれないかと言ってくれた。
当時の私は気づかなかったが……まあ口実だろう。別に処分しなくても問題はないのだから。
私は男の子が読むような少年漫画が好きだったので大喜びで受け取り連日、読み耽っていた。
――――その中にアレがあったのだ。
表紙は大判コミックのものだが中身が違った。
恐らくカナちゃんのお兄さんがカモフラージュに使っていたのだろう。
そしてそれを忘れたまま放置し紛れ込んでしまった。
中身はエッチな漫画。内容は姉弟のおねショタもの。
凄まじい背徳感を覚えながらも私はページをめくる手を止められなかった。
読み終えた後の言い知れぬ不安と満足感は今でも覚えている。
それから母の目を盗み幾度も読み返している内に……フフフ。
あのエッチな漫画は今でも大切に保管しているぐらい私にとっては特別なもの。
そう、言うなればミカエラ・アシュクロフトにとっての運命の一冊というべき代物なのだ。
『……ッ』
だからこそ彼を初めて見た時、衝撃が走った。
明星次郎。私が今年から受け持つ生徒の一人だ。
彼はあの漫画の中で特にお気に入りの話の男役を想起させた。
まあ外見年齢には差異がある。
外見、と前置きしたのはエッチな漫画のお約束的に登場人物は皆、18歳以上だからだ。
ともかく見た目は明星くんの方が育っているが言うなれば……そう、雰囲気。
あくまで私の感性によるものだが二次元のあの男の子が三次元になり成長すればあんな感じになるのでは?
そう思わせる空気を彼は纏っていた。とは言え私も聖職者。
顔も知らぬ尊敬する父に恥じぬ行いはできないので直接どうこうする気はない。
それでも教師と生徒の枠組みの中でめいっぱい仲良くなりたいなと思うことは許されるだろう。
とまあそんな感じで下心を秘めつつ接していくうちに私は明星くんに親しみを感じ始めていた。
もし自分に弟がいればこんな感じなのかな、と更に興奮した。
正直に告白すると高2の半ばぐらいからならセーフだろうなどとも思っていた。
あちらも私のことをそういう目で見ている節があるしいけるかな、と。
――――だからこそこんな事態は想像もしていなかった。
(こ、これは……)
明星くん桐生くん如月くんの仲良しトリオの帰りが遅いと様子を見に行けば廃墟が迷宮化していた。
下手人には直ぐ思い至った、迷宮狂いだ。
何故という疑問はあったが速やかに救出せねばと少々無茶をして迷宮の外殻に穴を開け侵入。
奴の気配を辿り割って入ったまでは良いが明星くんの姿を見て私は本気で動揺した。
あちらも私を見てこれでもかと目を見開いているがその驚きは当然のこと。
彼は素人だ。裏の人間特有の気配をまるで感じないしこの状況に巻き込まれて力に覚醒したのだろう。
ただでさえ訳の分からない事態だというのにエッチな目で見てる先生が背中から天使の羽根を生やして突っ込んできたのだ。
これで驚くなという方が無茶だろう。だが私のそれは違う。
超常の力に目覚めたことは良い。問題はその力の背景だ。
(間違えない。私が見誤るはずがない)
あの力は紛れもなく堕ちた明星、悪魔王ルシファーの系譜だ。
面識はない。姿形さえ知らない。しかし私に流れる血が輝ける闇の力を教えてくれる。
しかもこの濃さ、先祖返りとかそういうレベルではない。親子レベルの近さだ。
私自身がそうだから断言できる。
(……明星くんのお父さんは人間だったからお母さん? 確かお母さんは既に鬼籍だと聞いた覚えが)
何を目的として女に化けて人間と子を成したのだ?
いや明星くんのお父さんが実の父親ではない可能性も?
「千客万来! 歓迎するぜ! と言いてえとこだがテメェ」
迷宮狂いの声で我に返る。
そうだ、今はこちらに集中しないと。考え事は後で良い。
「――――監視者か?」
「おや、ご存じでしたか」
代理戦争には基本的に人も人外も当事者以外はノータッチだ。
しかし明確に人や世界に害を成す存在を看過することはできない。
ダークサイドのプレイヤーが一般人などに仇成すことがないよう掣肘する組織、それが監視者だ。
「流石に木っ端まで把握しちゃいねえが有名どころぐらいはチェックしてるさ」
迷宮狂いは油断なくこちらを見つめながら言う。
「パッキン巨乳で六枚羽根の天使とくりゃあミカエラ・アシュクロフトしかいねえだろ。
熾天使ミカエルと人間の間に生まれた赦されざる天使。お目にかかるのは初めてだが中々どうして」
そう、私はミカエルの娘だ。そしてミカエルはルシファーの弟。
なので明星くんとはいとこ同士ということになる。
つまり、
(――――私はお姉ちゃん?)
関係性だけを抜き取ればそう、親戚のお姉ちゃん。実質姉弟。
この子、私の弟じゃないか?
自然と力が湧きだし聖なる風が吹き荒ぶ。
迷宮狂いはそれで勘違いしたらしく両手を挙げながら言う。
「まさか赦されざる天使が教師でそいつが教え子とは……わっかんねえもんだ。
OK。そのガキは見逃そう。だが残る二人は別だ。奴らはプレイヤーだからな。
俺は確かにダークサイドの人間だがプレイヤー同士の争いにウォッチャーが干渉するのはルール違反。そうだろ?」
……それは、その通りだ。
迷宮狂いの目指す偉業は世界の秩序を乱すものではある。
だが私たちが直接干渉できるのは奴を阻むプレイヤーがいなくなってから。
それまでは現行犯で悪行を犯している場面にでも出くわさない限りは動けない。
とは言え桐生くんと如月くんも私の生徒。屁理屈でも良い。何か口実を……。
「――――待った!!」
「……明星くん?」
焦る私の思考を遮るように明星くんが声をあげた。
「先生、飛鳥と了はおかしなプレイヤーだ」
「……おかしなプレイヤー?」
ちっ、と迷宮狂いが舌打ちを一つ。
どうやら付け入る隙はあるようだ。
「ああ。奴はご丁寧に代理戦争とやらの話をしてくれたんだが飛鳥も了もそんな話は初耳だった」
「……何ですって?」
代理戦争の仕組みを考えればそれはあり得ない。
考えられる可能性があるとすればプレイヤーになった記憶を消した?
