魔王ジュニアVSカルト教団 9
「おいおい勘弁してくれよ。ちょっと気をつければ防げるミスじゃねえか」
「……うっせえなあ」
七月二十日夜。次郎は自宅で藤馬に勉強を教わっていた。
次郎が頼んだというわけではなく藤馬からの申し出である。
共闘を呑んでくれた礼の一つということで宿題を見てやると言われたのだ。
楽をするチャンスだと思い受け入れたのだが藤馬はわりと真面目だった。
答えだけ教えてくれと言っても、
『は? それじゃ身に着かねえだろ。手前の頭で考えるから勉強になるんだろうが』
これである。
「ガキの時分はこんなん学んだところで何になるんだって気持ちになるかもしれねえよ?
分かるよ。でも意味がなさそうに見えて何にでもなるんだよ、勉学ってのは。
コイツをどれだけ身に着けてるかで後の選択肢が何倍にも増えるんだからな」
露骨に勉強への意欲を失くしている次郎を諭すように藤馬は言う。
「どこそこの大学を出たって短い肩書一つである程度、信頼も買える。
社会で対人関係を築くことの難しさを考えりゃどんだけ便利かっつー話よ」
言っていることは一々ご尤も。
世界を自分の趣味で塗り潰そうとしているくせに何と常識的な発言なのだろうか。
「俺だってこれで旧帝大出だからな。その有難みは……」
「うっそだろお前!?」
次郎は恐怖した。
こんな男が良い大学を出ているなどと思ってもみなかったのだ。
「お前……親御さんに申し訳ねえと思わんのか……?」
「そこ突かれると俺も何も言えねえけど、しゃあないじゃん」
「しゃあなくはないだろ」
ダラダラ駄弁りながらテキストを進めていたが、
「「……」」
両者共にピタリと静かになった。肌を切り裂くような気配を感じたからだ。
「ようやくか」
「みてえだな。よォ次郎、心の準備は出来てるか?」
「ったりめえだろ。さっさとテメェとのご近所生活を解消したくてたまんねえんだよ」
時刻はもう少しで零時。
丁度良い時間に来てくれたとほくそ笑みながら次郎は藤馬と共に家を出た。
その足で屋上に向かい、少しするとそいつは姿を現した。
「やあ、良い夜だね藤馬、そして星の王子様」
整った顔立ちのナチュラルショートの女。
スラックスにシャツというラフな格好と相まって爽やかな麗人タイプに見える。
だが纏う空気の禍々しさがその印象を全て台無しにしていた。
「そうかい? 俺は最悪だがね。お前みたいな狂人に目をつけられてるんだからな」
「次郎の言う通りだ。自覚しろよお前は社会のゴミだ」
「お前が言うな」
吐き捨て次郎は刀剣狂いに向き直る。
「知っているようだが一応、名乗ろう。僕の名は久我美月」
「僕!?」
「ああ、言ってなかったか。コイツは一人称僕なんだ」
「36歳で!?」
「ああ、36歳でだ」
次郎は恐怖した。
アラフォーの僕っ娘などというものが現実に存在するとは思わなかったのだ。
ルシファーの息子よりレア度高いのでは? というぐらい驚いた。
「おいおいおい、これで見た目が普通だったら痛々しいとかいうレベルじゃねえぞ」
「いやあ、見た目良くても俺はアウトだと思うがね。アラフォーだぞアイツ」
「……失礼な奴だな君たちは」
「「通り魔が言うな」」
「やれやれ」
じぃ、と上から下まで視線を這わせる刀剣狂いに次郎が顔を顰める。
品定めするように次郎を見つめた後、刀剣狂いはぺろりと舌で唇を舐めた。
「良いね」
「キッショ!!」
「まだ若いが、さぞ素晴らしい逸品に仕上がるだろうね」
虚空から飾りのない洋剣を引き抜きその切っ先を次郎らに突きつける。
「上等だ。藤馬ァ!!」
「あいよ」
次郎に促され藤馬は迷宮を展開した。
即興のそれではなくマンションに越して来た時から土台を作っていたのでその強度は段違いだ。
それでも刀剣狂いが防ごうと思えばそれは防げただろう。
そうせず腹の中に飛び込んだのは、
(自信と趣味ってとこかな?)
