魔王ジュニアVS因習村 6
【はいもしもし。どうした急に? お金でも足りなくなったか?】
電話をかけると数コールで親父に繋がった。
時間帯的に晩酌をしていたのだろう。ほろ酔い気分なのが声だけで分かる。
「……親父」
【ふむ? 何かあったらしいな。ミカエルの娘ではなく私に、ときた】
声色が変わった。察しが良いにもほどがある。
オカルト絡みで何かあった時、俺は親父ではなくミア先生や志村さんを頼るにようにしている。
何かあれば報告ぐらいはするが基本、親父にはノータッチだ。
人間としての生を楽しんでいるのだから緊急事態でもない限りはそっとしておこうと思ったから。
親父もそこらは察しているのだろう。だからわざわざミカエルの娘ではなく、と口にした。
遠慮せずに相談しろと暗に言っているのだろう。
「ああ、親父に聞きたいことがあるんだ。知恵も貸してほしい」
【息子に頼られて否という親はおらんさ。話してみなさい】
「……ありがと。なあ、悪魔ってのはその、人の欲望が視覚化できたりするのか?」
例えばそう、性欲とか。
【全ての悪魔がというわけではないが一定以上の位階に在る者なら見えることもあるな。
そも悪魔という種族は人の欲望を食い物にしているわけだからな。人間の欲望には敏感だ】
それゆえ力ある者なら欲望がオーラのように見えたりすることもある。
魔王の子である俺も見えたって不思議ではないだろうとのこと。
「そう、か」
【見えたんだな?】
「……ああ。村に入った時から妙な空気は感じていた。人も土地も濁ってるっつーのかな」
【ほう? 狭いコミュティで長く煮詰められた人の欲望が悪魔の部分を刺激したのだろうな】
見えるようになったのはそのせいだろうと親父は言う。
「最初はさ、気のせいかと思ったんだ」
【色々あったからな。ナーバスになってるとでも思ったんだろう?】
「それもある。けど、村で出会った女の子……愛理ちゃんって言うんだけどな」
その子があまりにも透き通っているものだから余計に錯覚だと思ったんだ。
【あまりにも透き通っている、ねえ】
「村の連中の気持ち悪い視線は全部、あの子に向けられてた」
【そんな目を向けられれば普通は、濁るよなあ。それがないのだから勘違いだと思うのも無理はない】
「ああ」
だが昨日、愛理ちゃんの家に招かれたところで強烈な違和感を覚えた。
使用人もいるような大きなお屋敷で外観は立派だが中に入った瞬間、吐きそうになった。
勘違いとか錯覚で済ませられないレベルでそこは穢れ切っていた。
でもその穢れが何なのか分からずその日は何もできなかった。情けない話だ。
そして今日、気付いた。気付いてしまった。
今朝も昨日一昨日と同じように愛理ちゃんは宿まで俺を迎えにきてくれたのだが……。
「臭いがしたんだ」
【臭い、か】
「ああ。おかしな話するけどさ。嗅覚が二つあるっていうのかな」
石鹸やシャンプー、リンス、あとはお香とかかな? それらが混ざった女の子らしい体臭。
それに重なるように物理的には存在しない強烈な悪臭を俺の鼻は嗅ぎ取っていた。
鼻が潰れそうな臭気。最初は何か分からなかったが……少しして、理解した。
俺も男だからな。一人であれこれすることもある。
その時の臭いを煮詰めて更に凶悪なものにしたような……。
【それで見えるようになったわけか。村人の欲望が】
「うん……何か一つってわけじゃない。個々人それぞれの願いがあったんだろう」
だが一つ、男にだけ共通している欲望があった。
他の欲望も同時に備えていているが男だけはそれらと一緒に“色欲”を滾らせていた。
反吐がでそうなぐらいに薄汚い色欲、それが注がれているのは……。
「これが単なるそういう事件ならポリにチクれば良いだけだが」
