甘き夢見し 2
「ちーすはっつぁん、これ土産の豆な豆」
「ありがとうございます」
五月も半ばを過ぎたある日のこと。
俺は飛鳥と了が委員会を終わるまでの暇潰しではっつぁんと初めて出会ったあの公園を訪れていた。
平日のお昼から夕刻までは大体、ここにいるとのことで会う時はいっつもこの公園なのだ。
「しかし何だい。そろそろはっつぁんの本体とも顔を合わせてえなあ」
改めて自己紹介もしたいし、とバリボリ豆を食いながらぼやく。
裏のリテラシーというのも分かっちゃいるがちょいと寂しいという気持ちもあるのだ。
姿どころか名前も知らんのだよな。はっつぁんって呼んでるのも呼び名がないと困るからつけたあだ名だし。
この善人なら気持ちを汲んでくれるだろうという下心ありきの発言だったが、
「……そうですね。私もそうしたいのですが今の私はこの体から出られないんですよ」
返ってきたのは予想外の答えだった。
「え、ど、どーゆーこと?」
「詳細は話せませんが私は罪を犯しました」
反省はしているが自らの行動の結果として後悔はない。
毅然とそう語るはっつぁん。そこに嘘はないように思えた。
「その贖いの一つとして名を封じこの体に入って奉仕活動をすることを義務付けられているのです」
「そ、そんな事情があったのね。いやでも鳩の体で奉仕活動ってキツクね?」
ようは善行、人を助けろってことだろ?
確かに俺は助けられたけどさあ。
「それは言い訳でしょう」
あらやだ一刀両断。
「力なき小動物の体であろうとできる限りを尽くせば良いのです」
誰かを救いたいと願うその気持ちがあるのなら問題はないとはっつぁんは言う。
やべえ、超立派だよこの人……。
「……まあそういう事情でして申し訳ありません」
君は名も姿もこちらに明かしているのにと申し訳なさそうに頭を下げられる。
いやそういう事情があるのならしょうがないだろう。
「知らんかったとはいえゴメンよ。デリケートなとこ突っ込んじゃって」
「いえ。むしろ友人に今の今まで事情を語らなかった私の非礼が問題なのです」
「自分に厳しいのう……じゃあまあ、互いにゴメンってことで」
「君は優しいですね。ええ、ならお互いにすいませんということで」
ふふ、ははと笑い合う。
「最近、調子はどうですか?」
「ぼちぼちってとこかな。ダチ二人も実戦童貞捨ててそれなりに経験積み始めてるし」
飛鳥と了のことも代理戦争におけるイレギュラーであることは伏せつつ教えている。
一緒に裏の世界に巻き込まれた友達ってことで。
「俺も新しい力の使い方が何となく分かってきて……うん、わりとマジに順調」
「それは何よりです。しかし新しい力とは」
「……ああ。愛理ちゃんを殺した時に手に入れた炎さ」
ふとはっつぁんを見ると右羽根のあたりが傷ついていることに気付く。
ふむ、これは丁度良いかな?