いやそんなことをしても意味はない。不利になるだけだ。
「力にも目覚めたばかりで契約者であるはずの悪魔の存在すら認知してねえ。
一応、刻印? ってのはあるみたいだがだとしてもこれはおかしいことだ。
それはそこのクソ野郎も認めた事実。先生は多分、代理戦争を外部から監視する組織の人間か何かなんだろ?
これは明らかな異常事態だぜ。もし二人が契約した事実を忘れてるならセーフだがそうじゃないなら」
当事者の意思を無視してプレイヤーに仕立て上げられたということ。
前例のない事実だ。似たような被害者が出る可能性がある以上、ウォッチャーとしては見過ごせない。
「やるじゃねえか小僧。いや、分かってはいたさ。あんなやり方で隙を作ろうとするぐらいだからな」
肝が据わっているのは分かっていたと迷宮狂いは笑う。
「だとしても非常識の連続で混乱しきりだろうによく的確な一手を選べたもんだ。
業腹ではあるがここはお前に免じて手を引こう。だがその前に、名前を教えてくれや」
明星くんは少し逡巡したものの、真っ直ぐ迷宮狂いを見つめ名乗りを上げた。
「明星次郎」
「次郎、ね。OK。お前とはまた出会うこともあるだろう。そん時を楽しみにしてるよ」
じゃあな! と迷宮狂いの姿がかき消え廃墟のダンジョン化が解除された。
「……舐めやがって」
ギリリと歯を食い縛るその姿を見て不謹慎だが、その……。
(あぁ、男の子って感じ。か、可愛い……!!)
胸がトキめいた。
「ってそうじゃねえ! 先生、飛鳥と了が! 怪我してて!!」
「ええ、直ぐに向かいましょう」
状況から察するに二人の絶体絶命の危機に覚醒し身を挺して迷宮狂いを引き離して戦っていたという感じだろう。
ああ良い……良いですねえ……。
内心を悟らせぬよう表情を引き締め二人の気配がする方へと急行する。
「み、ミア先生……だよ、ね? え、は?」
「……頭がどうにかなりそうだ」
明星くんと同じく動揺しているようだが体が痛むのか顔を顰めている。
「事情説明は後で。まずは傷を治しますね」
二人に手をかざしヒーリングを発動する。
数分ほどで治癒完了。桐生くんも如月くんも目を白黒させているが当然だろう。
(……明星くんの言葉を信じていなかったわけではありませんが)
本当に二人は何も知らないようだ。
いや明星くんと同様に彼らからは裏の人間特有の気配を感じてはいなかったが……。
それでもプレイヤーという事実からすれば偽装の可能性もなくはなかった。
しかしこうして直に観察してみるとやはり明星くんの言葉が正しかったことを確信できた。
「一通り治しましたがどうでしょう?」
「は、はい。大丈夫です」
「同じく。しかし先生、これはどういうことなんでしょう?」
なるべく早く帰って事情説明は後日、といきたいところだが……。
(まだ明日の予定もありますからね)
親睦会はまだ続くのだ。
モヤモヤを抱えたままでは楽しめないだろうと判断し私はある程度の説明を行うことにした。
「皆さんが先ほど対峙していた男と同じく私も裏の人間です」
と言っても教職は偽りの顔というわけではない。
本業はこちらだと思っている。裏での活動はボランティアのそれに近いだろう。
「裏の世界に法の光は届かずそれゆえ悪事に走る輩もそう珍しくはありません」
「先生はそういう人らを取り締まる自警活動のようなものをしているという認識で合っているか?」
「ええ、その認識で構いません。如月くんが言う自警活動の一環として代理戦争にも噛んでいましてね」
監視者の立ち位置とその役割を軽く説明する。
「……待って。じゃあこれアウトなんじゃ」
「先生、俺たちに肩入れして大丈夫なのか?」
ここで私の心配をしてくれるのだから本当に良い子たちだ。
「ふふ、大丈夫ですよ。おと……明星くんのお陰です」
「「次郎の?」」
「機転を利かせて迷宮狂い――あの男を退かせたのは明星くんなんです」
と明星くんの活躍を語って聞かせる。本当に誇らしい。自慢の弟ですよ、ええ。
「そっか……改めて御礼言わなきゃだね」
「機転を利かせてくれたこともそうだがそれ以前に」
「バーカ。先に体張ったのはお前らだろ。一方的に恩感じてんじゃねーよ」
どっちもありがとうで良いだろと笑うマイブラザーめっちゃ良い子じゃないですか。
「とりあえず後日また色々と話をしなければいけませんが」
「分かっている。流石にそろそろ戻らねばまずいだろう」
では戻りましょう、と歩き出そうとするが……弟くんが動かない。
「「次郎?」」
「どうかしましたか?」
そう問えば彼は気まずそうに目を逸らしながらぽつりと呟く。
「あの、ごめん……これどうやって仕舞うのかわかんない……」
白と黒の翼が悲し気にしおれていた。