明らかに違う。凄まじく良からぬものが絡みついている。
【なるほど。それで、お前はどうしたいんだ?】
「まずは知りたい。この村で何が起きているのかを」
愛理ちゃんがどんな運命を強いられているのかを。
十中八九オカルト案件だ。衝動のままに愛理ちゃんを連れ去ることもできる。
だがそれで彼女の身に何かあれば悔やんでも悔やみきれない。
だからまずは絡繰りを把握して、連れ出しても問題ないなら愛理ちゃんを連れて村を出る。
「ただどこから調べれば良いのかどうやって調べれば良いのか」
【分からないから私の知恵を、か。良いだろう。だが助言をするためにも聞かねばならないことがある】
「何だ? 何でも言ってくれ。何でも話す」
【そうだな……ではお前が母さんに挨拶をして家を出てから今に至るまでの話を聞かせてくれ】
どんな些細なことであろうと余さず。
無駄な情報が多くならないか? と思ったが親父の方が何百倍も俺より頭が回る。
その親父が必要だというのなら俺には分からなくても無駄ではないのだろう。
俺は言われた通り全てを語った。
【なるほど。大体のところは把握した。さしあたって調べる場所についてだがこれは村長宅だな。
村人個々人ではなく村全体というのであれば音頭を取る人間が必要だ。
狭いコミュニティで世間様には言えないようなことをするとなれば統率役が居なければ話にならんからな。
この手の因習絡みでならその役は神職か村の名家や長と相場が決まっている。
話を聞くに神社はあるようだが最低限の手入れが施されているぐらいだからまず中心ではあるまい。
そしてお前から伝え聞く話からして村で大きなお屋敷と呼べるようなものは宿を除けば件のお嬢さんの家ぐらい】
ならば名家のようなものはなく基本、横並びだろうと親父は言う。
「……愛理ちゃんの家が中心じゃねえの? 家も大きいんだし」
【それはない。何せお嬢さんは村人たちに利益を齎す存在だからな】
その家の人間が利益を独占しないような仕組みになっているはずだとのこと。
【それなりの恩恵を受けているだろうが因習を主導する役からは外されている。
となれば消去法で分かり易く村の代表を務める村長と見て問題なかろうよ。
具体的な探索場所と探索に使えそうな技術について今から口頭で伝えるからよく聞きなさい】
頷き、一言一句聞き逃さぬよう親父の言葉に耳を傾ける。
そして教えてもらった透明になる術や認識を歪ませる術を実際に使い確認してもらう。
俺に使えるレベルのものを教えてくれたのだろう。
幾度かトライして実用に耐えるレベルにまで仕上げることができた。
【今回使う分にはそれぐらいで問題なかろう。素人に毛が生えたような連中のようだしな】
今回限り。継続して使用するならしっかり指導してもらえとのこと。
ようは過信するなってことだろう。理解した。
「ありがと親父。じゃあそろそろ」
【まあ待て。……そうだな、教訓、心構えのようなことを一つ】
「……何?」
【命の価値について】
「は?」
【命とは尊いものである。しかしその価値を推し量ることは難しい】
……命とは尊いものであるなんて言葉が魔王の口から出てくるとは。
【悪は命の価値を見誤らせる。
我欲を満たさんと他者の命を踏み躙る輩に命の価値は分からない。
悪なる心で以って命を奪うということはその命は己が欲望より下であると断ずる行為に他ならん】
親父は嘲りの色を滲ませながら続ける。
【しかし善もまた命の価値を正しくは量れない。
例えば救いようのない外道がいたとする。生きていてはならぬ者だ。
それを私心ではなく正しさを以って断ずる時、その正しさこそが価値を見誤らせる。
正しい行いであるという認識が奪った命の重さを誤魔化してしまうのだ。
