ちが、そんなつもりじゃ…… 3
引越しバイト二日目。
今日も坂田さん正子ちゃんと一緒に新天地へ向かう誰かの応援に臨んだ。
一日一緒にやって勝手も分かったから昨日よりもスムーズに仕事は進んだ。
次のバイトがあるということで正子ちゃんは途中で抜けてしまったがそれはそれ。
新しく他所から増援で来た大学生の兄ちゃんとも楽しくやれたから問題はない。
かなり依頼が立て込んでいたようで昨日よりも上がりは遅くなったが楽しくバイトができた。
そして仕事終わり、
「お待たせ兄様!」
午後七時。自宅には戻らず最寄り駅で待っていたら依頼帰りのレモンがやって来た。
まー、何だ。実兄と言うには距離は離れてるがそれでも親戚ぐらいの近さはあるわけじゃん?
だったら妹分に飯でも奢ってやるのが兄貴分としては当然かなって。
ちなみに先生も誘ってみたんだが裏の仕事で東京を離れるらしく残念そうに断られた。
「おう、お疲れさん」
「兄様もお仕事お疲れ様」
左腕に絡みついてきたレモンにちょっとドキっとするも表には出さない。
やっぱ女の子ってええ匂いするのう……。
「サンキュ。さて、じゃ何食いに行くよ?」
「何でも良いわ。兄様の好きな物にしましょ?」
ニコニコ本当に嬉しそうだな。
遠慮というより言葉通り俺の好きな物が食べたいのだろう。
でもいざ好きな物って言われても困るよな。好物かなりあるし。
(予算的には昨日今日でかなり稼いだから高級フレンチとかでもない限りは大丈夫だが……)
そもそもフレンチとか食べたことないけどな。
とりあえずそういうのは除外して何が良いかを考える。
「とりあえず繁華街ぶらつきながら考えるか」
「うん!」
腕を組んだまま夜の街に繰り出す。
どうでも良いけど傍から見たら完全にファンの子食ってるバンドマンにしか見えねえなこれ。
俺ら揃って見た目が完全にそっち系なんだもん。
「なあ、気になってたこと聞いて良い?」
「ええ。何でも聞いてちょうだい。兄様の問いに答えないという選択肢は私にはないわ」
それがどんなものであろうとも、という言葉があまり重い。
(自己肯定感低め女子の業を感じるぜ……)
何っ、つーか悪い男に引っかからないか兄貴分としては心配だわ。
ちょっかい出すアホいたらマジにシバき上げてやらんとな。
まあレモンのが俺より強いんだがなブヘヘヘ。
「魔界ってどんなところなん?」
「魔界?」
「ああ。俺の貧弱なイメージだとこう、見渡す限りの荒野っつーの?」
草木も生えない寂びれた大地と常に暗いってイメージなんだよな。
「実際のとこどうよ?」
「そうね。まあそういうところもないわけではないけれど」
ああ、やっぱりあるんだ。
「ただ私たちも生き物だから集団がいる場所は人間界の街とそう変わりはないわ」
飲食店や娯楽施設も普通にあるとのこと。
「特に近年、ここ二、三百年は人間界の文化が浸透してるわね」
悪魔と契約して死後を譲り渡した人間が主に広めているそうな。
うん? でも悪魔に魂売り渡すような人間は昔っからいたんじゃねえの?
「何だっけ。時よ止まれとかバトル漫画に出てきそうな台詞で有名な人とか」
「ファウストね。ええ、勿論大昔から悪魔と契約する人間はいたわよ」
変わったのは悪魔側の意識なのだという。
「ほら、悪魔って人間を相手にする商売でしょう?
