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まがい物の星 8

 三歳の誕生日に義父様は私が本当の娘ではないことを告げた。

 続けて、


『君はさる高名な御方の血を引く悪魔なのだよ』


 高名な御方? とおうむ返しに問うと義父様は薄い笑みを浮かべたまま言った。


『明けの明星、ルシファー。つまりは魔王閣下だね』


 魔界でその名を知らぬ者は皆無だろう。

 しかし魔王は私が生まれる数年前に姿を消したはずだ。


『行方を眩ませたはずの閣下がこれまた突然に私の下を訪れてね。

抱いていた赤子を私に預け言ったのだよ。これは私の娘だ、そなたに養育を任せるとね。

いやはや閣下の唐突さには何時も困らされていたが一番の衝撃だったよ。

姿を消した理由も君を作った理由も話さず子どころか妻さえ持たぬ私に押し付けてきたのだから』


 理由は今を以ってしても分からない。

 だが、私にはその血に恥じぬ生き方をする義務があると義父様は言った。

 私は高揚した。義父様の実子ではないことにショックを受けたがそれ以上に我が身に流れる血を誇った。

 実父と義父に恥じぬ悪魔になろうと、強く決意しその場で誓いを立てた。


『結構』


 それから私は血の滲むような努力を積み重ね続けた。

 その甲斐あって十を数える頃には上位に食い込めるかというほどの力を身に着けた。

 貴族と呼ばれる強大な悪魔の血を引く者の子らでさえ十年程度ではここまで強くはなれまい。

 私は改めて己に流るる魔王の血を誇った。


 ――――誇りをくれたのが義父様なら誇りを奪ったのも義父様だった。


『な、何!?』


 一年ほど前のことだ。

 誰もが寝静まったような時間に肝が凍てつくような魔力の発露を感じ私は目を覚ました。


『と、義父様……?』


 オルターク・ヤッキーノは誰恥じぬ大悪魔である。

 その力と知恵は七十二柱の悪魔たちとも渡り合えるほどだ。

 だが穏やかな気性の持ち主で揉め事を起こすようなことはまずない。

 その義父様が明らかに怒っている。一体何が起きたというのか。

 急いで寝所を出て父の私室へ走った。


『貴様、よくもまあそのような侮辱を……!!』


 ドアの隙間から見えたのは顔を憤怒で塗り潰した父と床に尻もちをつく見知らぬ悪魔の姿。


『ぶ、侮辱? な、何を言っている私は……』

『言うに事欠いて流石はルシファー様の血だと? ふざけるなよ貴様ァ!!』


 ルシファー様の血、という言葉で私のことを指しているのだと理解した。

 だがそれの何が父の逆鱗に触れてしまったというのか。

 その答えは想像だにしない……残酷なものだった。


『人間の血を混ぜれば或いはと思ったが出来上がったのは酷くつまらぬ出来損ない!

少し使える程度の駒。真の明星からすれば語るに及ばぬ塵芥ァ!!

魔王の血ゆえの傑作だなどとは口が裂けても言えぬわ愚か者!!!』


 罵倒をぶつけながら手酷く見知らぬ悪魔を痛めつける義父様。

 私は少しの間、その光景を呆然と見つめていたがハッと我に返り……逃げ出した。

 出来損ない、失敗作。その日、これまで私を支えていたものが全て砕け散った。

 それでも、ああそれでもだ。打ちひしがれながらも私は諦めなかった。

 魔王の子ではないとしても今以上に努力を続ければいつかきっと……。


 ――――そんな淡い期待も“本物”の出現で呆気なく打ち砕かれた。


(認めない! 認められない! 認めてなるものか!)


 ああ、確かに目の前の男は本物の継嗣なのだろう。

 だがどうだ? 弱い。私よりもずっと弱い。

 ただ本物であるというだけの男と、偽物であっても本物以上を目指す私。

 どちらが価値ある存在かなど明白じゃないか。


(これで……これで、終わるッッ!!)


