代打オレ! 7
「ん」
連日の疲れもあって早めに寝入っていた飛鳥はふと目を覚ます。
時刻はイブが終わり日付が変わった十二月二十五日零時。
十七歳の誕生日を迎えたという感慨はなかった。
あるのは妙な胸騒ぎだけ。
「……」
このまま目を閉じてしまえと冷静な部分が囁いている。
目を逸らすなと醒めた部分が告げている。
少しの逡巡の後、ベッドを下りて部屋を出た。
リビングに向かうと父と母が向かい合って座っていた。
「父さん? 母さん……?」
穏やかなのに酷く悲し気にも見える表情で自分を見つめる両親。
言いようのない不安を掻き立てられ飛鳥が呼びかけるは二人は何も言わない。
まるで言葉を縛られているかのように。
「一言だけ、か」
「なら決まってるわよね」
飛鳥、と父母が優しくその名を呼ぶ。
そして、
「お前を愛している」
「あなたを愛しているわ」
愛を告げると同時にその体が灰となり崩れ去った。
「――――」
動揺がその胸を満たしていた。
目の前で両親を喪失したことによる混乱、ではない。
“極々自然に”この状況を受け入れてしまえている自分に対してだ。
情を失ったわけではない。愛がある。哀しみもある。
なのにどうしてかこれが当然の結末だと思えてしまうのだ。
陽が昇りやがて沈んでいくように。
水が高きから低きに流れていくように。
「……」
のろのろと手を伸ばし灰の山から一枚のメモを掴む。
そこには学校の屋上で待つと短く記されていた。
頬を伝う涙はそのままに飛鳥は着替えを済ませると家を出た。
「飛鳥」
「了」
途中で了と出くわす。言わなくても分かった。
我が身に起きた異変が了にも起きたのだと。
そして、学校で自分たちを待つ誰か。
それこそが春から――いや、生まれる前から続く因縁の黒幕であると。
「……心の準備は?」
「問題ない。お前の方は良いのか?」
「うん。どうしたって避けられないものだからね」
正門の前で一度立ち止まり互いの意思を確認し踏み出す。
校舎の玄関に鍵はかかっておらずすんなり中へ入れた。
耳に痛いほどの静寂を感じながら階段を上り……。
「こんばんは桐生くん、如月くん」
「待ってたよ」
待ち受けていたのは聖愛衣と清水正一だった。
驚きと共に不思議な納得を覚える。
だがそれ以上に飛鳥と了が感じていたのは、
「……次郎を利用していたのはお前たちか?」
「奪うために、与えたのか。あの魔王と同じように」
強い怒りだった。
次郎が心から愛衣と清水を信頼しているのを知っているからこそ許せない。
それは見ず知らずの父でしかないルシファーの仕打ちよりも残酷だから。
煮え滾るような怒りを向けられた愛衣と清水だが、
「……その発言が出るということは」
「正子ですか。確かに彼女の能力ならやれなくもありませんが」
「僕らの想定ではそのような余地はなかったはずだ」
ひた隠しにしていたアドバンテージが消え失せてしまった。
だがその事実すらどうでも良いほどに飛鳥と了はキレていた。
そして、
「やはり明星にぶつけて正解だったな」
「ええ。私たちの想定を超えるほどに力が育っているようです」
更に油が注がれ怒りは業火へ変わる。
了は不可侵の炎が作る影を用いて、飛鳥は同化の海を以って二人に攻撃を仕掛けた。
殺すつもりだった攻撃はしかし、
「無駄ですよ」
「僕らには通じない」
通じなかった。
影の触手は物理的な攻撃にも使えるが本質は精神への攻撃だ。
打ち据えられれば抵抗するという気概を根こそぎ削り取ってしまう。
そうして弱らせた上で同化の海を使えば確実に殺れるはずだった。
だが二人は堂々と攻撃を受けた。その上で何一つ変化がない。
「君らも明星から聞いたんじゃないか?」
「それらの能力は愛の前には無意味であると」
「愛、だと……?」
その言葉で二人は一気に冷静になる。
ぞわぞわと背筋を這いまわるこれまでとは別種の嫌悪感に気づいたのだ。
「話をしよう。君らもそのために来たんだろう?」
「……良いよ、聞いてやる」
お前たちは何者だと飛鳥は問いを投げる。
二人は答えた。君らにとって血縁上の親であると。
予想だにしない答えであったが驚きはなくすんなりと飲み込めてしまった。
それがもう親子の証明であるように思えて飛鳥と了は酷く不愉快だった。
「これまで君らを育ててくれたご両親は私たちと取引を交わした死人だ」
「……死人、だって?」
家族が欲しかった。子供が欲しかった。温かな家庭を築きたかった。
そんな未練を抱えたまま死に逝く者、現世に留まる魂。
それらに取引を持ち掛けた結果が二つなの家庭なのだという。
「生者として居られる刻限が来たから彼らは記憶を取り戻しこの世を去ったのさ」
「幾ら私たちでも死者の完全な蘇生は不可能ですからね」
「……何のために、そんなことを?」
「正子と話をしたというなら聞いているんじゃないか?」
「陰陽構造を作り出すためですよ」
恵まれた家庭と劣悪な家庭。
あり触れた日常と仄暗い非日常。
陽に属する飛鳥と了。陰に属する愛理と正子。対となるように配置した。
それはひとえにより完全なものを目指すため。
清水と愛衣の説明は正子が推測した通りのものだった。
「……反吐が出るな」
「で、そんな面倒なことをしてまで完全なものを目指す理由は?」