生きていてはいけない悪がいたとしても正義の徒がそれを奪う権利を持ち得るかと言えばそれはまた別の話よ】
親父が何を伝えたいのかが分からない。
【善も悪も命の価値を知るに足り得ぬのならば一体何が秤となるのか。
それは正しく美しいものではあるが同時に危うさと醜さをも孕む感情だ。
その感情が天秤となる。それを以って命と相対する時、その価値に誤魔化しは利かなくなる】
でも俺の勘は不思議とこれを無視するべきではないと囁いている。
【では善と悪、その二つを備える感情とは何なのか? ここで答えは言わない】
だが頭の片隅にこの問いを置いておけと言って親父は電話を切った。
どうしてか酷く胸がざわつく。何か、良からぬことが起こりそうな……どうしようもない不吉が胸を苛む。
それが何かは分からない。だが、覚悟だけはしておいた方が良い――そんな気がした。
「……行くか」
数時間ほど待機し夜が更けた頃、俺はコッソリ宿を抜け出した。
村の中は真っ暗で都会と違ってまるで灯りがない。
悪魔に由来する夜目がなければ外に出るのも躊躇うほどだ。
月や星の光があればまだマシだったのかもしれないが空は黒雲に覆われている。
「こりゃ明日は雨かもな」
明日の昼。村を出る予定なのでそれまでは降らないでくれるとありがたいのだが。
愛理ちゃんを村から連れ出して問題ないという前提ありきだが一応、プランは考えてある。
まず明日は一旦清水先生と駅まで行ったところでテキトーに理由をつけて先生と別れる。
それから力を使って速攻で村にとんぼ帰りして愛理ちゃんを攫って脱出というのが俺の想定だ。
細かな問題は色々と出てくるだろうが……心苦しいけどそこらはミア先生たちを頼らせてもらう。
どうにもならないってんなら最後の手段として親父を頼る。
「親父に頼るのはできれば避けたいがいざとなれば俺のこだわりなんざ関係ねえ」
言い聞かせるように言葉にして覚悟を固める。村長宅が見えてきた。
透過の魔術を始めとする潜入に必要な術を全て発動し内部へ。
親父が教えてくれた資料等があるであろうポイントを探り……。
「ビンゴ!」
蔵の中の隠し部屋からそれっぽいものを発見する。
えらく古びた書物。中を開くと……何書いてあんのか読めねえ。
しかし親父はこれも想定済み。解読魔術を使い目にフィルターを展開する。
視覚を通して翻訳された内容に一通り目を通し……。
「――――」
怒りで頭が真っ白になる。その言葉の意味がよく分かった。
「こ、この屑ども……!!」
衝動的に力を解放しなかった俺の理性を褒めてやりたい。
薄々察してはいた。だが俺の想像以上に胸糞の悪い因習の仔細がそこにはあった。
何百年も昔から続けられているその目的は“よすが様”なる神の出産。
馬鹿な夢見てんじゃねえと吐き捨てたくなるような都合の良い神の誕生。
それを目的に供花と呼ばれる女たちはずっと惨い仕打ちを受け続けてきた。
沸騰しそうな頭で儀式の記録が書かれた書物に目を通していく。
近年の記録を目を通し愛理ちゃんが今代の供花の女であるという事実を確認できた。
村長が外から貰ってきた子供で母胎としての適性は最高レベル。
自分たちの代で夢が成就するという喜びがありありと伝わってくる文章……反吐が出そうだ。
「……ふぅ」
滅茶苦茶にしてやりたいと思う。だがそれではいけない。どうにかこうにか頭を冷やす。
ざっと目を通した限りでは愛理ちゃんを外に連れ出す弊害はないと見て良い。
「実行は明日。明日だ」
疑問はある。
何故、これだけの仕打ちを受けて尚、彼女はあんなにも透き通っているのか。
「何もかんも台無しにしてやるよ……!!」
だがその些細な疑問がどうでもよくなるほど俺は怒りに燃えていた。