 軋む心を叱咤し顔を俯かせ辛うじて立っているだけの本物の心臓を抉らんと右手を突き出す。

 が、


「な!?」


 どこにそんな余力が残っていたのか。手首を掴まれ阻まれてしまう。


「こ、このくたばり損ないが……!!」


 腕を振り払おうとするがぴくりとも動かない。

 ならばと左手から魔力を放ち吹き飛ばそうとするがそれより早く奴の手が私の左手を掴んだ。


「……くたばり損ない、か。仰る通り。だがこのままくたばるわけにはいかんらしい」


 ぞわりと全身の毛穴が開くような悪寒が駆け巡る。


「お前が何者なのか、何で俺を狙ってるのか、分からんことだらけだ」


 でも、と奴は顔を上げた。


「一つだけ分かることがある」


 爛々と紅く輝く瞳が私を射貫く。


「このまま殺されちまえばお前はますます“良くない方向”に行っちまう」

「き、利いた風な口を! あんたに私の何が分かるのよ!? 私は、私は義父様に……!!」

「ああ、まったく見当違いのことを言ってるのかもなあ」


 クツクツと喉を鳴らし私を見下すように奴は言う。


「始める前にも言ったが論点ズレてんだよお前」


 やめろ。


「重要なのは“俺が”どう思うかだ」


 やめろ。


「俺が死ねばお前が今よりひでえツラになる。それが俺には気に喰わん」

「その傲慢な物言いをやめろ!!」

「だから死ぬのは止めた。お前を倒すと決めた」


 拘束が緩んだ隙を突いて距離を取り魔力を砲として放つ。

 が、届かない。触れる寸前で全霊の一撃は霧のように散らされてしまった。

 そんな私を嘲笑うように星の如き黄金に輝く魔力が奴の全身から噴き出す。


「……今ならやれそうだぜ」


 両手を広げると同時に背中の一対二翼が三対六翼へと変化する。

 荘厳な白と黒の六枚羽を強く羽ばたかせ奴は天へと舞い上がった。


「【疑似天体創造・窮星雨】」


 世界が妖しく煌めく星空に塗り潰された。


「【堕ちろ】」


 星が、降り注ぐ。


「あぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」


 文字通り、私の全てを振り絞って護りに徹する。

 降り注ぐ星の雨は情け容赦なく、そして泣きたくなるほど美しかった。

 十秒か一分か、もっと時間が流れたのかもしれない。

 雨が降り止んだ。私はまだ立っている。でも、もう指一本も動かせやしない。


(嗚呼……これが、本物……)


 理解した。させられてしまった。

 望めば望むだけ手に入ってしまう。なるほど、義父様が私を出来損ないと呼ぶのは当然だろう。

 弱者のせせこましい努力を嘲笑うような美しい傲慢。これこそが明けの明星なのだ。


「ぇ」


 殺しなさい、負けを認めて死を受け入れようとした。

 だが私の言葉を遮るように温かい何かが私を包み込んだ。

 抱き締め、られている?


「逃げちまえ」


 泣きたくなるような優しい声で彼は言う。


「捨てちまえ」

「なに、を」

「そこに居たって辛いだけで一生、自分を好きになれやしねえぞ」


 彼は私のことなんて何一つ知りはしない。

 きっと、感じるがままに言葉を紡いでいるのだろう。


「……でも、私には他には何も! 何も!!」


 行きたいところも帰るべき場所もない。

 そこで生まれて、そこで生きていくしかない。


「なら俺んとこに来りゃ良いさ」

「あなたの、ところ?」

「ああ」


 それは何よりも甘美な誘いで……だからこそ寸前で踏み止まれた。


「わ、私は!!」


 抱擁を振り解き、


「あなたを誘き寄せるために人を殺したのよ! 三人も!!」


 温もりを遠ざけるように叫ぶ。


「ククク」

「な、何がおかしい!?」

「――――人を殺めたことを罪であるかのように言うんだな」

「ッ」

「三人も、だなんて悪魔の言葉か?」


 彼は指鉄砲を作り私を撃つ仕草をしながら告げる。


「そもそもお前、殺してねえだろ」


 心臓が跳ねた。


「宣戦布告してから一か月も何してたんだって話だよ。

資料を読んだ時はさして気にも留めてなかったが被害者は身寄りのないここ最近入ったバイトなり派遣らしいな?

しかもそいつらは夥しい血液と肉片だけで遺体が残ってなかったとくらぁ。

俺を誘き寄せるために下っ端悪魔を化けさせここに潜り込ませて自作自演でってとこなんじゃねえの?