思惑通りに進むつもりはない。
だが、その目的は知らねばならない。
動機を問われ二人は迷うことなく答えた。
「「世界を、人を救うため」」
特別語気が強かったわけではない。むしろさらりとしていた。
だがそれが逆にどこまでも真に迫る重さを伴っていて飛鳥と了は思わず後ずさる。
「僕とこの女はいわゆる聖人というものでね」
「人格者という意味ではなく能力的な区分の話ですがね」
物心ついた時から世に満ちる救いを求める声が聞こえていた。
疎ましく思ったこともあるが最終的には自らの意思で誰かを救う道を選んだ。
そして自らが思い描く救いを完遂するため只管に走り続けて来たのだという。
「そうして私とこの男は出会った。不倶戴天の敵として」
「掲げる救いの形が相容れず潰し合ったのさ」
だが殺し合う内に疑問を抱いた。
相容れぬ敵ではあるが同時にこれ以上なく互いを認め合ってもいた。
そんな男/女が否定するということは己の救いは不完全なのではないか、と。
「だから僕らはより完全な救いを求めてそれまでの思想を捨てた」
「今ではもうそれがどんな形であったからすら思い出せません」
だけど構わない。大事なのは未来だから。
「……完全な救済を求め創られたのが分かたれる前の私たち、ということか」
「ああ。決して簡単な道のりではなかったが」
「私たちに共感してくれた力ある悪魔たちのお陰で何とか完成まで漕ぎつけることが出来ました」
悪魔たちという言葉を聞き飛鳥と了は「あ」と声を漏らす。
他に優先すべき事柄が多過ぎて失念していたのだ。
「何故君らに刻印があるかって?」
「何てことはありません。あなたたちの存在そのものが私たちの“偉業”だからというだけの話です」
実際に成し遂げられるかどうかは分からない。
だが世に生み出された時点でプレイヤーである清水と愛衣は無用の産物なのだ。
代理戦争のルールに則れば契約した悪魔が魔王になれるかどうかは子供らの動き次第。
ゆえに分かたれた四人に刻印が刻まれた。
「君らには後二つ、枷がある」
「その一つを今、外しましょう」
「「!」」
すっと散歩にでも行くような気軽さで距離を詰め、父母は子供らの額に触れた。
瞬間、飛鳥と了の内側から力が溢れ出す。
「これで六枚羽のミカエラ・アシュクロフトに少し劣る程度でしょうか」
「……だから何だ。私たちが貴様らの思惑通りに動くとでも?」
「勿論、どうするかは君たち次第だ」
「ですが最後の枷を外しぶつかり合い一つに統合されたのならばどうなるでしょうね?」
その言葉に飛鳥と了は動揺を露わにする。
不完全な状態ですらミカエラに少し劣るほどの力だ。
ならば全ての枷を取り払い極まった状態でぶつかり一つとなったのならどうなるのか。
それこそルシファーにも刃を届かせる能性を得られるのではないか。
「君らが殺し合えば明星は悲しむだろうな」
「ですが、それが最後の悲しみになる」
「彼の魔王を仕留めることができたのならば奴の悪意が降り注ぐことは二度とない」
「あなたたちが救世を果たすなら以後の明星くんの幸福は約束されている」
親友二人の喪失という大きな傷を負いはする。
だがそれと引き換えに次郎は以降の安息と幸福を手にすることができるのだ。
次郎は既に父に愛理と正子と大切なものを奪われている。それは承知の上だ。
それでも、ああ、それでもだ。
「「……」」
これ以上は、という思いがあった。
これが最後なら、という思いがあった。
飛鳥と了は揺れに揺れていた。
「最後の枷が外れる条件は僕とコイツの命だ」
「旧き聖者の屍を踏み越えられずして完全な救世など夢のまた夢ですもの」
揺れる子供らに親は容赦なく選択肢を突きつける。
「少し時間を与えましょう。刻限は今宵の十九時、でしょうか。恐らくは」
「それぐらいだろうな。ああ、その時までに答えを出すと良い」
「東京タワーの特別展望台……今はトップデッキでしたか? そこであなたたちを待ちます」
「来ないならそれはそれで良い」
だが、
「「一度その選択を捨てたのならば次はない」」
清水と愛衣の姿が霞んで行く。
言うべきことは言った、ということなのだろう。
「「待て!!」」
咄嗟に二人を呼び止めた。
何か? とどこまでも大上段から見下ろす視線が酷く癪に障る。
一つぐらいかましてやらねば気が済まない。
それが飛鳥と了の偽らざる気持ちだった。
「……色々言いたいことはあるがこれだけは言わせてもらおう」
「何でしょうか?」
すぅ、と息を吸い込み同時にその言葉を口にする。
「「良い歳こいて女子高生の振りしてるとかお前は恥を知らないの?」」
「な」
「「挙句次郎と楽しくデート? とんだふしだらババアだよお前は!」」
飛鳥と了は知っていた。今日、次郎が愛衣とイブデートをしていたことを。
散々自慢されたのだ。正直かなり鬱陶しかった。
「「で、そんなふしだら淫行コスプレババアと揃って黒幕気取ってるお前もかなりダサいからな」」
「ぬ」
救世の前に一般常識を勉強しろと吐き捨てる。
清水と愛衣は何かを言おうとしたが、ド正論なので何も言い返せず黙って姿を消した。
飛鳥と了は気づかない。
「とりあえず、勝ったね」
「ああ。精神的なマウントを取れたのは大きいぞ」
その心が既に親との殺し合いへと傾いていることに。