魔王ジュニアVS因習村 8
「ぶべらぁ!?」
愛理ちゃんの体から伸びる影の触手が羽虫のように俺を叩き落とす。
吹っ飛ばされ民家を幾つか突き破りようやく止まった。
「愛理ちゃん鬼つええぇえええええええええええええええええええええええええ!!!!」
とりあえず気絶させようと襲い掛かったは良いがあっさり返り討ちにされたわ。
(思い返せば俺こんなんばっかだな!)
嘘でしょ。俺の戦績どうなってんの? 我、ルシファーの息子ぞ? 魔王ジュニアぞ?
「……つーかこれ、閉じ込められてないか?」
迷宮狂いの作り出したダンジョンにいた時と同じ空気を感じる。
業火に包まれた村は一種の隔離空間みたいになっているのではなかろうか。
何のために檻を? なんてのは考えるまでもない。
俺を含む愛理ちゃんが愛しいと思う人たちがここで安らかに眠るためだ。
「はあ」
つまりはやるっきゃねえってことだ。
マジに戦うしかない。そう決意し思考を切り替える。
「……多分、愛理ちゃんは力に目覚めたばかりだ」
もし最初から目覚めていたのなら傍にいた俺なら気付ける。
隠していたのならまだしも愛理ちゃんの性格上、そういうことは考えもしないだろう。
取り繕うような小賢しさがあるならあんな思想? を堂々と語るものか。
何も知らない振りをして俺を不意打ちした方が確実だもん。
となれば鬼強い愛理ちゃんにも付け入る隙はある。
目覚めたばかりなら多少、俺の方が経験では勝っているわけだしな。
「フン!!」
翼を大きく広げ民家を吹き飛ばす。
……どうやらもう村人は皆、燃え尽きてしまったようだ。気配を感じない。
皆悉く、愛理ちゃんの愛情に抱かれたまま眠りについてしまった。
「まだ終われない。そういう気持ちも、分かるわ」
炎の中を歩いてきた愛理ちゃんが困ったように言う。
「でも私はこれが一番だと思ってる」
「……俺にはこの先、ロクなことがないって?」
「ええ。何となく、分かるの。この先、何度も次郎くんは泣くことになるだろうって」
あなたはもう幸せの淵から足を踏み外してしまった。
そう痛まし気に告げられ冷や汗が浮かんだ。
「どうかな? 何が起きるか分からないのが人生ってものだと思うがね」
妄言と切り捨てるには愛理ちゃんの言葉はあまりにも重かった。
それに比べた反論した俺自身の言葉の軽さよ。
「私にはそうは思えないの。だから、ごめんなさい」
小さく頭を下げる。
「私は私のワガママを貫かせてもらうわね」
「じゃあ俺も俺のワガママを貫くまでさ!!」
縦横無尽に暴れまわる影の触手。
その隙間を縫うように飛び回って隙を窺う。
(右、左、下、上……次は左っと)
影の触手はとんでもなく速いしとんでもなく重い。
だがそれを操っているのは戦うという行為とは無縁の愛理ちゃんだ。
回避に徹して観察を続ければパターンも読めてくる。
「! そこ……はぁ!?」
急降下で触手を潜り抜け着地と同時に地を蹴って接近。
愛理ちゃんの腹にボディブローを叩き込んだ瞬間、その感触に驚愕する。
当たったのに当たってない。いや届いていない?
「……こんなこともできるのね私」
「分からないのかい?」
寸でのところで迎撃の触手を回避しつつ問う。少しでも情報を得なければまずい。
「ええ。だって今日……もう昨日かしら? 昨日目覚めたばかりだもの」
愛い愛いと自分に群がる村人たちを愛でていた。
しかし、次郎が村を訪れる少し前のことだ。
数百年の妄執が近いうちに自らの裡で形になろうとしていることを悟ってしまった。
そしてそれは愛しい彼らが望むものとはほど遠く、もしこれを目にすれば……。
「みんなの悲しい顔が脳裏をよぎったわ」
必死で考えた。どうすれば良いのかと。悩んで悩んで悩みぬいた末、答えを見つけたのだという。
「そしたら急に視界が開けて力が体の奥底から湧きだしてきたの。理解したわ。これなら救えるって」
感覚的に力を行使しているのか。
ならあの不可思議な護りはオート。隙を突くなんてやり方では突破は不可能。
「がっ……!」
動揺で動きが鈍った俺を触手が打ち据える。
原理はまるで分からないがこちらの攻撃が通じないことは理解した。
そしてもう一つ。愛理ちゃんの攻撃も何か変だ。
(衝撃がある、痛みがある)
思えば最初に叩き落された時からそうだった。
その時は愛理ちゃんの強さに意識がいっていたが再度食らったことで違和感に気付く。
地面を抉る触手を見れば物理的な破壊力を伴っているのは一目瞭然。
俺の体にも打撲痕ぐらいは刻まれているはずだ。
(なのにそれがまるで気にならない……?)