これだろうと次郎はあたりをつけた。
前者は言わずもがな。
後者は相手の領域に入るということはその人間の芯に深く触れるということ。
その在り方を以って他人を刀剣化するかどうかを決めている刀剣狂いにとっては重要なのだろう。
「いきなり圧が増したじゃないか次郎くん。なるほどなるほど?
この迷宮のボスとして設定されたことによる強化かな? そういう仕組みもあるのか。
これまで藤馬くんと幾度もやり合ったがこれは初見だ。ああ、これはこだわりかな?」
藤馬はあくまでダンジョンメイカー。創る者であって君臨する者ではない。
その認識ゆえにボスの役割を振れなかったのだろう。
刀剣狂いの推察は当たっていた。頭の回る狂人ほど面倒なものはない。
「良いね。興奮して来た。壁は高ければ高い方が良い」
その方が本懐を達成した際の喜びも一入だから。
そう微笑む刀剣狂いに次郎は心底いや~な顔をした。
「な? こういう奴なんだよ」
「……自業自得とはいえこんなのに付き纏われてたお前にちょっと同情するわ」
「だろ? じゃ、俺は支援に徹するから後よろしく」
石造りの床に沈み込むように藤馬の姿が消えた。
「さて」
白目が黒く塗り潰され虹彩が真紅に染まり頬が裂け鋭い牙覗く二つ目の口が現れる。
吐き気を催すほどに濃密な瘴気を放ちながら次郎は言う。
「一応、確認だ。退く気は?」
「あるわけないだろう?」
「だよな」
次郎とて分かってはいた。
ただここからは命のやり取りになるのだし一応、確認しておきたかったのだ。
「お前の狂った蒐集も今日で仕舞いだ!!」
悪魔の六翼を広げ次郎は刀剣狂いに襲い掛かった。
が、
「直情的だね」
無数の斬撃が走り次郎はバラバラに切り刻まれた。
ぼとぼとと次郎だった肉片が地に落ちる。
「こう見えて剣術には自信があるんだ」
軽く剣を振るい血を振り落しながら刀剣狂いが笑う。
しかし、直ぐに笑みは消え怪訝な表情へと変わった。
「……どうした?」
魔王の子。感じる気配からしても尋常の存在でないことは明白だ。
少しばかり切り刻んでやった程度で終わるなどとは欠片も思っていなかった。
にも関わらず次郎は肉片のまま微動だにせずその瞳からは光が消えていた。
そんなまさかと動揺しつつ刀剣狂いが死体を検めようと近付くと、
「がっ……!?」
血だまりが無数の棘となって全身を貫いた。
咄嗟に致命に成り得る部分は避けたが、
「う、ぐ……これは、毒か……?」
「そうだよ。悪魔の血が体に良いとでも?」
血が糸のように伸び肉片が繋がり次郎が再生を果たす。
刀剣狂いはまんまと罠に嵌められたのだ。
「お前、何のためにこんな姿になったと思ってんだ。夜は悪魔の時間だぜ?」
そして血は不浄の印。つまり魔王の権能とこの上なく相性が良いというわけだ。
そこに加えて藤馬が振った“ボス”という役割。
そのお陰で今の次郎は普段より魔性の力を引き出すことが可能となっていた。
「……俄然、燃えて来た。堪らないね。そそるよ。何なら濡れて来た」
仕上げる前に少し、食べちゃおうか。
蕩けるような笑みを浮かべ刀剣狂いは次郎に襲い掛かった。
小手調べは終わり。ここからが本番だ。
「ハハハ! 斬っても斬ってもまるで命に届かないな!! どうしようか!?」
コレクションの中で最も殺傷力に長けたものを使ってるんだがねえ! と笑う。
刀剣狂いはどうしようもない変態ではあるがその実力に疑いはない。
現状、まるで有効打を与えられていないというのにその狂った眼差しに一切の翳りなし。