「はっつぁんその傷は?」
「野良猫たちの争いを仲介している時についたものです。まあ大したことはありません」
「野生じゃ傷の一つが命取りだぜ?」
周囲に人の気配がないことを確認し悪魔の左腕を顕現させる。
そしてはっつぁんの傷口に触れるか触れないかぐらいの距離で手から炎を灯す。
焼き鳥にしようってわけじゃない。
「! これは」
一秒と経たず傷が完治したことにはっつぁんが目を見開く。
「これは助けたいって気持ちで性質を変える炎なんだ」
敵を倒すことで誰かを救う時はそのまま攻撃に。
誰かの傷を癒して救いたいという時は癒しの炎に。
他にも攻撃を阻むバリアのような使い方だってできる。
まあバリアの方は流石に絶対不可侵ってわけじゃないがな。
「……優しい力なのですね」
「ああ、これをくれた愛理ちゃんがとびきり優しい子だったからな」
愛理ちゃんの力そのままってわけじゃないが影響を受けているのは事実だろう。
「ちなみにこれ悪魔や天使の力とも組み合わせることができんだわ」
攻めの炎には悪魔の力を。癒しや守護、浄化には天使の力を混ぜてやると強さが更に増す。
「最初は単独で使ってたんだが先生がアドバイスをくれてな」
炎という形で力を発露するなら悪魔と天使どちらでも相性は良いだろうってさ。
「……なるほど。あなたの師は師としてしっかり指導をなされているのですね」
「おうとも。ただまあ、ちょっと過保護なきらいもあるけどな」
「……過保護、ですか」
「弟にだだ甘のブラコンお姉ちゃんっつーのかな」
いや俺に兄姉はいないんで想像でしかないんだけどさ。
裏関係だけじゃなく表の方面でも何かと俺を気にかけてくれて私的な場だとスキンシップも多い。
「別に嫌ってわけじゃないぜ? 美人と触れ合えて得だしさ」
「……」
「でもこうちょっと申し訳なさ? みたいなのを感じなくもないっていうか」
禿のことを隠してるって後ろめたさもあるがそれだけじゃない。
「先生もクッソ忙しいだろうに俺に構いまくってて良いのかなって」
「……」
仕事を疎かにしてるならそれはそれで問題だけどまあ幾分気は楽だ。
でも仕事も完璧にしてその上で俺の世話焼きまくるのは大変だろ。
「いやまあ理由は察せるぜ? 似たような境遇だかんな」
「……」
はっつぁんもミア先生のことは知ってたので話題にしても問題はない。
ミカエルの娘のネームバリューと赦されざる天使って二つ名はやっぱデカいわ。
「先生としても他人事には思えないんだろうよ。混血ってだけじゃなく家庭環境も似通ってるし」
「……」
父か母かどちらが欠けているかの違いはあるが片親だしな。
今はうちもお袋がメンバー復帰したけどそれまでは禿オンリーだったし。
「善人でその上責任感も強いときたらそりゃ気にしちゃうよねって」
「……」
「特にほら、事によっちゃ……な? 唯一の肉親である禿が本当の親じゃないって可能性もあるし」
俺は実の親だと分かってはいるが外から見ればそうなんだ。
ただでさえ重い背景を背負っている子供が安らぎを得られる家庭まで崩れかねないとなれば……。
先生の視点で考えるとマジで俺って不憫なんだよな。
「正直俺からすれば家族関係は別にって感じなんだけどな。
仮に禿が本当の親じゃなかったとしても俺にとっては立派な親父なわけで?
親父だって事情を知ってて黙ってるなら俺のことも息子だと思ってくれてるわけじゃん?
知らなかったとしてもその程度でガタガタ言うような小さい男じゃないって信頼もあるし」
仮に俺が親父のことを知らないまま今のような状態になっていたとして最終的にはこの結論に達しただろう。
たかだか十五年程度だがそれでも一つ屋根の下で暮らしてきた家族なんだ。
親父なら大丈夫と言い切れるぐらいの信頼はあるつもりだよ。
「じゃあこれを先生に伝えれば? って話だが」
変わんねえだろうな。
「客観的に見て俺みたいなんがそう言っても子供なりの強がりと受け止めるんじゃねえかな」
「……ソウデスネ」
「あとさ。これここだけの話なんだけど」
はっつぁんに顔を近付け小声で囁く。
どうでも良いけど鳩の耳ってどこなんだろう?
「先生、わりとマジに最悪の可能性を想定してるっぽいんだよな」
禿と、家族との別離が避けられない状況だな。
先生はあの夜言った。決して俺を一人にはさせないと。自分が傍にいると。
別に信じてなかったわけじゃないさ。気休めじゃなく心からの言葉だとは理解してる。
ただ俺が思う以上に先生は深刻に考えてるっぽいんだよな。
「……と言いますと?」
「ほら俺マンツーマンで鍛えてもらってるわけじゃない?」
「そ、そのようですね」
体にフィットするタイプのスポーツウェアとか着てるもんだから目に毒……というのは置いといてだ。
マンツーマンつっても延々実戦形式でバチバチやり合ってるわけではない。
精神修養? 何か座禅組んだり瞑想だとか超人式の筋トレの時は監督役として見守ってくれてるわけ。
片時も俺から目を離しちゃいけないってわけでもないからわりと手持無沙汰になることも多い。
なのでそういう時は本とか読みつつ助言や注意が必要なら適時俺に指導してくれてるの。
「……ちょっと前から住宅情報誌とか読みまくってるの」
「そ、それは……いやしかしだからとて最悪の可能性を想定していると決まったわけでは……」
や~らしい話をすると先生はかなり稼いでる。
表の教員としての給与は年齢相応だが裏はな?