無痛症ではない。脳内麻薬でハイになって痛覚が鈍っているわけではない。
なのに痛みが気にならないというのは“やばい”。
どっと冷や汗が噴き出す。
(……愛理ちゃんは苦しめたいから俺に攻撃してるわけじゃねえ)
好きだから、愛しているから、救われてほしいから俺を殺そうとしているのだ。
ならばその過程で苦痛に喘ぐのは本末転倒。
「う゛!?」
村に蔓延する炎が軽く本当に軽くだが俺を焦がした。
これまでは熱さもなかったし俺の体に火が飛び移ることもなかった。
なのに今は火が俺に影響を及ぼしている。熱を感じるのだ。
その熱さは痛みと同じように不快ではなくむしろこの上ない安らぎを与えてくれる。
(……つまり触手でガンガンHP削って炎でフィニッシュってわけだ)
今はまだ強く気を持っていれば炎を振り払える。
だがダメージが蓄積され体の動きが鈍っていけば精神も弱っていく。
そうなれば俺もあの村人たちの二の舞になるわけだ。
「難易度おかしくねえか!? 何だこのクソゲー!!」
「くそ、げ?」
こっちはダメージ与えられないのにあっちはダメージ与えられてHPが一定量割ったら即ゲームオーバー。
こんなことってある!? ちょっとリアルくん難易度調整どうなってんの!?
「く、クソッタレェ! 上等じゃボケェ! やったらァ!!」
今俺が持てるものを総動員して考え得る限りのアプローチで攻め立てる。
だが現実は非情だ。攻撃自体は当てられるけど通じない。
そしてあちらの攻撃は当たる。
神経を尖らせて食らわないようにしているが完全に凌ぐことは不可能だ。
集中力が途切れる瞬間はあるし動き続けていれば体力を消耗するし苦境は気力を削る。
「ッ……!?」
心地よい酩酊感が俺を襲う。
理性を以って必死に抗おうとするが、
(……この先、辛いことばっかだって? んなの分かってるさ)
弱音が鎌首をもたげる。
ポジティブなことを口にしてるし、それも別に嘘ってわけじゃない。
でも俺だって能天気ってわけじゃないんだ。不安だって当然、ある。
ルシファーの息子という生い立ち。分かる奴には分かっちゃうよな。
(どう考えても面倒なことにしかならない……)
裏の世界を知ったつっても俺はまだえげつない部分を知らない。
浅いとこで遊んでるようなもんだろう。
殺し殺されなんてできればやりたくない。でもやらなきゃいけない時は絶対にくる。
(この道を進んだことに後悔はねえよ)
飛鳥と了を見捨てて俺だけ日の当たる場所になんて到底無理だ。
でもそれは俺にとって譲れない一線がそこだったからなわけで……。
ルシファーの息子ってだけでも厄介なのに、だ。
ツレは陰謀によって巻き込まれたであろうイレギュラー。
(困難な道になるのは既定路線じゃん)
親父に全部ブン投げることもできない。
(理屈の面でも感情の面でもな……)
思考がまとまらない。次から次へと弱音が出てきやがる。
負けないように敵を睨みつけ……いや、愛理ちゃんは敵なのか? 敵じゃねえよ。
(だってほら、あんなに優しい顔してる)
希望だけしか見えない夢の途上で終わらせる。
これ以上酷いことにならないようまだマシなところで終わらせる。
俺には到底理解できねえ思想だ。
けどあの子は心底からそれが幸せなことだって信じ切ってる。
心底から俺のためを想ってくれている。
(だったらまあ、本気で俺を愛してくれてる人に殺されるならそれはそれで)
良いのかもしれない。
感情が顔に出たのだろう。俺を見る彼女の視線は本当に嬉しそうで、
◆
「次郎、くん?」
愛理は困惑していた。
あの瞬間、確かに次郎は自分に全てを委ねてくれた。
なのに、
「……」
救済の業火に包み込まれたはずの次郎は纏わりつく炎を皮一枚で堰き止めていた。
「……良くねえよ」
独り言のように吐き出されたその言葉には血が滲むような怒りがあった。
愛理は更に困惑した。次郎の怒りの矛先が自らに向けられていないことに。
