星の王子さま 5
門を潜り亜空間を上へ上へと飛翔する。
そうして飛び続けあるラインを超えたところで上下が引っ繰り返り次郎たちは魔界の空へ堕ちていた。
【俺が新たな魔界の王だ。大人しく従うなら悪いようにはしねえよ】
少し驚いたもののかつて父がそうしたように全ての悪魔に宣戦を布告。決戦の火蓋が切られた。
迫り来る雲霞の如き軍勢を前にしても動じず次郎は冷静に命令を下す。
「一番手はお前だ藤馬。キッチリ仕事しろよ」
「おう。お前も約束、忘れんなよ」
「分かってるさ」
次いで次郎は愛理、正子、冬花に視線をやる。
「俺のワガママを叶えてくれ」
「ええ。任せて頂戴。一人でも多く、生かして見せるわ」
「君の望むままに」
「文字通りの千客万来ね! 正直、冬花かなり興奮してるわ!!」
主にして愛する男がそうであるように女たちにも恐怖はなかった。
「――――さあ、行くぜ!!」
軍勢全てが射程圏内に入った瞬間、藤馬は勢い良く手を合わせ力を解き放った。
性癖という名の魔手により一定以上の実力者を除き一人残らず迷宮へ堕とされてしまった。
魔王軍としては先制攻撃を食らってしまった形だが彼らには微塵の動揺もなかった。
「閣下の仰られた通りになったな」
「本当に我らを殺す気はないようだ」
「ククク、人間の甘さよな」
なるべく死者を出したくない。
ルシファーは息子の甘さとそれを叶えようとするオルタークたちの策を読み切っていた。
最善はそもそも迷宮に囚われないことだが全員が防ぐことは不可能。
ならばと迷宮に囚われた後の攻略マニュアルもしっかり叩き込んでいたのだ。
ゆえに魔王軍に動揺はなかったわけだが、
【おうおう流石は魔王様だ。全部お見通しみたいだぜ? どうするよ】
【どうもこうもないわ。次郎くんのお願いを叶える。それだけよ】
【むしろ好都合じゃない? まずは眷属の私たちが魔王の想定を超えて弾みをつけられるわけだし】
【ハードルが上がったわね! 冬花の腕の見せ所じゃない燃えるわ!!】
こちらにも動揺はなかった。
「まずは甘魅冬花なる人間が居る場所を全員で目指すぞ!!」
≪おう!!≫
迷宮の深奥に続くルートは一本道ではない。
複数のルートがありその途上に殺さぬためのギミックが仕掛けられている。
冬花が菓子を振舞う大広間もその一つだが必ずしもそこを通る必要はない。
にも関わらず魔王軍がこぞってそこを目指すのには理由があった。
彼らは確固たる打算の下、自ら困難に挑もうとしていた。
「え、入場制限?」
「一度に入れるのは千名までですって!?」
「ふざけるなよ! さっさと菓子を食わせろ!!」
最短ルートを通り魔王軍は大広間へ続く扉の前まで辿り着く。
しかしそこには入場制限についての貼り紙が。
不満を垂れる悪魔たちに藤馬のアナウンスが響く。
【ったりめえだろ。数が数だから複数のルート用意してたのに全員同じとこ目指すんだからよ】
億の悪魔を収容できるほどの超巨大迷宮だが全員が集まれるのはスタート地点だけ。
迷宮という構造上、通路の幅や部屋の広さには限界というものがある。
複数のパーティを作りダンジョンを攻略していくというのが藤馬たちの想定だった。
だというのに全員で行動をするものだから待機時間が生じてしまった。
【お前らも道中で分かってただろ】
「いやそこは融通を利かせてくれるものと」
「そちらからしても一気に捌ける方が楽じゃねえか!!」
【アホか。美意識が影響するこの手の能力がそこまで自由自在なわけねえだろ】
藤馬は整列して順番を待つよう促し魔王軍も渋々それに従った。