昔の凝り固まった価値観のまま接してると人間側が話すら聞いてくれないことも多いの。
幾ら人間の欲望は際限ないとはいえ嫌な相手と取引をしたくないのは当然のこと」
友好的接触が行えるよう価値観をアップデートする必要があるのだという。
その中で悪魔側にも意識の変遷が起きたのだとか。
飴玉を転がすように手に入れた魂を嬲って楽しむよりもっと楽しいことがある。
「人間が生み出す娯楽の多様性は人外のそれとは比べ物にならないもの」
文化の代謝が鈍いのは長命種の弱点だからとレモンは苦笑する。
「悪魔の暮らしを豊かにするために契約した人間を使おうってか」
「そ。ある意味人間側にとってもプラスと言えるわね」
実質セカンドライフのようなものだしな。
「そんなわけで今、悪魔の中じゃ漫画やゲーム制作者なんかのクリエイターが標的として人気なのよ」
良い作品を作るために必要な閃きを与える代わりにってか。
なるほどねえ。話を聞いてると魔界も楽しそうじゃねえの。
「いつか俺も……む、ええ匂い……これは中華か?」
匂いの元を辿ると高級というほどではないが町中華よりも本格的なお店を発見。
ここにしようぜと提案するとレモンはうん! と言ってくれたので二人で入店。
幸いにして待ち時間もなく個室もある店だったのでそっちに通してもらった。
「魔界の話に戻すけどさ。そういう感じなら学校とかもあるわけ?」
「兄様が想像するような感じとは少し違うけれど学舎はあるわね」
注文を終え再度、魔界の話を聞いてみる。
悪魔の学校では契約を取るために必要な人間界の知識について学ぶとのこと。
「レモンも行ってたのか?」
「私は一応、貴族の娘だから家庭教師だったわ。……義父様は特に知を重んずる方だし」
この国の最高学府に入れるぐらいの教育は施されているとのこと。
つまりは俺のン十倍頭が良いってことか……泣けるぜ。
「あー、そうか。じゃあレモンは学校行った経験ないんだな」
「……ひょっとして私に学校へ行かないかって話かしら?」
察しが良いなオイ。
「まあ、うん、そうだな」
人間の価値観ゆえの押し付けかもしれないが学校ってのは良い場所だと思うのだ。
人間関係を比較的イージーに築きやすい環境っつーのかな。
そりゃイジメとかがあるとこもあるだろうけどさ。
そこらに関してはレモンなら大丈夫だろうし?
「その、何だ。友達とかできたら……あー」
「ふふ、兄様は本当に優しいのね」
お前のネガティブも少しはマシになるだろうって言ってくれれば良いのにと笑う。
いやまあその通りだけどさ。
俺が受け入れたことで少しはマシになったがレモンはまだまだ自分を認められずにいる。
だからコイツを大切にしてくれる友達ができたら更に良い方向に向かうんじゃないかってな。
「……余計なお世話だって自覚はあるし嫌なら無理にとは言わねえよ」
一考してくれるだけで十分だ。
「……そう、ね。正直、兄様が考えているような理由ではあまりピンと来ないわ」
だろうな。
そこでポジティブに考えられるならそもそも自分を嫌いにならないっつーね。
「でも、別の理由なら悪くはない……かも」
「別の理由?」
言うべきか。言って良いのか。
おどおどした不安が見え隠れしていたので努めて優しく先を促した。
「う、うん。その、私が学校に行ったら……兄様、お話、聞いてくれるわよね?」
不安そうにレモンは言った。
(ああ、そういうことか)
レモンはこれまでずっと孤独の中に居た。
温もりに餓えている。生まれて初めて自分を認めてくれた他人が俺なんだ。
もっといっぱいお喋りとかだってしたいんだ。
けどどうしたってネガティブが顔を出して二の足を踏んでしまう。
俺に迷惑なんじゃないかとかな。
俺からすれば杞憂以外の何でもねえがこればっかりは当人の意識の問題だ。
レモン自身も頭では理解しているのだろう。
けど分かってたって上手くいかないのが心ってもんだ。
だから口実が欲しかった、と。口実があれば重い足も少しは軽くなるからな。
だったら、
「……そうだな。勧めた側としてはコマメに報告してくれるに越したことはねえわ」
どんな些細なことでも良い。
特別な報告なんていらない。
アイツがムカつくとか授業クソつまんねえとかそういう他愛のない話でも全然構わない。
何を感じてその日を過ごしたのか教えてくれると嬉しい。
俺がそう言うとレモンは安堵したように表情を緩め頷いた。
「……うん。元々ババ――アシュクロフトにも打診されてたし前向きに考えてみる」
今ババアつった?