狂った悟りを啓くに至った愛理だがそれが他者にとって受け入れ難いものであることも理解していた。
だから次郎も身勝手な自分に怒って再起したのだと、そう思った。
「何言ってんだ俺は。良くねえに決まってんだろ」
次郎は怒っていた。己のあまりの“身勝手”さに。
「俺が受け入れちまったら」
供花愛理の思想はどうしたって明星次郎には理解できない。
二人の考えが交わることは永劫ないだろう。
それでも愛理が本気で自らの思想が救いであると信じ切っていることだけは分かる。
分かるからこそ認められない。自らの命を委ねられない。
「――――愛理ちゃんは“どうなるんだよ”!!」
愛理の博愛はあまりにもデカい。その質量で摂理を捻じ曲げてしまうほどに。
ゆえに村人だけでは終わらない。自分だけでは終わらない。
いずれは世界中の人間全てを救おうとするのは目に見えている。
「あんまりじゃねえか……」
自らが救いの光と仰ぐものを愛理だけはどう足掻いても受け取ることはできない。
救って救ってその果てに待つのは絶対の孤独。道の終わり。
もうやることがない以上、そこで死んでも愛理の考える救いには成り得ない。
自然に死ぬまで生き続けるとしても隣には誰もいない。
歪んでいようとも愛ゆえに自らより他者が救われることを願った人間の結末がそれで良いのか?
「認められるわけねえだろうが!!」
次郎は怒っていた。
これだけ深い愛情を貰っておきながら何一つとしてそれに報いようとしない己の身勝手さに。
出会って数日。しかし愛理は大切な友達だ。
ああ、ここで死ねば自分はまあ悪くない終わりを迎えられるだろうさ。
だがそれは愛理の幸福に背を向けるということでもある。
ここまで愛されておきながらそれはないだろう。
「ぇ」
怒りと共に大きく広げられた翼が巻き起こした風が愛理の頬を薄く切り裂く。
それは攻撃ですらなかったが確かに愛理を傷付けることができた。
恐れはなく悲しみもなく甘い痛みが齎す純粋な戸惑いだけが愛理を支配していた。
「――――」
次郎もまた戸惑っていた。
だが戸惑いはやがて、苦渋に変わる。
「……そういう、ことかよ」
命は尊いものである。それは揺るぎない事実だ。
しかし悪はその価値を見誤らせる。
しかし善はその価値を見誤らせる。
ならば一体、何が命の重さを知る天秤に成り得るのか。
『それは正しく美しいものではあるが同時に危うさと醜さをも孕む感情だ』
魔王は言った。それこそが命を量る天秤に成り得るのだと。
その感情の名は――――“愛”。
他者へ向ける愛はその人を尊重するがゆえ。
だからこそ愛を以って命を奪う時、その重さから逃げることはできない。
「嗚呼」
苦しみ喘ぐように次郎は空を仰いだ。
既に分かっていたが改めて突きつけられてしまった。
愛理の愛は本物だ。その愛が発露した結果が力の具現だというのならば当然の帰結なのだろう。
感情がすれ違ったまま向き合う形が異なるまま“闘争”が成立するものか。
だから、自分は愛理を傷付けることができてしまった。だってその怒りは愛より出でたものだから。
「……そう、そういうことなのね」
愛理もまた遅ればせながら理解した。
次郎のように論理的な思考で導き出された結論ではないが感覚で理解した。
頬を走る痛みが甘く感じるのは当然。だってそれは次郎の愛そのものなのだから。
「次郎くん」
両手を頬に当て戸惑いの色を滲ませながらも、
「――――私、とっても嬉しいわ」
心底嬉しそうに愛理は微笑んだ。
求められるばかりで愛するばかりで愛されたことのなかった愛理にとってそれは何よりもの幸福だった。
「そっか」
次郎も笑い返す。困ったような微笑みだった。
互いに相手を想うがゆえ、決して交わらない。どちらかの死を以ってしか終われない。
「大好きよ次郎くん」
「大好きだぜ愛理ちゃん」
降りしきる雨の中、二人の最後の時間が始まった。