建前は露見した後で同盟やウォッチャーに付け入る隙を与えないためだとか……大方そんなとこだろ」


 言葉に詰まる。

 悪魔としては落第だから。悪魔らしく、魔王の娘として在るなら否定しければいけないのに。


「俺一人殺すのにあんだけ苦しそうにしてる奴が因縁も何もない奴を殺せるもんか」


 力なく佇む私の手を引き、彼は再度私を抱き締めた。


「もう一度言う。そんな苦しいだけの場所捨てて俺んとこに来い」

「ほんとの、ほんとに……良いの?」


 私は偽物で、出来損ないで、それでも……それでも許されるのなら……。


「“俺が”そう決めた。誰にも文句は言わせやしねえ」


 軽い調子で、だけど力強く言い切ってくれた。

 もし、私に兄というものがいるのならこんな感じなのかもしれない。


「ま、ダチも師匠も俺の周りは良い奴ばっかだ。行く当てのないガキを見捨てるような奴ぁ一人も居やしねえけどな」


 あの日から絡みついていた泥が剥がれ落ちていくのを感じた。


「う、うぅ……あぁあああああああああああああああああああああああああ!!!」


 泣きじゃくる私を彼は、兄様は何も言わずに抱き締め続けてくれた。


「……少し、疲れた」


 私が泣き止むと兄様はそう言って静かに寝息を立て始めた。

 どうしたものかと迷ったがとりあえず体勢を変えて膝枕をすることにした。

 あどけない寝顔。これがルシファーの息子だなどと誰が想像するだろう。


「あ」


 ふと気配を感じて振り向くと兄様のお友達がこちらを見つめていた。


「えと」

「問題ない。事の成り行きは見届けさせてもらったからな」

「僕らとしても次郎が飲み込んだなら君に言うべきことはないよ」


 別に怪我も何もしていないからねと白髪……確か桐生が小さく笑う。


「ちなみに藤馬……迷宮狂いだが奴はもう帰ったぞ」

「そう」

「それより、だ。君に聞きたいことがある」


 桐生が兄様が寝ているのを確認し、神妙な表情で口を開く。


「……次郎がルシファーの子だというのは本当なのかい?」

「どうしてそれを」


 いや迷宮狂いか。

 奴に話をした覚えはないが契約者伝手で聞いていても不思議ではない。

 正直に答えるべきかどうか迷った。

 しかし彼らの目は心底から兄様を案じているように見えたので素直に打ち明けることにした。


「そうよ。私のような紛いものとは違う正真正銘本物の継嗣ね」


 二人は同時に顔を片手で覆い天を仰いだ。

 こうしてみると似てはいないがどこか兄弟のような息の合いっぷりだ。


「藤馬からお前が次郎を襲った動機についても聞いている。一応確認させてもらうが……」

「コンプレックスよ」

「……答え難いことを聞いてすまないね」

「別に」


 気にしていないと言えば嘘になる。まだ引き摺っているのは事実だ。

 でも兄様がこっちに来いと手を引いてくれて心が軽くなったのもまた事実だ。


「ちなみに聞くが何故、次郎に教えなかった?」

「冥途の土産に、みたいな流れで教えると思ってたんだけどね」

「私が認めたくないからというのもあったけど……義父様に口止めされていたからというのが一番の理由よ」


 自らを知るというのは殊の外、重要なファクターだ。


「己を知ることで魔王の血を強く目覚めさせることを危惧しての口止め、なんだと思うけど……」

「歯切れが悪いね。他に理由が?」

「いえこの事実を知っている悪魔の殆どはそうだと思うわ」


 だが義父様に関しては正直、腑に落ちない。

 義父様は代理戦争に参加する権利を行使してもいないし特定の誰かに肩入れをしているわけでもない。

 魔王の椅子というものに興味がないなら兄様が覚醒し代理戦争を破壊しても問題はないはずだ。


「厄介だな」

「うん」

「あの、あなたたちにお願いがあるのだけど」

「分かっている。次郎にこのことを教えるつもりはない」

「どうしようもなくなったら教えるつもりだけど……知らないならその方が良いに決まってる」

「……ありがとう」


 ほっと胸を撫で下ろす。

 兄様の存在を知ってから私はその周辺を徹底的に調べ上げた。

 嫉妬していたのは本物だからというだけではない。

 家族に恵まれ友人に恵まれ幸せそうに暮らしていることも妬ましかったのだ。

 ルシファーの息子であるという事実を知れば、兄様の日常は壊れてしまう。


「父親だと思っていた人がそうじゃないかもなんて、あんな気持ちになるのは私だけで十分だわ」

「……優しいんだね」

「身勝手な理由で命を狙った女にかける言葉じゃなくってよ」

「追い詰められた末の凶行、酌むべき点はあろう。まあ次郎が死んだなら話は変わったがな」


 ああそうか、気を遣ってくれているのか。

 私のためというのもあるが大切なお友達の選択を尊重するために私を受け入れる姿勢を見せてくれている。


「とは言えどうしたものかね。僕らだけで抱えきれる問題じゃないよねこれ」

「事情を知っているであろうミア先生とも一度話をしておくべきだろう」

「だよね。とりあえずここで延々駄弁ってるわけにもいかないしホテルに行こう」

「同行してくれるな?」


 頷き、私たちはコンビナートを後にした。

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― 新着の感想 ―
親父の事全部知ってんだわ、馴れ初めエピまで聞いてるんだわ
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