ツッコミかけたが寸でのところで飲み込む。
同じ混血つっても天使と悪魔で水と油だからなあ。
ダークさで言えば純正ルシファー産の俺のが上だけど俺は人間として育ったからレモンとは違う。
悪魔としての意識もなければ天使、堕天使としてのこだわりも皆無。
(種族の違いってのは難しい問題だぜ……)
無礼を咎めるべきなのだろうがレモン相手に俺が叱るのはまだちょっと……って感じ。
まあでもミア先生なら大丈夫だろう。
一緒に暮らしてるんだからそこらの問題も把握してキッチリ叱ってくれてると思う。
子供相手だから目くじら立てず寛容な心で見守っているはずだ。
(だったら俺が飴、先生が鞭って感じで役割分担するのが吉と見た)
ちょいと申し訳なくはあるが甘えさせてもらおう。
「お、注文が来たな。食べようぜ」
「うん!」
すきっ腹を刺激する香り漂う料理の数々は見ているだけで毒だ。
これを薬にするためにはさっさと口の中に放り込まねば。
「うっま!?」
まずは油淋鶏から手をつけた。
名前は聞いたことあるけど食べたことなかったから頼んでみたがやばい。
そりゃタレつきの唐揚げみてえなもんだから外れはないだろうとは思ってたけどさ……。
醤油ベースのタレにガツンと効いたニンニクが肉体労働で酷使された体に染みる染みる。
(……あれ? 揚げてるのは日本式だか台湾式だっけか? 本場はまた違うんだった?)
まあええわ。美味けりゃそれで良い。
炒飯が進む進む。何かこれだけで幾らでも食べられるんじゃないか?
「お値段以上のクオリティだわ」
レモンの舌にも合ったようで何より。
「ってか今気づいたけどお前、大丈夫なの?」
「? 何がかしら」
「いやほら、食文化っつーか」
おもっくそアジアんな飯なわけじゃん?
西洋風のお上品なものばっか食べてたであろう子に油と刺激たっぷりの食事はどうなのか。
そこらまったく考えてなかったわ。空腹だと思考が鈍るんだな。
「ふふ、問題ないわ。確かにこういうものとは縁がなかったけれど」
そもそも毒とかだって食べるのだから何の害もない料理を受け付けないことはないとのこと。
「待って毒とか食うの? え、虐待?」
「いやそういうことではなくて……普通に悪魔の文化なのよ」
害あるものを好むのは悪魔の習性なのだという。
その一環で猛毒を調味料として使うことも普通にあるとのこと。
「うへぇ……魔界で飯は食いたくねえなあ……」
「大丈夫。庶民の間では廃れ始めてる文化だし」
ああ、人間の娯楽云々の話があるもんな。
(……あれ、じゃあ親父もそうなのか?)
今度から毒とかトッピングしてやったら喜ぶのかな?
でも俺毒に詳しくねえんだよな。
毒殺系のミステリー小説読んで勉強するか。裏なら毒の入手も容易いだろうし。
「それよりねえ兄様。私、兄様のお話も聞きたいわ」
「俺の?」
「うん。改めてこういう場を設けてくれたのだし……駄目、かしら?」
「いや良いぜ。つっても俺ぁ平々凡々な人間だからな」
そう大した話はできねえぞと言うとレモンは何とも言えない顔をした。
ルシファーの息子だってことを知ってるレモン的にはそうなるよねっていう。
今のは俺も悪かったわ。
「で、何聞きたいよ?」
「えっと、そうね。昨日今日とアルバイトをしていたのでしょう? ならその話から聞いてみたいわ」
「OK。俺が見事飛鳥、了に勝利した話だな」
「え、何でアルバイトでその二人が?」
「それを説明するには夏休み前の話からする必要があるな」
楽しくお喋りをしながらレモンとの食事は進んでいった。
腹も心も満たされ会計を済ませる頃には結構良い時間になっていた。
まだ全然遊べはするが……あんま夜遅くまで出歩かせるのもな。
腹ごなしにブラつきながらそんなことを考えていたが、
「……」
ふと隣のレモンを見ればどこか寂しそうな顔。
もう少しでさよならしなきゃいけないのが辛いのだろう。
(……今日はミア先生も帰って来ないらしいし)
良いよな?
「よぉレモン。お前この後、予定あるか?」
「え? 特にはないけど」
「じゃあ俺ん家来いよ。うちも禿いねえから一人で寂しいんだよ」
どうせなら一晩付き合ってくれと俺が言えばレモンはパァっと表情を明るくさせた。
「ええ! ええ! 喜んでお付き合いさせて頂くわ!」
ま、偶にはこんな日があっても良かろうよ。