まあ基本善意の活動なんで先生の働きに釣り合ってはいないがそれでも結構な額稼いでる。
それこそいきなり結構良いとこの一戸建てを一括で買っても問題ないぐらいには。
だがそんな収入に見合わず暮らしは質素だ。
一度お宅にお邪魔させてもらったがこじんまりとした単身者用のマンションだった。
「うんまあそれだけならね? 単に引っ越し考えてるとかかなって思うんだけどさ」
最近色々あってストレス溜まってるからパーッと散財したい。
だが無駄遣いをするのは逆にストレスが溜まるのでお堅いことにお金を。
そういう理由なら良いとこに引っ越そうってのも納得できるんだが……。
「……先生が用事で席を外した時にさ。見ちゃったんだよ」
丁度休憩ってところで席を外したもんだから俺もやることなくてさ。
それで将来俺も独り暮らしするだろうしどんな物件あんのかなって見たの。
「――――付箋が貼られてるとこ全部、ファミリータイプなんだわ」
「お、おぉぅ……」
恋人がいるとかならそれでも不思議じゃねえよ?
でも先生はフリーだ。志村さんとか付き合いのある人らも言ってるし本人もそう言ってる。
マジに美人だけどこれまで一度も異性と付き合ったことないんだってさ。
先生がお堅いのか世の男が不甲斐なさすぎるのかはさておくとしてだ。
結婚考えてる恋人がいるわけでもねえのにファミリータイプの物件チェックしてる理由はなんだ?
「い、いやしかし今は恋人がおらずとも将来を見据えてということならば」
不思議ではない。はっつぁんの言わんとしてることも分かる。
だが、
「住所」
「え」
「チェックしてる物件の半分ぐらいは学校の近くなんだよな」
「……」
「あとほら、先生って先生じゃん?」
先生は裏の実力者なんだろうけどさ。
やっぱ俺らにとっちゃ担任の先生って意識のが強いわけよ。
だから進路相談とかもするのね?
色々あったけど高校初日に将来設計を真面目にしようって思い立ったからさ。
俺も今の内から大学とかも的を絞っておこうかなって。
「まさか……」
「うん。残り半分は俺が狙ってる大学の近くだった」
どう考えてもこれ俺のためっしょ。
ここまで揃ってたらもう自惚れとは言えねえってマジで。
「ほ」
「ほ?」
「迸る下心……ッッ!!」
「はぁ?」
ああいや、そういうことね。
「いやまあ美人にそんだけ気にかけられて悪い気がしねえって言ったらそら嘘になるよ?」
スキンシップはお得だと思ってるって言ったしな。
うん、良い気分なのは認めるさ。
「けどよ。俺の人生丸ごと背負い込もうってぐらい心配してくれてる人にエロ滾らせるほど恥知らずじゃねえよ」
「いや……何かもうそれで良いです。はい、すいませんでした」
「? ま、まあ分かってくれたら良いんだけどさ」
どことなく背中が煤けて見えるのは気のせいか?
「……考えようにとってはこれで良いのかもしれませんね。バランスが取れているというか……。
というか何かおかしくないですかこれ? ……の娘がアレで兄さんの……が逆にモラルあるって……」
何だろう。今のはっつぁんを見てると何かを思い出す。
……ああ、アレだ。
(凹んでる時の親父そっくりなんだ)
鳩か中年かの違いはあるがしょぼくれ具合がそっくりだわこれ。
俺がはっつぁんについつい心を許してしまうのはその人柄もあるが親父にどこか似ているからかもしれんな。