魔王ジュニアVS因習村 終
東京に戻って十日。俺は未だ無気力な状態にあった。
一応、鍛錬なんかはやってるんだがどうにも身が入らない。
ミア先生も事情を把握して俺に気を遣ってくれて何も言わないのが逆に心苦しい。
飛鳥と了にも心配をかけている自覚はあるんだが……どうも、なあ?
ちなみに親父だが、
『飲み込めないならいっそ捨ててしまうか? 悲しむ者の幸福を否定するのもまた一つの道さ』
だけで以降はいつも通りの禿だった。
俺に授けた助言を鑑みるに親父は多分、愛理ちゃんの力についても気付いていたのだろう。
どこまでどれほど何が見えているのか。魔王の面目躍如といったところか。禿のくせにムカつくぜ。
「はー……」
公園で一人項垂れる俺はリストラにあったけど家族に言えずしょぼくれてるリーマンのように見えるだろう。
だが家で部屋に引きこもっていると更に気が滅入りそうだし、かと言って誰かと一緒にいるのもしんどいし……。
「――――お悩みのようですね」
どうしたものかとモヤモヤしていると声をかけられた。
男の声。心が落ち着くような優しい声色だ。
隣から聞こえたので顔を上げると、
「どうも」
「は、鳩が喋った……?」
白い、それもやけに神々しい鳩が軽く手(羽)を上げているのが視界に入った。
驚愕する俺に鳩は困ったように頭を手でかきながら言う。
「あの、君は超常の力を備えておられるようですし……そう驚くようなことでしょうか?」
「言われてみれば」
未だ一般人の感覚が抜けきっていないようだ。
多分、この鳩は使い魔か何かでそれを通して俺と会話してるんだろう。
(いやだとしても普通に怪しいけどな)
面識もねえ奴にいきなり話しかけられるとか、ねえ?
「……警戒させてしまったようですね。申し訳ありません。職業柄、どうしても放って置けず」
「……悩みを抱えてる人の助けになるような仕事してんの?」
「はい」
その言葉に嘘はないように思えた。
だがそれはそれとして何か妙にそわそわしてんなこの人。どうにも落ち着かない感じだ。
「そういうあんたも何かありそうだけど」
「ああいえ、私のこれは……」
少しの思案の後、こう切り出した。
「車をレンタルして遠出しようと思ったら親がその手配をしてくれたけどやってきたのがとんでもない高級車だった、みたいな?」
「ごめんイマイチピンとこない」
使うのが恐れ多い的なそういう?
「ま、まあ私のことは置いておきましょう。それより少年、あなたのことです」
無理にとは言わないがもしよければ話を聞かせて欲しいと鳩は言う。
あまりにも真摯な視線に親睦会の時、俺を孤独にはさせないと言ってくれたミア先生を思い出した。
「面識のない他人だからこそ、力になれることもあるでしょう」
少し迷ったが、ミア先生の顔がちらついたからだろう。
信頼できる奴だなって印象が芽生えてしまったので俺は少しだけ話をすることにした。
「俺、こないだ人を殺したんだ」
「……」
じっと左手を見つめる。悪魔のものではない人間の手だ。
そこには今でも胸を貫いた時の感触が残っている。
「俺が殺したのはまあ……客観的に見て生きてちゃいけないような人間だった」
殺すことに正当性が生まれるような人間だった。
俺個人の心情を抜きにすれば愛理ちゃんはそう言われてもしょうがない存在だ。
「俺自身も殺す以外の道はないと納得してる」
他の誰かに言われてそうしたわけではない。
「理屈の上でも感情の上でも正しい行いのはずだ」
それ以外の選択はあそこにはなかったと言えばその通り。
でも俺は選ばされたわけではない。俺自身の意思で選んだのだから。
「なのに俺は今も歩き出せずにいる」
たかだか十日程度だろうと言えばその通りではある。
だが今のままではいつまで経っても歩き出せると思えないのだ。
「それって、アリかな?」
「……奪った命への侮辱ではないかと君は疑問を抱いているのですね」
「侮辱……ああ、うん。それだ。しっくりきた」
自分でやると決めて命まで奪っておいてうじうじするなんておかしいだろ。
それなら最初からやらなきゃ良かったんだ。
「じゃなきゃ」
「奪った命が報われない、と」
その通りだ。
命を奪ったという罪悪感。もしかしたら違う未来があったのかもしれないという未練。
そんな感情を抱いてしまうのは酷く罪深いことなのではないかと思うのだ。
「少年」
「うん」
「君は愛を以ってその誰かを殺めたのですね」
心臓が鷲掴みにされたような感覚が俺を襲った。
殺した相手、愛理ちゃんと俺の関係には触れていない。
なのに鳩は確信を以って告げているようだった。
「……何で、そう思ったわけ?」
「君が正しく命の価値を認識しその重さに苦悩しているからです」
鳩は染み入るような声で語る。
「善人だからと命が重くなるわけではない。悪人だからと命が軽くなるわけではない。
命そのものの価値は皆、等しく重いのです。ですが人の身でそれを正確に捉えることは難しい。
正義を以って命を奪えばその道理が命の重さを軽くさせてしまう。
悪心を以って命を奪えばその欲望が命の重さを軽くさせてしまう。
どちらかに偏ってしまえば途端に命が持つ本当の価値が見えなくなってしまうのです。
正確にその重さを理解しようと思えば善悪両方を孕むものを秤に乗せねばならない。それこそが愛なのです」