そして内部。大広間に併設された厨房では冬花が腕を振るっていた。
当初の想定を大きく上回る数を捌く必要が出て来た。
しかも彼らはこちらの目論見を看破している。
増えた負担、上がったハードル、しかしだからこそ冬花は燃えていた。
「何て素敵な展開かしら!!」
後先を考えず全力で能力を行使。極限まで切り刻まれた時間の中で作業を進めて行く。
同じ菓子を作って手間を省くなどということはしない。
ケーキという同じカテゴリーのものであっても共通する部分の流用などはあり得ない。
スポンジ一つ取ってもそれぞれに見合ったものがあるからだ。
発酵、保存、冬花の領域内で菓子に関する時間は自由自在。妥協する気は一切なかった。
効率という面で考えると愚劣の極みだろう。
しかし、その愚かさこそが甘魅冬花を甘魅冬花足らしめているのだ。
≪う……!?≫
千人がテーブルにつくと直ぐ給仕スケルトンが菓子を運んで来る。
眼前のそれを認識した瞬間、全員が意識を飛ばしかけた。
見た目、香り、手をつけずに得られる情報だけで、だ。
ある悪魔の前に置かれたのは何の変哲もないショートケーキ。
しかしそれは彼がこれまで口にしたどんなものより崇高だという確信を問答無用で与えて来た。
「さあ、召し上がれ!!」
食べないことには進めない。時間の浪費は許されない。
ルシファーへの恐怖と眼前の菓子に対する恐怖。
二つの恐れに突き動かされるように悪魔たちは菓子に手をつけた。
≪……! !?!?!!!!!!≫
脳髄どころか魂までも大きく揺さぶる衝撃。
古今どんな麻薬であれこれほどの多幸感を得ることはできないだろう。
最早、手を止められなかった。
一分と絶たず悪魔たちは目の前の一皿を平らげた。
結果、最初の客である千の内、九百九十五人が戦争からの離脱を宣言した。
問題は残った五人だ。
「おぉおおおおおおお! 力が、力が溢れる!!」
「凄いわ! 本当に、閣下の仰った通りになった!!」
ルシファーへの恐怖を支えに耐えきった彼らはハッキリ言って雑魚“だった”。
下位の取るに足らない悪魔でしかなかったが今は違う。
全員が上級悪魔と呼ぶに相応しい位階にまで急成長を遂げていた。
これこそが彼らの目論見だった。
『私が植え付けた恐怖を拭い去るほどの逸品だ。耐え切れば相応のリターンはある』
魂のステージが数十段飛ばしで引き上げられる。
そう知らされていたからこそ彼らは冬花の難行に挑んだのだ。
「こちらが望んでいたものではないけれど喜んで頂けて何よりだわ!」
戦線離脱を宣言した悪魔たちの誘導を終えた冬花が笑顔で告げる。
五人の悪魔は皆、怪訝な顔をしていた。
「……そちらの目論見が破綻したのだぞ? なのに何故、喜んでいる?」
「自分一人で全てを、なんて思い上がるほど若くないんだから」
後は別の仲間の仕事だ。そして、と冬花は笑みを深める。
「あなたたちには通じなかった。それはつまり、まだ冬花には成長の余地があるということでしょう?」
まだまだ己とスイーツの可能性は尽きていないということ。
これほど喜ばしいことはないだろうという冬花の言葉を受け彼らは、
「……人間。甘魅冬花、だったな?」
「ええ」
「私たちは戦いを止めるつもりはないわ」
「だが、もしも王子が勝利するというのであればその時は君の店に改めて寄らせてもらおう」
心の底から敬意を示した。
決戦の中において異端も異端。色物とさえ思っていた菓子職人。
彼女は敬意を払うに足る存在であると認めたのだ。
「ふふ、またのご来店を心よりお待ち申し上げるんだから!!」