一方の次郎も負けてはいない。
幾百幾千と斬られ続けているが表情一つ変えず刀剣狂いを攻め立てている。
【……たまんねえ】
次郎を支援しつつ死闘を見ていた藤馬が喜色を滲ませ呟く。
魔王の子であるとはいえ次郎は未だ青い果実でしかない。
実力で言えば自分のサポートありきでも刀剣狂いには数段、劣る。
有利な点は人外の血に由来する体力と再生能力。
持久戦に持ち込めばいずれ天秤は次郎に傾くだろう。子供でも分かることだ。
【でも、お前はそうしないんだな】
持久戦に持ち込めば有利ではある。
だがそのためには相応の立ち回りをする必要がある。
ああも果敢に攻め続けていれば体力も再生能力もドンドン目減りしていく。
それが分からないほど次郎も馬鹿ではない。
なのに敢えてそうしているのは、
【その意思も願いも真っ向から踏み潰すという意思表示……!!】
傲慢を象徴する魔王。その継嗣に相応しいスタイルだ。
夢想する。あの次郎が自分という迷宮の最深部で冒険者たちを迎え撃つ様を。
藤馬の昂りはそのまま次郎の強化の度合いを更に引き上げていた。
しかし、
「――――もう十分だ」
次郎によってその繋がりは断ち切られてしまった。
突然のことに藤馬のみならず刀剣狂いまでもが目を丸くする。
「何を」
「大分、勝手が分かったんでな。補助輪はもう要らない」
あ、と藤馬と刀剣狂いが声を漏らしその発言の意味を理解する。
自らが持つ魔性の力を引き出すために藤馬を利用していたのだ。
コツを掴んだからもう必要ないと切って捨てた。
「お手て繋いで仲良く共闘なんてまさか本気で信じてたのか?」
俺とお前の間柄で? とせせら嗤う次郎に、
「【最高だ!!】」
藤馬と刀剣狂いはブチ上がっていた。
コツを掴んだとはいえボスという役が齎す強化を捨てる旨味はない。
にも関わらず次郎は自らの意地を貫き不合理に流れた。
お膳立てされた勝利は要らない。主導権はあくまで自分にあるのだと。
「……お前らホント、どうしようもねえ変態だよ」
仕切り直し、一対一での戦いが始まった。
一時間、二時間と息つく暇もなく互いに攻め続け少しずつ均衡が崩れ出す。
戦局は次第に次郎有利へと傾いていった。
しかし刀剣狂いに焦りはない。
(もう少し、もう少し)
刀剣狂いは待っていた。何を?
(――――来た!!)
夜明けだ。
迷宮の中ゆえ外の様子は分からない。
しかし時間と次郎を注意深く観察していればその瞬間は分かる。
夜は魔性の時間だと言ったのは次郎なのだから。
夜明けによる弱体は普段であれば誤差のようなもの。
しかしこのギリギリの戦いの中では値千金の好機。
「これで終わりだ!!」
刀剣狂いの強味は多種多様な能力を持つ刀剣を扱えること。
だが彼女はこれまで殺傷力に特化した一振りしか使って来なかった。
それはこの瞬間のために次郎の意識を遠ざけたかったから。
コレクションの中から破邪に特化した剣を引き抜き次郎の心臓目掛け突きを放つ。
「――――お前がな」
心臓を貫いたその瞬間、次郎の六翼が純白のそれに変わった。
機を待っていたのは刀剣狂いだけではない。
自らの強みから意識を遠ざけたかったのは刀剣狂いだけではない。
次郎は破邪の力でブーストされた勢いそのままに刀剣狂いの胸をぶち抜いた。
「俺の勝ちだ」
引き抜いた心臓を握り潰す次郎がこれまでのどんなものよりも美しくて、
「……ああ、君の勝ちだ」
刀剣狂いは素直に自らの敗北を受け入れた。