うちの禿と似たようなことを言ってるな。
だが親父のそれが嘲りの色を帯びたものであるならこちらは慈しみを感じる。
「誰もが命の重さを知るための秤を備えているわけではありません。
しかし人は漠然とそれがおいそれと手を出して良いものではないとも理解している。
ゆえに人は命を奪うという行いに伴う責任を肩代わりしてくれるものを求めるのです。
それは超越者たる神であったり無機質な法であったりと形は様々ですが」
求める理由は共通している。
奪った命の重さを背負い切るのが難しいから。
「君は愛を以って命を奪うことでその重さを正しく理解してしまった。
表で人を殺めたのならば法が君を裁いてくれる。
しかし法の光が届かぬ場所で起こったことゆえ法は君を裁いてはくれません」
それもまた俺を苛む棘の一つなのだろうという。
「……ですが仮に法の裁きを受けたとてその心が軽くなることはないでしょう。
君は命の重さを知った上でその責任を誰かに任せることを良しとしなかったのだから」
小さく息を吐き鳩が俺を見上げる。
「君も本当は理解しているのでしょうが敢えて言葉にします」
「……うん」
「その葛藤に答えを出せるのは誰でもない君だけです」
楽な道に流れることを良しとしなかった以上、自分で答えを出すしかない。
他者の言葉は助けにはなっても答えにはなりえない。
突き放したような物言いだが、しかし鳩の言葉で少しばかり俺の心は軽くなったような気がする。
「悲しむ者の幸いを知る君の歩む道が善きものであることを私は祈っています」
「……サンキュ、ちょっと元気でたよ鳩さん」
「いえ。これが私の仕事であり趣味のようなものですから」
「はは、誰かの助けになることが仕事で趣味ってあんたよっぽどのお人好しだな」
「そうでもありませんよ――っと、少年。君を心配してくれている方がやってきたようですよ」
うん? と公園の入口を見やればそこにはミア先生がいた。
気まずそうに視線を彷徨わせていたがやがて意を決したように顔を引き締めこちらにやってきた。
「こ、こんにちは!!」
「はあ、こんにちは」
学生の俺は放課後だから良いけど先生はまだ仕事中では?
と思ったが鳩も言ってたように十中八九、俺を心配してのことだろうからツッコミは入れない。
「……私には心を通わせた大切なお友達を殺めた経験なんてありません」
しかし、何だ。参ったな。
メンタルが上向いてきた今だとすっげえ気まずい。
気ぃ遣ってくれるのはありがたいけど俺もう大丈夫なんでとは言えないし……。
「だから次郎くんが抱えている痛みを理解できるなどとは口が裂けても言えません」
いやその方が良いでしょ。
こんなもん知らないでいられるならその方がずっと良いに決まってる。
「それでも私は君の痛みに寄り添いたい。少しでもその心が軽くなるのであれば何だってしてあげたい」
そう思う。それだけは伝えておかねばいけないと思ったのだと先生は言う。
正直、ミア先生ってかなり大変な立場だよなと改めて思った。
ルシファーの息子にイレギュラーなプレイヤー二人と関わる羽目になってさ。
飛鳥と了の方は負担分散できてるけど目を離せない俺の方は、ねえ?
ただでさえ厄ネタの小僧が更にクソ面倒臭い状況に陥ってるとか胃痛案件でしょこれ。
善人ってのはホント、苦労するんだなあ。
「……ありがとうございます。じゃあ、一つだけ良いっすか?」
「は、はい!」
ちょっとでも心を軽くしてあげよう。そう思ったのはきっと間違いじゃないはずだ。
「古来より傷心の男を慰める決まり文句が一つあってですね」
それはすなわち、
「“大丈夫? おっぱい揉む?”これをされるとどんな男もたちまち」
「分かりました!!」
「ぶっ!?」
がばっ! と胸元のボタンを外す先生に噴き出してしまう。
黒ブラあざっす! ――じゃねえ! 見誤った! 冗談通じないほど思いつめてたなんて!
次郎くんってば……って仕方なさそうに笑って空気が弛緩すると思ってた!
「ち、ちが! 冗談! 冗談ですって! あの俺、今わりと立ち直ってて!!」
大丈夫だって伝えたくて! と必死に弁解すると、
「……そうでしたか。残念です」
力になれると思ったのに出鼻を挫かれてしまったのか少ししょんぼり顔だ。
しかし、直ぐに表情が和らぎ先生は言う。
「何があったのか分かりませんが気持ちが上向いたなら何よりです」
「心配かけてすいません」
「お気になさらず。桐生くんと如月くんにも伝えてあげてくださいね?」
「それは勿論。えっと、その……」
改めて言うと恥ずかしいな。
じっと言葉を待つ先生に俺も腹を括り告げる。
「今回の件で色々な意味で力不足を痛感しました。これからまたビシバシしごいてくれると嬉しいです」
「しご……んん! ええ、ええ! お任せください! 全霊を以って鍛えますとも!」
「ありがとうございます」
それから少しお喋りをして先生は戻って行った。
ふぅと一息吐いたところで、
「ぉぉぅ……ぉぉぅ……ぉぅぉぅ……」
ギョッとして振り返ると鳩の旦那がトドみてえに泣いてた。
「よ、邪な心が……ろ、露骨な……と、遠目にとはいえ久しぶりの……こんなのあんまりです……」
「え、何どしたん? 話聞こか?」